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2008年12月11日 (木)

熊野地 1980/3/15

新宮-(徒歩)→熊野地-(徒歩)→新宮

かつては本線だったのですが、新線の開通によって貨物支線になりながらも細々と営業を行っていました。

19800315d01
新宮方からです。
紀勢線には機械連動の駅がまだまだいっぱいあったにもかかわらず、こんな貨物駅が継電化されていたようです。

19800315d03
終端側からです。
一番左の線路が本線のようですが、妙な位置に転てつ器がありますね。

19800315d02
熊野地駅は材木の出荷のためだけにあるような駅です。

19800315d05
終端側からです。
左側の建物が本屋でしょうか。

19800315d04
終端側です。
トキしか見当たりません。

19800315d07
終端側です。

19800315d06
終端側からです。
肝心の終端の写真がありません・・・・。

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コメント

 勝浦・鵜殿・新宮・熊野地、懐かしかったです。小学校のころ住んでいたもので、よく新宮駅南側の踏み切りで貨物の入換えを眺めていたものです。また熊野地の駅近くに祖母の墓があり、墓参りついでにいたずらで貨車に乗って遊んでいました、勝浦では写真に姉が住んでいた家や親戚が営んでいた喫茶店があり懐かしく眺めておりました。そんなことから天鉄管内はすごく好きでブログを楽しみに見ております。これからもいろいろ公開してください。宜しくお願いします。

ブログをご覧いただきありがとうございます。
なかなかご期待に添えない部分も多いのですが
これからも見てやってくださいね。

またまたとんでもないところにレスしましてすみません
熊野地駅の事が気になっていたら
まさかここにあるとは思いませんでした
一般駅だったころのホームがどうなっていたかは知る由もありませんが

1976年の空撮写真です
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/76/ckk-76-7/c36/ckk-76-7_c36_14.jpg

これを見ますと駅の終端側はかつての本線で川を橋で渡ったところまで続いています
そこにも貨車を留置しているようです
5番目の写真でトキが留置されている線路の延長が
本選となっていることが判ります
4番目の写真の左側は新宮方向の上り本線かな?
島ホームだったかも

2番目の写真のトキがたくさん留置している奥の方に製紙工場があり専用線が伸びているのも空撮写真によりわかりますね

さらにさかのぼって、1946年(昭和21年)の写真です。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M147-A-7&photono=13
新宮駅には扇形庫も見え、旧新宮駅~熊野地駅の旧線らしきものも見えます。
海に浮かんでいるのは材木でしょうか。
YAHOO地図でほぼ現在の同じ場所を見てみますと、線路跡は道路となり製紙工場は空き地になってしまっているようです。かつてはここに貨物駅があったことなど夢の話のようですね。

 おはようございます、奥野君です。
 熊野地に行ってきました。貨物駅に当時の面影はほとんど残っていませんでしたが、見つけた町内図ではやはり川を渡っていたようですね。橋台とかを見つけることは出来ませんでしたが。でも明日アップする専用線跡は結構面影を残していてゾクゾクしましたです。
 ではでは。


 おはようございます、またまた奥野君です。
 今日は製紙工場の専用線跡をアップしました。私の趣味はこっちなもので(笑)。でも専用線跡にSLが置いてあるのは珍しいですね。それもSLの説明すら一切無し。看板は注意書きだけでした。どうなってるんだろ。
 ではでは。

奥野君さんはすごくバイタリティにあふれてますね。今度コメントさせていただきます。

 コメント、ありがとうございますです。

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