長尾 1980/2/26
木津-(937D)→長尾14:48着/15:16発→四条畷
937Dはキハ2035、長尾→四条畷はモハ100-91に乗車しました。
長尾駅は小さな中間駅ながら、電化と非電化の境界という、ちょっと変わった駅でした。
大糸線の南小谷や可部線の可部も同様ですが、長尾の場合、気動車列車もすべて長尾始発・終着で、直通する旅客列車はありませんでした。
木津方です。
左から1~3番線となっており、1番線が気動車の発着、2・3番線が電車の発着になっていました。
2番線は行き止まりになっています。
片町方です。
片町方は最近複線化されたようで、それに伴って構内の配線も変更されたようでした。
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小生が知っている長尾駅のDCの発着は駅本屋から離れた3番線で、このページのような一番線への変更は四条畷-長尾間の複線化時であったと思う。やがては松井山手への延長工事に際して古いトンネルが二本埋め戻されたようで、長らく電化と非電化接続駅も終えてしまった。
投稿: SY | 2008年12月 6日 (土) 01時03分
塚口駅同様、訪問の少し前にだいぶ姿を変えたようでした。なんでこんなところで電化・非電化の接続が?と思う駅でした。
投稿: f54560zg | 2008年12月 6日 (土) 13時52分
枚方市にある長尾駅は1番線から3番線ホームまでありましたとのことです、
投稿: 巽孝一郎 | 2012年1月31日 (火) 19時28分
巽孝一郎さん、片町側が単線だったころは1番線と2番線しかなかったみたいですね。
投稿: f54560zg | 2012年2月 1日 (水) 23時16分
片町線は旧型のオレンジ色電車で、片町行電車が、下りで片町は行き止まりであり、京阪電車にも片町があり、高架の際に廃止になった。
放出の踏切を出ると単線になっていた。それ以前の、鴫野は今里筋と踏切だった。四条畷まで複線化されて、最近知ったことでは四条畷駅は大東市あり。踏切を過ぎて、忍ケ丘駅が唯一の四条畷市である。
長尾までの電車を片町線と思い、放出~鴫野間のD51の城東貨物線とは上下逆になっていた。C11が片町線を貨物列車を運行していた。放出の駅で長尾行の表示に、木津行にとか、奈良行にと表示で意味が解らず京橋から乗った時に、木津行ディーゼルカーに連絡と、構内放送で聞いた。
一筆書き乗車が始まったことで、5両の旧型電車で長尾へ行き、1両のディーゼルカーが連絡していた。長尾は大阪府枚方市で、その次は京都府になって木津へ行って、関西本線の支線であることを知った。全線電化なって、快速が運行された。
今は、学研都市線と言われ正規は片町線である。東西線の大阪城北詰駅が片町である。長尾の橋上駅舎の開業前のイベントに行った。駅長にも言い、207系の3両~4両の間を通り抜け出来ないことは、東西の地下に具合悪くないかと?
河内磐船(交野市)から河内森まで歩いて、京阪電車の交野線が唯一の連絡路線である。
投稿: ニッシー | 2020年2月 1日 (土) 10時11分