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2008年11月23日 (日)

郡山 1979/7/20

西若松-(7412D~913D「いなわしろ3号」)→郡山12:11着/14:17発-(730D)→平

「いなわしろ3号」は会津川口発福島行きで、会津若松~福島間は913D「あがの1号」に併結されていました。
「いなわしろ3号」はキハ5217、730Dはキハ55263に乗車しました。ローカル列車のほうが車両の格が上ですね。

1979072001
913Dの車内からの撮影です。
磐越西線で郡山駅に進入する直前、進行方向の右側に郡山機関区がありました。

1979072002

1979072003

1979072004
すみません、1979年当時の写真はこれだけです。

以下は2002年5月~7月の撮影です。

20020519c10
東京方です。

20020519c12
東京方からです。

20020519c14
東京方からです。
タンク車がいっぱいです。

20020519c16
昔の郡山客貨車区でしょうか。現在の名称は・・・・知りません・・・。

20020707c23
青森方です。
磐越東線・西線が右に左にと分かれて行きます。

20020707c28
新幹線ホームからです。
転車台は昔の機関区のものを移設したようですね。

20020707c27
青森方です。

20020707c25
青森方です。

20020707c18
郡山を出た磐越東線からは2つの分岐があります。
一つ目はコレ。左側に分岐して磐越東線とは離れて東北線に沿って進みます。

20020707c63
新幹線の保守基地ですね。狭軌と標準軌が隣り合っています。
青森方からです。

20020707c65
一部は3線になっていますね。
青森方です。

20020519c44
二つ目はコレ。
平方からで、右が磐越東線です。

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オイルターミナルの専用線です。
郡山方からです。

20020707c59
平方からです。

20020519c48
磐越西線の場内信号機です。
それにしても多くの信号機ですね。

20020519c4
郡山駅の東京寄りには郡山工場(昔の名前ですね。今の名前は?)があります。

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コメント

郡山駅の転車台は今でも残っていますよ。
駅前の展望台から見るのが一興です。

線路が好きな人間にとって、「高いところから見る」のは基本ですよね。そう思って新幹線ホームまでは行ったのですが・・・。展望台には脱帽です。

郡山駅って、ある意味複雑です。小生自身は夜行で眠れず、できたばかりの郡山操車の下り線のカーブとライトと横断陸橋が思い起こされ、ここが最新鋭の設備か、右肩に眠る友人を支えながら思った記憶があり、その後の郡山駅の停車した様態は一切記憶がありません。後年郡山駅の図を見ても、複雑で一体どういう構内操車を行っていたのか、推測がなかなかできないさまで・・・北西の扇形庫も・・・東北新幹線の保線区とオイルターミナルばかりで・・・殆ど我が国の最も偉い人のように、発言の指し示す先が不明瞭で・・・

う~ん、なかなか難解ですね。
昔の配線はわかりませんが、今の配線をわかる範囲で一度描いて見ましょうか?

【郡山】宇都宮から東北新幹線の乗客となった私は郡山を目指しました。 東北新幹線は初乗車だったと思います。 見馴れた 0系ひかり号と違い、200系やまびこ号のグリーン色と小さな窓割が新鮮で車内に足を踏み入れる前に心がときめいた事を覚えています。 レールファンにとって宇都宮といえば駅弁ですね。 ちょうど昼時だったので宇都宮駅で駅弁を購入し、やまびこ号の車内で昼食となりました。 (駅弁発祥時の、おむすびタイプが欲しかったのですが叶いませんでした‥) 今でもそうですが、東北本線の主要駅間の距離感覚が当時から掴めていなかったことも手伝い、初めての車窓に見とれながら駅弁を口にしていたら、すぐに郡山着となり、東北新幹線の速さを目の当たりにした次第です。 前出の水戸機関区で郡山も扇形庫が無くなっていると聞いていたので、郡山駅に着いた私は転車台を探すべく見晴らしのいい新幹線上りホームから郡山駅のヤードを見てみました。 すると、ヤード中央付近の外れに転車台が見えたのですが、今までの経験値から明らかに移設されたように見受けられ、今後も転車台は安泰であろうと判断し、先を急いでいたこともあり新幹線ホームからの遠景撮影となりました。 f54560zgさんの写真よりずっと東京寄りから、在来線ホームの跨線橋が転車台に被ってしまいそうな位置からです。 地上に降りるのを諦めたのですが後続の新幹線がすぐにあり、慌てていたのでろくな写真しか撮れていません。  郡山機関区の扇形庫は、SYさんのおっしゃるとおり極めて稀な位置にありますね。 郡山機関区と対比出来る駅本屋側にある機関区は西舞鶴機関区や北上機関支区くらいでしょうか。他に同様の配置として、前出の余目、網野の転向設備や、佐用(転車台未設置)、会津川口の駐泊所や大白川‥。 扇形庫が在っても形態の違う鹿児島機関区や宇和島機関区などが在ったようです。 曖昧さがあるかと思いますが、全国的に機関区関係は160ヶ所、転車台は460基、扇形庫は100棟以上延べ数で在ったようですが、ここ郡山機関区のような駅本屋側の機関区、扇形庫、転車台の設置は珍しい限りです。 一般的には東北本線と磐越西線の分岐間か磐越東線側に転車台と扇形庫の配置だと思うのですが、新津、青森方に河川があるようで立地的な制約だったのでしょうか、研究者の方のご意見をお聞きしたいものです。 私はいつの間にか磐越東線が東京方から東北本線に合流し、その曲線内側に郡山機関区の扇形庫が在ったと勘違いしており、f54560zgさんの写真も、てっきり磐越東線からの写真だと思い込んでいました。 宇都宮から郡山まで東北新幹線の速さの実力を見せつけられた私でしたが、この郡山の項では私の勘違いの実力をみなさんに見せつけてしまいました…。 次の福島機関区では、交流機のオンパレードと共に意外な経験をすることとなります…。

E10さんの東日本訪問記、いよいよ福島県に突入ですね。
変なところに引っかかってしまったのですが、網野にも転車台ってあったんですか?
郡山の機関区の位置は、個人的には(研究者ではありませんが)現在転車台がある位置付近が一般的なような気がしますよね。
そう言えば、気動車は機関区に配置されるのが一般的でしたが、郡山の場合は機関区ではなく客貨車区に配置されていました。(客貨車区または客車区に気動車が配置されていたのは郡山のほかは盛岡と尾久ぐらいでした。)郡山の場合は機関区の位置の関係で気動車が機関区には配置されなかったのかもしれませんね。

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