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2008年11月28日 (金)

桃山 1980/2/26

京都-(637D)→桃山10:36着/11:12発-(639D)→宇治

637Dはキハ4527、639Dはキハ3525に乗車しました。

19800226r

当時はまだ非電化の奈良線の京都から3つ目です。
1往復の急行以外はすべてローカル列車ですので、ホームのある1番線に旅客列車が停車することはないのでしょう。
貨物側線が結構いっぱいあります。

19800226a01
京都方からです。

19800226a02
京都方です。

19800226a03
京都方です。

19800226a04
京都方からです。
1番線のホームが異様に低く見えます。
ホームからの写真しかないのは雨が降っていたせいかな?

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コメント

画像の4枚は奈良線の桃山駅構内の様子ですがその4枚の画像は桃山駅構内に貨物駅はありましたがその貨物駅は昭和何年頃に廃止をしましたかとのことですが、

巽孝一郎さん、停車場変遷大事典によれば桃山駅の貨物取扱い廃止は昭和59年とのことです。

 確か戦前は桃山には陸軍関係の施設が有った筈ですそんな関係で駅構内は線路が多いのではと思いますが

30年程前のTMSに、この頃の桃山駅のセクションレイアウトの紹介がありました。側線を若干整理しカーブをわからない程度に強めにして。それは実に圧巻見事な出来栄えでした。あれを見てしまってから、その頃夢見た博多駅を参考にした配線レイアウトの実現なんて夢のまた夢だ、などと萎えた記憶もあります。

yyoshikawaさん、このあたりには昔いろいろあったようですね。
オーイナル野焼きさん、頑張って!

初めまして。
とても懐かしい風景です。
40年近く前、この近くの小学校に通っていてグループ学習(?)でこの駅におじゃましました。
当時まだ石炭ストーブで、ストーブを囲みながら駅員さんのお話を楽しく聴いたことを思い出しました。
「また遊びにおいで」と言われながら、照れくさくて行けなかったことを少し後悔しています。

りんさん、初めまして。この当時はローカル色の濃い駅でしたが、今は相当に近代的な駅になっているんでしょうね。

この時代奈良線は発車の際 汽笛を鳴らしていたのですか教えて下さい。確か東京や大阪の近郊区間は昭和40年代利用者が耳元で汽笛を鳴らされて鼓膜が破れて国鉄との損害賠償問題に発展してそれ以降大手私鉄や都市の地下鉄 路面電車 伊予鉄 福鉄 遠鉄 静鉄は発車の際汽笛を省略するようになったと言われております。ただし例外として運航規則とは無関係と思いますがで近年まで近鉄名古屋線系統 大阪の地下鉄や名鉄の揖斐谷汲線系統は汽笛の鳴らしておりました意味がないのに。国鉄時代耳元で汽笛を鳴らされて1日中耳がおかしくなったことがあります。確かキハ35系高崎駅でのことでした。その騒音が民営化の原因となったみたいです。

発車の汽笛の騒音さん
申し訳ありませんが鳴らしていたかどうかは存じません(汗)。確かに不意に近くで鳴らされるとびっくりしますね。

入標・転轍機標識いずれも見当たらない
のですがこうした駅での入換合図って
操車担当が直接分岐機の開通方向を
見て行うんでしょうか

近年は奈良線複線化工事が
進んでおりこの写真と見比べて
本当に同じ駅なのか、と驚く次第であります。

伊26さん
おっしゃる通り確かに不思議ですね。
おそらく20番台の転てつ器は電気転てつ器ではないかと思うのですが、転てつ器標識がないので鎖錠てこ式ではなさそうですし。写真に写っていないところに線路表示式の入換標識でもあれば納得できるのですが。
いずれにせよ動力転てつ器を使用していて操車担当さんが先端軌条の開通方向を目視確認しながら入換を行うことはありえないと思うんですよね(汗)。

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