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2008年12月10日 (水)

新宮 1980/3/15

鵜殿-(327D)→新宮10:46着-(徒歩)→熊野地

配線図はありません。写真も2枚しかありません。
がっかりした方、ゴメンナサイ。

19800315a01
新宮運転区です。
電車に気動車・客車・ディーゼル機関車などいろいろな種類の車両を見ることができますが、配置されていたのは客車のみ、それも20両に満たない程度でした。

19800315c01
新宮からは熊野地という貨物駅に至る貨物支線が分岐していました。
昔はこちらが本線だったらしいです。
手前が熊野地方です。

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コメント

伸びない手がしっかり届いている!という印象が一枚に収められているという心憎さです。段落ちの駅の設備の風!給油やピット、洗浄台の優等列車と普通の平然としたつまやかさ。小学館の資料を繙く小生の卑しさを感じてしまう。ともかく機能と実際の接合の美で、現実みなが気づいていない処の日常の凛とした、次を備えた美なんだろうな、と思う。その瞬間であろう。

新宮駅には結構長い時間いたはずなので、もっといっぱい写真をとれたはずなんですが、2枚だけしかなくてごめんなさいです。

熊野地での航空写真ありがとうございます。
ここ新宮は、敷地の形状や無煙化後の姿と訪問時の機関区の様子に、私は新宮機関区は昔から2線式短形庫だったのでは?と思い込んでおり、新宮機関区が扇形庫だったとは、少し大袈裟ですが私の中では今世紀最大級の発見に価しそうです。
これもヒデヨシさんの熊野地へのコメントからの展開で、お二方に感謝いたします。
これまでも名古屋機関区や品川機関区の2連庫や、趣味誌上などでもなかなか最盛期の姿が表れて来ない原ノ町機関区や一戸機関区などの、数え切れないほどの知りたくて堪らなかった情報に f54560zgさんのブログを通じて接する事が出来、更にますます充実感を増している“T.Mさんシリーズ”に、私も含めて多くの読者の皆さんへ“夢と希望”を与えていただいていることに改めて深く感謝いたします。

新宮を訪れたのは昭和61年の秋で、亀山機関区や伊勢山田機関区を訪ね、その後に多気駅から新宮行き普通列車に乗り込んだ時はもう夕暮れが迫っていました。
途中、薄暗いホームの灯りに紀伊長島駅構内を見て、昔の機関区の様子などを想像しながら車内で過ごし、暗闇の紀勢本線を進み夜の新宮駅に到着しました。
乗換時間の間に夜の新宮機関区を訪問し、天王寺行きの普通夜行列車で次の訪問地の和歌山へ向かおうかと思ったのですが、やはり機関区設備の在った紀伊勝浦駅や紀伊田辺駅の構内を車窓からでも見たかったのと、駅前に安宿を見つけたので新宮で宿泊することにしました。
時間の都合で翌日は、おそらく旧「はやたま」の、天王寺からの夜行客車列車の折り返しとなる早朝の列車で新宮を発つため、新宮機関区は夜間の訪問となりました。
当時は既に構内に転車台は無く、扇形庫も無かったと思っていたのと、EF15の姿を発見したのも夜間訪問の理由だったのでしょう。
本来なら乗車していた新宮発天王寺行きの普通夜行列車(竜華機関区EF60512号牽引の12系客車)を新宮駅ホームで見送り、構内裏手の機関区事務所で見学許可をいただき早速に夜の機関区構内に向かいました。
当時の写真が出て来ましたのでその時の様子をお話させていただきますと、構内は照明で意外と明るく夜間滞泊の車両達が多く憩っています。
特急の振子式381系「くろしお」と、キハ82系「南紀」がそれぞれ2編成づつの4編成もいます。
紀伊勝浦発着の「南紀」は回送されて来て新宮で整備されているようです。以前のブルトレ寝台特急「紀伊」も同様だったのでしょうか。
特記すべきは竜華機関区の老練 EF15158号で、他に亀山機関区の DD51773号とDD511038号に入換用でしょうか DE101089号とDE101091号の姿があり、そして客車のレッドトレイン50系の姿も見え、かなりの車両達が集っていて、当時の国鉄だった頃の華やかさを感じる車両基地だったようです。
当時の貴重な車両のEF15型をカメラに収める事が出来て嬉しさもつかの間、この新宮機関区の夜間訪問には苦い思い出があります。
構内の夜間撮影を終え事務所に戻り助役さんに昔の新宮機関区の様子を尋ねてみましたが、天王寺鉄道管理局から転勤で新宮機関区に来たと言う少し生真面目そうな助役さんで、以前の事が分からなくて申し訳なさそうにお答えされていました。
そんな話をしていたら静かな夜の事務所内に電話がけたたましく鳴り響き、受話器から大きな声が漏れ聞こえてきました。
どうやら私が構内でところ構わずカメラのストロボを焚き捲り、現場の方に不安感を与えてしまったようです。
助役さんにこちらの非を詫びたのですが、助役さんのほうが「着任してまだ間がなく、こちらの事がよく分かっていなかったので…」と言って下さり、その言葉に私は恐縮し、親切な助役さんで良かったと安堵したことが思い起こされます。
翌朝は早朝の列車(EF60503号牽引の12系客車4両編成)に乗ったので、新宮駅のホームから機関区付近を撮影しているのですが、昨夜見た車両達が朝日に照らされ出発を待っていました。

この時から、もう25年の歳月が流れましたが、日没後で景色の見れなかった多気から新宮間の紀勢本線の旅を、いつか機会が有れば明るい日中にしてみたいと思っている今日この頃です。

国鉄末期の竜華機関区にはEF60がいたんですね。それも500番台。EF60500番台の牽引する旅客列車ってなかなか珍しかったのではないでしょうか。
紀勢線は多気から和歌山までの330kmに渡って(細かいことを抜きにすれば)分岐駅がありません。通常車両基地は分岐駅に設けられることが多いですので、新宮や紀伊田辺などの中間駅の車両基地には何となく違和感を感じていましたね。

新宮へは1976年夏に訪れました。友人二人と天王寺から夜行列車「南紀 後の『はやたま』」に乗り、早朝に着きました。友人たちはそのまま名古屋まで行きましたが、私は下車してDF50の特急「紀伊」を撮影しました。

1968(昭和43)年12月公開の松竹映画「喜劇・大安旅行」は、紀勢本線が舞台です。
主演のフランキー堺さんが新宮車掌区所属の専務車掌役で、急行「きのくに」での奮闘ぶりが描かれています。又、伴淳三郎さんがその父親で新宮機関区所属の機関士役を演じておられます。
そして当時の新宮駅・機関区・客貨車区・ヤードの生き生きした様子が見られます。DF50の姿もありますが、主役は新宮機関区所属のC58。扇形機関庫前でターンテーブルに乗る、大型の給炭設備で石炭を積み込む、扇形機関庫内での点検風景などの場面が続きます。
そして圧巻は見老津~周参見間の双子山トンネル付近を行くC58牽引の貨物列車。煙にむせながらもしっかりと運転を続ける機関士、必死で投炭する機関助手。二人の息の合った奮闘ぶり、そしてドラフト音を響かせながらジリジリと一歩ずつ踏みしめるように峠を登るC58の姿に感動を覚えます。
やがて峠を越えトンネルを抜けると左手に美しい青い海が広がり、列車は先程とは打って変わって軽快に海岸線に沿って走ります。汗びっしょりでススで顔を真っ黒しながらも、一仕事やり終えた後の満足げな微笑みを浮かべてC58の運転台から海を眺める伴さん演ずる機関士さんが印象的です。

番外として、大阪~宮崎間で運転されていた新婚旅行客向けのオール一等寝台(後のA寝台)で編成された臨時急行「ことぶき」も出てきます。

このシリーズは全11作あり、各地の国鉄マンの活躍が描かれ、今となってはとても貴重な映像が多い作品です。後期の作品はDVDとして発売されていますが、この「喜劇・大安旅行」はVHSとして発売され残念ながらDVD化されていません。
東映の渥美清さん主演の「喜劇・列車シリーズ」とともに大好きな映画です。

当時の新宮機関区の様子が映画の中で蘇る事が出来るとは嬉しい限りで、スミノエさんに感謝です。
私が機関区巡りをしていた動機の一つに、幼少期に見ていた「交通の図鑑」に描かれた機関区風景の実物が‘見てみたい’と全国にその姿を探し求めたい願望が有ったことでした。
その地を訪れ、機関区を見るのが目的みたいな感じでしたので写真は二の次でしたが、SLも居なくなった機関区や使われなくなった転車台など、こんな時期(まだ廃線跡などの注目度も低かった頃)に撮影する物好きなど居ないだろうと思っていました。
まぁ自分の見た機関区風景や、好きな機関車達だけでも撮影しておこうと思い、撮影趣味を持ち合わせていなかった私は、当時のトップアイドルがCMをしていた一般家庭用のカメラで撮影した程度でした。
今となっては、もっと撮影に注力していればと後悔しきりですが、昨今のネットの普及や趣味誌上で多くの鉄道ファンから当時の記録が発表されていて、あの頃の自分のような物好きは居ないだろうと言う私の考えは間違いでした。

数年前に初期の頃の寅さんシリーズに小樽築港機関区の様子が撮影されていると知り販売店に行ったのですが、全巻揃った陳列棚に、その巻だけが欠落しており、またもや時の運は私に味方してくれませんでした…。

SL時代に扇形庫を擁していてその姿が謎めく機関区としては、渚滑機関区や大湊機関区に出水機関区等もあり、そして最も謎めく機関区として姫路第二機関区があります。f54560zgさんのブログを通じて少しずつ謎解きが出来て行けば楽しいですね。

「喜劇・大安旅行」の新宮での場面、どなたかそのうちYouTubeとかにUPされないかな‥。

神戸駅の方のコメントを拝見しましたが、E10さんは今横浜にお住まいなのでしょうか?
THUTAYAのホームページによると東京の新宿TSUTAYA《新宿区新宿3-26-14 ベルプラザ新宿内
電話番号 :03-5269-6969
営業時間 :朝 10:00~深夜02:00(セル・レンタル) 》
には「喜劇・大安旅行」のレンタルビデオの在庫があるようです。http://store.tsutaya.co.jp/item/rental_dvd/050166070.html?storeId=2011

もしビデオデッキをお持ちならレンタルされたらどうでしょうか。

スミノエさん、情報ありがとうございます。
非常に残念なのですが、実は今私は兵庫在住でして、神戸でのコメントは英賀保の項からの関連で、行き届かないコメントで申し訳ございませんでした。
スミノエさんのコメントに、なるほどその手が有ったのかと気がつかされ、今後に活かさせていただきたいと思います。
蛇足ながら、皆さんご存知かと思いますが、NHKで「昭和のSLシリーズ」と言う番組があり、こちらの神戸局では何度も再放送されているのですが、その中にも全国的に昔の駅や機関区の貴重なシーンが収められているようです。

私はあまり知識や情報のない身の上ですので、今後もよろしくお願いいたします。

 昭和51年4月に新宮機関区に配属された元職員です。当時、構内係で給水、給油をしていました。
 電化されたとき新宮にも381系が入ったり、ELが入ったりで、上司から構内を歩くときは「音無しで来るから触車事故に気をつけろ。」また、古くからの乗務員は電気だから静かと思ってたらフランジ音がうるさい、ディゼルのほうが走っている感触(排気音がある)があって良い等、聞いたのがこの写真を拝見して懐かしく思い出しました。私はその後、紀伊長島支区で50の機助手、伊勢運転区で51機士、兼、気運士をしました。 思い出のきっかけをありがとうございました。

tomoさん、コメントありがとうございます。
私にしてみれば、なんともうらやましい経歴をお持ちで・・・。当時の記憶を思い出すきっかけになれたのであれば幸いです。

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