原ノ町 1979/7/21
平-(2211M「ときわ1号」)→原ノ町9:08着/10:29発-(241レ)→仙台
「ときわ」は基本的には上野発着の急行列車でしたが、1号のみは水戸発仙台行き(水戸~平間は普通列車)でした。
2211Mはモハ452-10、241レはオハ352500に乗車しました。
岩沼方です。
原ノ町駅は中間駅ですが、始発・終着列車が多数設定されている主要な駅でした。
以下はオマケ。
内郷~平間です。
右側の複線が常磐線、左側の単線が磐越東線です。
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ひと月程いわき市好間に出張していた事が有り平(いわき)駅南方の磐越東線と常磐線が分岐する辺り迄夕方散歩がてらよく歩いて居ました複線トンネルと単線トンネルが並ぶ様はとても面白ものでした 此処を抜けると常磐線は東京に向い少し左方向に向かい磐越東線は勾配を上りながら右方向へ急カーブして郡山へ向かってました私がいわきにいた頃は既に磐越東線はキューブ型デーゼルカーだけでした
好間の辺りには常磐炭鉱地帯で嘗ては炭鉱が存在しており炭鉱鉄道も有りましたが殆ど跡形も有りませんでした
投稿: yyoshikawa | 2015年1月 7日 (水) 17時07分
yyoshikawaさん、スミマセン、「キューブ型デーゼルカー」って?
キハ100系のことでしょうか?
投稿: f54560zg | 2015年1月11日 (日) 13時45分
すいません最近の車両に疎くなっております確かにそうです
投稿: yyoshikawa | 2015年1月12日 (月) 18時02分
yyoshikawaさん、私も新しい車両についてはさっぱりです(汗)。
投稿: f54560zg | 2015年1月18日 (日) 21時02分
いわきの一つ手前に内郷と云う駅が有ります内郷には嘗て操車場が有りました現在は何処も同じ廃止の憂き目に合い唯の草原に戻りました
常磐炭田の一つ好間の炭鉱へ此の内郷より採炭鉄道が伸びて居ました現在一部跡地がバイパス道路に変り他は殆ど解らない状態ですが好間の集落の外れ常磐自動車道いわきインター付近に線路が敷設された儘のガーター橋が現在も存在しておるそうです残念ながら好間に居たのに見に行けませんでした
投稿: yyoshikawa | 2015年2月 5日 (木) 11時34分
yyoshikawaさん、内郷には機関区もありましたね。残念ながら車扱貨物の取り扱いと運命を共にしてしまいました。
投稿: f54560zg | 2015年2月 7日 (土) 22時07分
この原ノ町の項目もなかなか興味深い記事ですね。
電化区間に気動車、救援車、そして写真一枚目の貨物列車、トキ ワム タキ ホキ、それに色合いのバラエティー。まぁ、配線図的には車両達が線路を隠して邪魔してるんでしょうけど。
現刊イカロスの蒸気機関車EXに原ノ町機関区付近の配線図が記載されていて、以前に航空写真で見た原ノ町駅付近の写真で、矩形庫と転車台と阿弥陀線の組み合わせに、扇形車庫の存在を否定されたような画像で、なんとも不思議な感覚を覚えたものです。
その航空写真を凝視しても、もし扇形車庫が設置されていれば有るはずの扇形車庫撤去跡の特徴が見受けられず、矩形庫はそのままでしたが、記載された新旧の配線図によると、転車台の拡張後に阿弥陀線のみ増設されたような、機関区の配線的には極めて珍しい配線だったようです。
こちらの記事内の写真ですと、転車台のカラー写真の日産スカイラインジャパン側に12線の留置線が放射状に設置されていたようです。
厳密に分類すると、出水機関区、紀伊田辺機関区、黒松内機関区、そしてここ原ノ町機関区は、全国的に見ても当時の蒸気機関車の性能に合わせ設置された機関区だったのかもしれません。
記事内最後のトンネル写真を見てふと思ったのですが、平駅の項目が欠如しているのに気がつきました。
これはf54560zgさんのblog内の七不思議の一つに数えられそうです。
投稿: E10 | 2017年10月 7日 (土) 22時58分
E10さん、放射状の線路がありながら矩形庫という組み合わせはちょっと変わっていますね。後年まで蒸機が配置されていた大機関区に比べ、早くに配置がなくなった中小機関区については情報が少ないように思います。
平駅、確かに不思議です(汗)。
投稿: f54560zg | 2017年10月 9日 (月) 18時41分