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2008年12月17日 (水)

鵜沼 1980/4/5

坂祝-(824D)→鵜沼10:31着/11:40発-(729D)→美濃太田

198004052

名鉄線の新鵜沼駅と隣接しており、国社の連絡線があります。
この連絡線を使って名鉄の車両が特急「北アルプス」として高山線に直通していました。
もっとも連絡線を経由すると鵜沼駅も新鵜沼駅も通りませんので、営業的には無関係ですが。

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岐阜方からです。右側が名鉄線です。
国鉄線には特急がとまっています。

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富山方です。
名鉄の電機がいます。貨車の授受も行なわれていたのですね。

19800405c05
富山方です。
手前の貨車、多分名鉄の社車だと思うのですが、ずいぶん古典的に見えます。

19800405c01
富山方からです。

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富山方からです。これが連絡線ですね。
特急が通過する割には貧弱です。

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富山方です。
連絡線が高山線に合流します。

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コメント

鵜沼駅に関しては、小生自身の興味はどうしても名鉄側に移ってしまいます。かつて名鉄は新岐阜駅側からも犬山側(配線図からもその後が伺えます)からも突っ込み式で鵜沼駅に接したという形態を採っていたらしい。名鉄は90度です。加えて言うなら、有名な“併用橋”がありましたね。この橋を通じて名鉄のDCが高山線へ乗り入れ最遠富山まで・・・他に国鉄と名鉄の連絡は、豊橋駅がありますが。

 名鉄の直通列車、懐かしいですね。
 直通していた列車は、最晩年は確か(しばらくの間急行で運転されていた)特急「北アルプス」だったかと思いますが...。その連絡線も、今や幻...(それでも、7年前までは現役でした)。
 確か、昭和 47 年頃までは、スイッチバックして高山本線に乗り入れていたはずです。

 最初の写真で、山の上に見える観覧車のある遊園地、ここだけは今も変わらず存続しているようです(日本モンキーパークでしょうか?)。

 因みに、豊橋付近での“名鉄と国鉄の連絡”ですが、名鉄名古屋本線と国鉄飯田線の相互乗り入れと云うよりは、運用上の共用ですよね。
#敢えて、国鉄という文字列を使うことにします。

SYさん、例ビッグなど さん
私鉄の車両が国鉄線に特急として乗り入れていた珍しい例ですね。スイッチバック時代はどんな配線だったのでしょうか。
豊橋も短区間ですが国鉄と名鉄が線路を共有する珍しい例ですね。名鉄と国鉄は結びつきがつよかったのでしょうか。

またまた、間が開いてしまいました。
別の語句で検索中、1980年鵜沼駅の記事がありビックリ!
当時は、名鉄の北アルプス号はキハ8000・8200でしたね。

犬山橋北詰から東へカーブする、通称「連絡線」は、名鉄新鵜沼駅の番線表示では、4番線の扱いでした。
その連絡線から直接、国鉄高山本線に走行出来るようにしたわけで、高山本線富山方の533イからM26(ですか?図が小さいのですいません)の部分が北アルプス用に新設した区間です。

それまでは、一旦引き上げ線に入り、スイッチバックで鵜沼駅上り1番線(3番乗り場)、客扱い終了して富山方へ発車していました。
神宮前行きの場合は、これの逆です。

鵜沼駅で客扱いしていましたので、犬山駅は通過。
後に鵜沼駅での客扱いができなくなったので、代替として犬山駅停車となりました。


鵜沼駅上り1番線(3番のりば)の南にある2線は名鉄所有の物で、貨物扱いが終えてからは電留線代わりに使われていました。
ここへの出入も、上記北アルプス号と同じで、スイッチバックです。

当然ながら新鵜沼駅のホームからは直接出入りできないため、犬山~新鵜沼間回送列車に限られます。
なのでこの線路に、地下鉄直通用の100系が泊っていたのは、何だか不思議な感じがしました。


名鉄の貨物は、広見線可児川駅での貨物扱いが最後に近い頃まで残ってました。

kisomitakeさん、私は大きな勘違いをしていました。スイッチバック解消用に設けられた「連絡線」とは、てっきりM22~M4イ間のことだと思っていました。これは以前から存在していて、スイッチバック時もこの線路を使用していたんですね、ナルホド。ありがとうございました。

構内線路図が大きくなっていますね。
有り難う御座います。わかりやすい。

M22~M4イ間の連絡線、M1LDTの信号区間、そのままズバリ「国社連絡線」というのですね。
一週間前に検索にあたったという検索ワードが「国社連絡線」でした。
その時は、和歌山の南海を念頭にいれてました。

この国社連絡線は、少なくとも昭和7年には存在していたようです。
この年に名古屋市内の柳橋駅から下呂へ直通運転があり、ここを通り、鵜沼駅からは省線の列車に連結されました。

名鉄の犬山線と各務原線は生立ちが異なり、鵜沼駅は互いに「T」の字か「┐」の形で接していました。
犬山線の貨車連絡もあって、国社連絡線が敷設されたと想像しますが、そこまでの確認はとっていません。

そこで国土変遷カーカーブですよ!
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=R1263&photono=50
昭和23年4月のものですが、国社連絡線がはっきり見えています。一方で面白いのが各務原線側で、この頃はまだ600Vのため、犬山線との直通運転はないのもかかわらず、既に犬山線側と線路がつながっているように見えます。もともと各務原線が開業した時には高山線と並行に駅が設けられたと聞いていますので、この時代に既に連絡線があるのは、三柿野貨物を犬山橋近くまで引き上げて国社連絡線を経由していたのだろうと思います。三柿野貨物の存在については、大御所白井さんがhttp://www15.plala.or.jp/hidekih/usarmy.html
に書かれています。

kisomitakeさん、わだらんさん、ありがとうございます。空中写真を見るとよくわかりますね。
「短絡線新設」というと大仰な感じがしますが、もともと貨物輸送のため線路は繋がっていたわけですから「渡り線新設」程度の表現のほうが妥当ですね(笑)。
国鉄の上り1番線の隣に社5・6番線が並んでいるのも奇異な感じがしたのですが、これは昔の各務原線の名残なんですね。

 嘗て名古屋市内に軌道線を引いていた名古屋電気鉄道が郡部に進出しようと市内押切町から路線を伸ばし始めました枇杷島から二手に別れ片方は一宮経由木曽川迄伸びました後の名古屋本線西部線今一つは犬山経由新鵜沼迄の犬山線です
 其の後市内線は名古屋市に譲渡社名を名岐鉄道に変更し市電柳橋に乗り入れました 此の時代柳橋から鵜沼経由高山線下呂迄直通電車を運行しました自社線内は其の侭電車運行鵜沼からは岐阜からの高山線客車列車に連結下呂に向いました後の北アルプス号の先祖です 鵜沼には今一つ岐阜より高山線に平行する形で各務原鉄道が来てました当然会社が違ってましたので駅は別々になりました 後に同じ名鉄になっても電圧の違いで暫くは連絡出来ませんでした 名岐鉄道に入る貨車は鵜沼 新一宮 弥冨(尾西鉄道)から 枇杷島のデルタ線で名古屋本線と犬山線間の貨車遣り取りしてました 東部線である愛知電鉄と合併して名鉄となっても暫くは両線は性格が正反対で有りました

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