« 丹波口・京都市場 1980/2/27 | トップページ | 尼崎港 1980/2/27 »

2008年12月 2日 (火)

塚口 1980/2/27

伊丹-(740レ)→塚口15:53着/16:38発-(823レ)→尼崎港

740レは福知山発大阪行き、823レは塚口発尼崎港行きです。
740レはスハ4269、823レはスハフ422303に乗車しました。

19800227c01
福知山方です。
最近複線化されたみたいです。

19800227c02
福知山方からです。
塚口までは結構昔に電化されていました。

19800227c03
尼崎方からです。

19800227c04
尼崎方からです。
DD13130は吹田第一の所属です。

19800227c05
尼崎方です。
この先で尼崎港への支線が分岐するほか、福知山線も上下線が二手に分かれて尼崎に至ります。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 丹波口・京都市場 1980/2/27 | トップページ | 尼崎港 1980/2/27 »

コメント

 福知山線が電化される前でもここまで電化されていた筈。確かあ、尼崎港駅への分岐と、大阪~塚口折り返し宮原操車へと、今では考えられない列車ごとの方向転換に利用されていた駅なのだが、もうすっかり郊外通過駅に陥ってしまった。

私が訪問したときもすでに大分近代的になっていましたね。もうちょっと前だとずいぶん雰囲気が違っていたのではないでしょうか。大阪発着列車の回送折り返し駅というちょっと変わった機能を持つ駅でしたね。

塚口駅は客車時代の「つばめ」「はと」を列車ごと方向転換する為に使われていたので早くからこの駅まで電化されてました。
ルートは大阪~塚口(折り返し)~塚本(北方貨物線経由)~宮原操車場~大阪 です。

塚本構内はデルタ状の配線になっているので、上記のルートで行くと編成単位での方向転換が出来ます。

「つばめ」「はと」の為に電化された様なもんですね。
蒸気時代はC62がバック運転で宮原まで引いていた写真を見た事があります。

国鉄時代の塚口駅は橋上駅舎化前ですがむかしの塚口駅は西口の1箇所があったのは昭和33(1958)年07月21日(月曜日)にオープンをしましたがJR西日本になってからの塚口駅の橋上駅舎化ができたのは平成元(1989)年05月13日(土曜日)でした、

巽孝一郎さん
情報ありがとうございます。

同じ事は戦前の品鶴線品川蛇窪間上り線のみ電化されてましたやはり同じく特急燕富士桜の方向転換の為に電化されていた 家に有る戦前の品鶴線槍ヶ崎踏切付近で撮影された品鶴線下り貨物列車(D50牽引)写真で上り線のみ架線が張られていました
1960年に同じ所で特急つばめ青大将最終方向転換の写真も撮影されてます

yyoshikawaさん
昔の品鶴線品川蛇窪間は上り線のみ電化されていたのですか。情報ありがとうございます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 塚口 1980/2/27:

« 丹波口・京都市場 1980/2/27 | トップページ | 尼崎港 1980/2/27 »

過去の記事

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ