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2008年10月25日 (土)

藤並 1980/3/13

和歌山-(1338M)→藤並16:03着/16:59発-(1340M)→御坊

1338Mはクハ111-93、1340Mはクハ111-338に乗車しました。

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この付近には、南海貴志川線、野上電鉄、有田鉄道、紀州鉄道といった私鉄が存在しましたが、いずれも営業キロが15km以下、紀州鉄道にいたっては3.4kmというミニ鉄道でした。
藤並駅にはそのうちの有田鉄道が接続しており、11往復のうち4往復は国鉄の湯浅まで乗り入れているところが他とは違った特徴でした。

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亀山方です。
配線図には専用線と記載されていますが、すでにその役割は果たしていないような・・・

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亀山方からです。

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亀山方です。
蒸機が保存されていますね。

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亀山方からです。
紀勢線上り乗り場と有田鉄道乗り場は同じホームですが、柵で区切られています。

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有田鉄道のDLです。
写真左端には腕木式の出発信号機が見えます。

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亀山方です。
ホーム上には有田鉄道の信号てこがあります。

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名松線の家城駅もそうでしたが、片方にだけ電気鎖錠器がついています。

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和歌山市方からです。

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和歌山市方です。

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和歌山市方です。

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和歌山市方からです。

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金屋口方です。
場内信号機が見えます。

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和歌山市方です。

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金屋口から有田鉄道のDCが到着しました。これから国鉄線上を隣の湯浅駅まで走ります。
国鉄キハ28/58とソックリですが、両運です。

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コメント

 初めてカキコさせていただきます。私は「奥野君の専用線日記」という変なブログで専用線の廃線跡巡りもしているのですが、さすがに今の時代、どこに専用線があったのか分からないところも多いです。でも貴ブログを拝見させていただくと、なんと線路図が〜〜 紀勢線藤並駅の謎の専用線も記載されているではありませんか。その上写真まで。
 で、お願いですか、すでに貴ブログを参考にいくつか回らせてもらっていますが、アップ時にこんな風にリンクさせていただいてもよろしいでしょうか。あまりの変わりようにショックを受けられるとは思いますが(どこかであまりそんな絵は見たくないと書かれていたもので)。よろしくお願いいたします。

奥野君さん、コメントありがとうございます。
廃止専用線・・・、なんともマニアックですね(笑)。
リンクについては全然OKです。
藤並駅、キレイになりましたね。廃線跡=遊歩道ってよくあるパターンですが、ここに昔は線路が敷かれていたってこと、忘れないでいてほしいですね。今後ともよろしくお願いします。

 おはようございます、奥野君です。
 リンク承諾、ありがとうございます。これからも寄らせてもらいます。
 遊歩道。ここはどこまで続いているのか、いつかたどりたいなと思っていますが、年末に行った東武妻沼線は、線路跡公園のお手洗いまで当時走っていた「カメ号」を模していました。愛されていた鉄道だったのですね。
 ではでは。

きのくに線の藤並駅は京都駅からですと特急くろしお号が止まりますかとのことですが、

奥野君さん、私の家の近くには50年くらい前まで電車が走っていたのですが、自治会の集まりなどの時は長老の方々が「よく線路にクギを置いて遊んだ」などと懐かしそうに話しています(愛されていたのとはちょっと違うかも)。
巽孝一郎さん、定期列車の特急くろしお号は止まるようですね。

この時の有田鉄道は既に衰退期に入っていたと
言われますが、なかなか堂々とした地方鉄道ですね。うん。当然ですが最初から土日運休のはずもなく・・・ただし地方に住む身としてはクルマが無いと身動きがとれないのも事実。昭和30年代から現代まで続く解決策の無い難問ですね。

ひかりなまさん、クルマの運転のできない方にとってはたとえ小規模の地方私鉄であってもなくてはなあない存在ですね。

 藤並駅に最初に辿り着いた鉄道は?有田鉄道が湯浅の町の海岸から金屋口間開業時未だ紀勢線は藤並には達して居りませんでした 鐵道開業時より日本の鐵道網構築には地方毎に建設陸の孤島鐡道が各所に開通其れが徐々に延伸し連絡され各幹線が構築されました(官鐡の場合幹線私鉄は都市から都市へ結ぶのを目的に延伸)
 北海道炭鉱鐡道北海道官設鐵道北海道鐡道は北海道内のみですので自動連結器使用(北海道官設鐵道は当初内地と同じ螺旋連結器使用後自連化)釜石鐵道はナローゲージで釜石大橋間鉱石輸送 新宮鐵道は新宮付近 讃岐鐵道は本州とは車両遣り取り無し 伊予鐵道は港と松山間を結ぶのみ 宇和島鐵道は宇和島から内陸部へ 九州鐡道は九州内に路線を伸ばすだけ 宮崎県営鐡道は油津から内陸へ 沖縄県営鐡道は那覇から各地へ伸ばした 地域だけの鐵道は其処だけで完結する様建設された路線が多々存在してます 此れの大掛かりなのはアフリカや南米の鉄道網です舞陸部の鉱山や巨大農園からの産物を港へ運び物資を内陸部へ送る路線が殆どです 余談ですがコンゴからケープタウン迄の鉄道は日本と同じ1067㎜軌間で建設軸重は狭軌乍当初より20屯の為狭軌最大級の蒸気機関車を保有してました
 有田鐵道も当初紀州のミカン搬出の為産地と港を結ぶ様敷設後紀勢線が藤並迄延伸される迄は陸の孤島でした 紀勢線延伸で平行する藤並油浅間は戦時中不用路線として軍命で撤去され代わりに藤並から油浅迄有田鐵道の車両が紀勢線に乗り入れする事を認めたと云う経緯が有るのでした 孤島的鉄道は模型的な感じで面白いものです

yyoshikawaさん、孤島的鉄道が誕生するに至った背景の多くは貨物輸送なんでしょうね。悲しいことに今では全く考えられませんが。

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