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2008年11月 5日 (水)

熊谷 1978/9/27

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ちょっと古い配線図ですね。昭和33年です。転車台や腕木信号機なども描かれており、連動装置も古そうです。
それはさておき、秩父鉄道線のほか東武熊谷線が接続しており、国鉄との授受線や秩父鉄道の工場もあるなど広い構内を有しています。
秩父鉄道のホームは島式1本ですが、ホームの両側の線路ともホームの中ほどでちょん切られています。羽生方と三峰口方を直通する列車は運転されていなかったのでしょうか。

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高崎方です。

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高崎方からです。

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大宮方です。

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貨物扱い所です。

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いい雰囲気の倉庫です。

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これもいいですね。

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秩父鉄道線のホームからです。
三峰口・妻沼方です。

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ホームの中ほどで線路はちょん切れています。
手前側は東武熊谷線乗り場です。

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三峰口方からです。

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駅の裏手には秩父鉄道の貨車でしょうか、いっぱい留置されています。
工場は移転したのでしょうか。

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羽生方からです。

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羽生方です。
配線図と違って線路はつながっていますが、ホームの中ほどに渡り線が設けられています。昔はこの渡り線の先で車止めになっていたのでしょうか。

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羽生方からです。

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羽生方です。

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羽生方です。

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羽生方です。
新幹線の高架の下あたりに転車台があったはずです。

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コメント

熊谷駅のホームで、線路は何故か分断されていましたねぇ。今から考えてみると、あれは東武熊谷線の線路だったから、ということなのでしょうか?

東武熊谷線側の線路が分断されていたのはきっと「会社が違うから」なのでしょうね。ただ、昭和33年の配線図では、反対側の線路(こっちは多分同じ会社)も分断されているところがスゴイですね。

熊谷駅の、新幹線が着工される前の配線図を掲載して頂き、感謝に堪えません。ここが秩父鉄道の中心であったのですね。貨物の授受にも耐えうる配線で、利根川を渡りきれなかった東武の妻沼線もあり・・・秩父鉄道の役割としての石灰石の輸送はこの駅を介していたのだろうか、と疑問がふと浮かんできます。時代は経てしまい、まあ貨物授受は貨物タに移り、車両基地は南西側の荒川沿いに移転して、テレビの特撮ものの撮影現場にもなり、今は観光用の、長瀞を渡る蒸気機関車にばかり気が惹かれてしまいます。

配線図がちょっと古くて、写真とは合わない部分が多々ありましたね。転車台があったところがどうなっていたのか確認できなかったのが心残りです。

 熊谷は未だ上越新幹線が出来る前の頃 一度だけ乗り換えの為下車した事が有りました丁度掲載写真の頃です 夏の或る日池袋デパートで昼食を食べた後東武東上線池袋駅に7800形の寄居行が停車していましたので何気なく最前部車運転台の直ぐ後ろの席に陣取り窓全開にして寄居迄乗車釣り掛け音を楽しみました 寄居で秩父鉄道に乗り換え熊谷へ向かいました 熊谷の秩父側構内は奥の方迄広く掲載写真と同じく構内は貨車だらけでした流石に秩父は東武と日本で一二を争う貨車所有私鉄でしたので構内に多数の貨車が溢れてるのは当然です 秩父鉄道の旅客列車は熊谷を境に別々に運行してましたのでホーム途中に車止めが施されていたのです 秩父線内の貨物列車は直通していました たまに東武鉄道の本線と東上線との間で車両の遣り取りで直通する回送列車の存在が有ります 上越新幹線が出来た時国鉄と秩父鉄道の間に高架が出来たのと貨物の拠点化で貨車授受が出来なくなり分断され熊谷貨物ターミナルへ連絡線を伸ばす 熊谷構内に有った秩父鉄道の工場も移転しました 

此の頃秩父鉄道羽生方の写真上から17枚目に線路間に置かれた倉庫代わりの木造有蓋車の廃車体同じ様な木造有蓋車廃車体が秩父駅の構内にも有りました 此の当時大手中小を限らず貨物輸送していた鉄道では古い貨車特に木造有蓋車の廃車体を倉庫代わりに使っていた手頃なサイズだったからでしょう 後には5トンコンテナに取って替わりました

yyoshikawaさん
年月が経過すると貴重な車体となったのでしょうね。

当時大好きだったニチイが見れてとても嬉しかったです。
ニチイが写ってる写真は見かけないので貴重な写真だと思います。
ありがとうございました。
この当時、雨が降ると北口の特徴的な大きな庇下のアスファルトの大きめの穴が水溜りになって通行人が足を落としていた事も良い思い出です。
この後、駅建て替え、ダイエー/ニットーモール、南口完成で
熊谷の全盛期でした。

当時小3さん
コメントありがとうございます。
お喜びいただけてこちらもうれしく思います。

 はじめまして。
 熊谷駅の懐かしい写真を拝見しました。多くの側線があり、テルハもあり活気があった頃の熊谷駅を思い出しました。

 ところで、写真3枚目の「大宮方です」とある写真を見ると、下り本線と下り1番の間に信号機(出発信号機?)が建植されています。恐らく下り1番用と思われますが、下り1番から上り本線へ進出できる配線になっていたのでしょうか。上り本線と下り本線の間には渡り線はなかったと記憶しているのですが……。

 そもそも、なぜ下り1番の大宮方に出発信号機が建植されていたのか、この写真を見て不思議に思っております。

 下り1番は下り本線に沿って大宮方に延びていますが、その先は砂利の積込線で側線でした。

 私の記憶では、下り1番を利用していたのは下り貨物列車のみなのですが、熊谷仕立ての上り貨物列車があって、下り1番から出発していたのでしょうか。

 どなたかご存じの方、いらっしゃいますか。

岼陸昶さん

これはおそらく「突放入換標識」ではないかと思われます。
現在は郡山駅にしか現存していないと思われます(もちろん郡山駅で突放による入換は行われておらず昔の設備が残っているだけ)。
見た目は信号機のようですが灯火の色は全部白(電球色)で背中合わせで両方向から現示確認出来るようになっています。
ご指摘の物も背中合わせのように見えるので「突放入換標識」かと思われます。

JR世代さんと同感です。
カラー写真であれば区別しやすかったかもしれません(汗)。

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