桶川 1978/9/27
少し転々としますが、今度は高崎線の桶川駅です。
大宮方からです。
かつては側線・専用線がありました。
今でも線路は残っていそうですが、草に隠れてよくわかりません。
左側の看板が微妙なカーブを描いている通り、この看板に沿って左へ曲がっていく線路もありました。
蓮田同様、実は桶川でのメインはこれ。
53-10改正で廃止になる2322列車です。時刻表上は高崎発上野行きですが、実際は直江津発高崎行きの信越線322列車が直通しています(高崎での増結はありますが)。
東北線の上野口のローカル客車列車は53-10改正で全廃(電車化)されましたが、高崎線(~信越線直通)のローカル客車列車は2往復中1往復は客車のまま残りました。
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下り線の奥は駐車場でしたかねえ?
レールがあったような気がしています。
投稿: | 2020年2月 9日 (日) 21時43分
側線は、工場につながっていたと思います。
一般道路を横断してました。
自転車で走っていて、この側線にひっかかり転ぶ人が多かったです。
投稿: | 2020年2月10日 (月) 13時29分
線路があったのは、工場につながる側線以外は下本・下1・専用1・専用2までで、駐車場のあたりは昔の空中写真を見ると資材置き場のような感じが。
投稿: f54560zg | 2020年2月11日 (火) 20時09分
上尾市在住で桶川駅を使っていた50代半ばの者です。小学生のころ、よく有蓋車が道路を斜めに工場と桶川駅を行き来していました。懐かしいです。下記のURLは国土地理院の昭和42年の航空写真です。駅から貨物が道路を渡ろうとしているのが映っています。(ただの留置かもしれませんが)
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=447120&isDetail=true
当時は今みたいに口うるさくなかったので、高校生のころ、乗り遅れそうな時は、改札を通らず、保線区から入って線路を跨ぎそのまま上りホームの端からホームに入ってました。駅員さんも電車の運転手さんも別になにも言わない、そんな時代でした。同じようなサラリーマンのおじさんたちもいましたね。何度か、たまたまですが、EF58がけん引する普通客車列車に乗ったこともあります。本当に懐かしいです。
投稿: | 2021年7月17日 (土) 02時25分
名無しさん
コメントありがとうございます。
私も今では許されないようなことを昔はしていましたが、・・・楽しかったです(笑)。
投稿: f54560zg | 2021年7月18日 (日) 11時24分
f54560zg さんのご投稿と全く同じ、当時8時20分までは7分おきの通勤電車もその次は9時台まで空白があったので、乗り遅れそうな時は川越街道の踏切側からホームに入りました。駅前の側溝の蓋はアプト式レールが再利用されていました。私の父は鉄道土木技師で、新潟、北陸出張から夜行列車で帰ってくるとき、通過駅なのにお願いすると桶川駅に臨時停車してくれたそうです。三井精機工場の貨物入れ替え作業が川越街道踏切をまたぐので、開かずの踏切時間帯がありました。初めて自動券売機ができたのが1969年ころで大宮までの限定の販売機。改札も電車がくるときだけ。長野直江津の客車列車も土曜日午後に塾にいくのに好んで利用しました。
投稿: 1972年桶川南小学校卒業生 | 2023年10月29日 (日) 03時41分
1972年桶川南小学校卒業生さん
>お願いすると桶川駅に臨時停車
これは凄い!
投稿: f54560zg | 2023年11月 1日 (水) 19時43分