« 白石 1978/7/20 | トップページ | 会津滝ノ原 1979/7/20 »

2008年11月21日 (金)

福島 1978/7/21

福島11:11発-(1106M~6106M「まつしま2号・ざおう1号」)→上野

1106Mは郡山までが定期列車で、郡山から上野までは季節列車でした。

197807211

197807212_2

197807213

見にくくってすみません。一応福島駅の配線図です。
東北線と奥羽線の分岐駅で、福島機関区・福島客貨車区が設けられています。
かつては本屋の向かい側あたりに扇形庫を持つ機関区(福島第一機関区?)があり、その後電機用の機関区(福島第二機関区?3番目の配線図の右上部)を新たに設けたようですが、この時点では扇形庫もなくなって名称も福島機関区になっていました。
客貨車区は1番目の配線図の中央上部なんですが、ほとんどかすれてしまってわかりませんね。
福島機関区は当初東北線用の交流機の中心基地としてED71が大量に配置されていましたが、ED71の老朽化・廃車にともなう代替機のED75は長町や盛岡・青森に配置されたため東北線用の基地としての性格は次第に薄れ、代わりに奥羽線や仙山線・磐西線用のEF71・ED78・ED77といったここでしか見られない機関車が配置される個性的な機関区になっていました。
残念ながら機関区も客貨車区も今はありません。

1978年当時の写真がなくて申し訳ないのですが、代わりに2005年11月3日撮影の写真を掲げます。

20051103a40
東京方です。
右側はかつての客貨車区です。

20051103a13
東京方です。
車止めは標準軌の線路の終端です。

20051103a03
東京方からです。
よくあるパターンで、線路の跡地は駐車場です。

20051103a24
阿武隈急行線の電車かな?
福島交通のりばはその右側です。

20051103a26
青森方です。

20051103a11
標準軌の電車が入れるのは切り欠きの5番線と左手前の6番線です。

20051103a04
米沢方です。

20051103a69
青森方からです。
線路の残骸が見えますが、福島交通線とは線路はつながっているようです。

20051103a66
正面が東北線・青森方、左が奥羽線・米沢方です。
線路の痕跡が残っています。かつては複雑に線路が入り組んでいたのでしょうね。

20051103a56
米沢方からです。
レールが残っています。

20051103a36
新幹線ホームの青森方です。
山形新幹線が左に分かれていきます。
当然ですが、信号機があるんですね。

20051103a73
米沢方からです。
左側の線路は地平の在来線ホームに、右側の線路はかすかに見える坂道を駆け上って高架の新幹線ホームにそれぞれ至ります。

20051103a72

ここで在来線と新幹線が振り分けられます。
シーサスではなく渡り線が2組設けられています。
米沢方です。

20051103a74
米沢方からの(第一?)場内信号機です。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 白石 1978/7/20 | トップページ | 会津滝ノ原 1979/7/20 »

コメント

ある雑誌で福島区が掲げておりましたが、買わずにおりました。米沢方や金谷川方を後から知って、いつも俺は鈍感なんだと思っているとき、福島第二機関区の図示。感謝するしかない!

見づらい図でゴメンナサイ。また、当時の写真もなくてもっとゴメンナサイです。

【福島】 郡山から再び東北新幹線の乗客となった私は福島に到着しました。 87年元日の朝、瀬戸で東京駅に降り立ってから約7時間後には福島機関区に居たことになります。 ホームからの写真だけの郡山を含めると、水戸 小山 宇都宮と、ここ福島で五ヶ所目となり撮影効率も上がって来ました。 当時の福島機関区には目当ての転車台や扇形庫もなく交流電機しかいなかったのですが、以前は第一機関区と第二機関区があり、その様子や現在の板谷峠越え基地を体感したかったので訪問することにしました。 今のペースなら夕暮れまでに目標としていた長町機関区の訪問も可能だと思い、福島機関区の所在地もわからなかったので足速にタクシーで福島機関区(以前の福島第二機関区)へ向かいました。 機関区の入口までに何やら赤い交流電機が4重連 5重連と並んでいます。 番号を見るとビックリです。 既に保留車でしたが、福島機関区配置の交流機関車の試作機900番台やトップナンバーばかりがずらりと手を繋いでいます。(帰路に確認すると、ED77-901 ED78-901 EF71-1 ED77-1 ED75-1 でした) 夢のような光景の出迎えを受け機関区の事務所へ伺いました。 福島機関区の敷地は奥羽本線を挟む形になっていて、注意事項を確認し興奮冷め止まぬ間に構内へ脚を踏み入れました。 すると今度はED78のトップナンバーが前面に日章旗とヘッドマークを掲げ何処からか移動してきました。 当時の写真で確認すると、福島機関区創設100周年のヘッドマークだったようです。 役目が終わったのか目前で日章旗とヘッドマークの取り外し作業となりました。 元日だからでしょうか構内には機関車が連なり何十両もの赤い電機がひしめいています。 重連どうしで出入区の入換え作業もあり、小雪が舞い散るなか何両もの交流電機が連なり目の前を行き来する迫力のある光景が繰り広げられています。 ED75-701とED78-1が近くで顔を揃えています。 交流電機5型式のトップナンバーがこの福島機関区構内にいることになります。 構内は赤い電機が数多くたむろしていましたが、数ある交流機で印象に残ったのは、意外にも台車間がコンパクトにまとまったED75型700番台でした。 もう少し見馴れぬ赤い電機群を堪能したかったのですが、時間的にゆとりがなく、早めに事務所に戻り板谷峠の話を聞いてみました。 やはりEタンクの4110型やE10型の事が聞いてみたかったのです。 しかしながら、それらのタンクロコが活躍していた戦後すぐの庭坂機関区をご存知の方は60年3月のダイヤ改正の頃に退職されたのこと‥。「もう少し早ければねぇ‥、我々も当時の話をもっと聞きたかったんだけど‥」助役さんも残念がられていました。 福島駅の側に在った福島第一機関区の話も聞いてみたところ、それならこんな資料があると差し出しされたのが、発刊されたばかりの『福島機関区100年史』でした。 内容を拝見すると、福島機関区の歴史や写真は勿論、庭坂機関区の項目まであり、車両配置表や配線図までも網羅してあり、私にとって垂涎の資料に違い有りませんでした。 その時の私の顔があまりにもそれを欲っした表情に見えたのでしょう、助役さんがその『福島機関区100年史』を「ほんとは部外者には譲れないんだけど‥」と、ご好意で譲って頂き、言い表せない嬉しさを感じました。 (同時期、亀山機関区では販売品の沼津機関区史を拝見しましたが高価で手が出ませんでした) 更に交流機の話に話題が及ぶと、閉ざされた検修庫の方に、保存するため整備落成した東北本線交流機のパイオニア ED71のトップナンバーが居るとのことで、(なんとこれで6型式目のトップナンバーです)帰りに庫内での撮影許可も頂きました。(DD14やDD15の除雪車と共にピカピカのED71-1が堂々と鎮座していました) 転車台や扇形庫のない福島機関区でしたが、職員の方のご好意に大いなる収穫となりました。 板谷峠の直流電化で庭坂機関区の発展的解消(支区に改変)で福島第二機関区が開設され、当初は仕様変更された新鋭EF15、後にそれを改造したEF16、その後に新性能機EF64の配置がありました。 ただ、昭和34年に検修車庫が新たに増設され、第一機関区、第二機関区が統合されたそうで、昭和43年の交流化や、それまでのSL全廃の機会で統合されたのではなかったようです。 以前の福島第一機関区は福島駅の側線外側中央付近に在り、最盛期はC59を筆頭に50両以上のSLを擁し、戦前はC54が7両も配置されていたようです。 また、転車台を中心に5線の検修線を有する標準的な構造の20番線級扇形車庫と東京方の少し本線寄りに明治期の大型3線式短形庫を有していましたが、 意外にも扇形庫が先に姿を消し、短形庫の方が数年長く残っていたようです。 新幹線開通の関係でしょうか。 機関区を後にする時、職員の方々の記念集合写真の撮影現場に遭遇したり、助役さんが機関区から福島駅新幹線口へ近道の地図まで手書きして頂き、足取りも軽く駅を目指しました。 福島駅から、みたび東北新幹線の乗客となった私は、仙台機関区なきあとの東北の要、長町機関区へと向かいました。 福島機関区で盛り沢山の成果を得た私でしたが、当日最後となる次の長町機関区では痛恨のミスを犯す事となります……。

E10さん、なんとも貴重で、そしてうらやましい体験ですね。
私も1978年に福島へは行っているのですが、駅の写真は1枚も撮影しておらず、機関区には足を運んでいません。いったい、福島で何をしていたのやら・・・。
せめて機関区には行っておけばよかったなあ、と大変後悔しています。

 1964年夏でしたか山形の蔵王温泉に家族旅行で出掛けた時 当時福米はまだEF16の天下でした奥羽本線を挟んで米沢に向い左側が直流機用機関区でEF16 がぞろぞろ並んでました右側は交流幾用機関区でED71が並んでました 直流幾用機関区隅には夏場用の無い蒸気暖房車が十数両留置されてましたそれは壮観でした 多分福米間で使用されていたのでしょう 

yyoshikawaさん、かつての交通の要衝も今となってはすっきりとした駅になってしまいましたね(個人的にはさびしい限りですが)。

 1978年の配線図良く見ると福島交通鉄道線(飯坂線)も破線で記載されてます多少の貨物輸送も有った様で一応授受線が図から読み取れます
 現在阿武隈急行は福島交通とJRとの間に割り込んでますが此方は交流電化線ですので特に無電区間等無くダイレクトに構内に入れますが 潮流電化の福島交通は線路は繋がっていても授受線部は架線が張られていません掲載写真から読み取れますね

yyoshikawaさん、架線電圧とか保安装置とか、線路以外にもいろいろあるわけですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/43184158

この記事へのトラックバック一覧です: 福島 1978/7/21:

« 白石 1978/7/20 | トップページ | 会津滝ノ原 1979/7/20 »

過去の記事

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ