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2008年10月22日 (水)

和歌山市 1980/3/13

和歌山-(121レ)→和歌山市12:52着/13:15発-(128レ)→紀和

121レはナハフ101、128レはオハフ33110に乗車しました。

198003iama
絵に描いたような頭端型の終着駅です。
国鉄の列車が発着しますが、この駅の亀山寄り1kmぐらいのところに国鉄と南海の分界点があり、そこから先は南海の所有です。
南海線への渡り線もあるはずなのですが、配線図には記載されていません。

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乗ってきた121レが機回し中です。
右側の、荷物を積んだ台車(?)を引いてホーム上を走り回っていたトラクタ(?)も懐かしいですね。

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ホームの反対側には南海電車です。

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一応紀勢本線の終点ということになるのでしょうか。

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出発信号機は2灯式です。

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121レ折り返しの128レ新宮行きです。
DD13牽引の客車列車は珍しかったと思います。
3月ですが、当然暖房なしだったのでしょうね。
それにしても違和感のある風景ですね。

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コメント

はじめまして。
和歌山市の昔の写真を見たくて検索して、
このブログにたどり着きました。
和歌山市駅の1番線から電車が出ていた時代が、
あったことに驚きました。
そして、和歌山市駅そばの紀ノ川8号踏切が、
手動の遮断機のみだった時代の写真を、
見ることができたことをうれしく思います。

じゅんじゅんさん、初めまして。
たいした写真でなくて申し訳ありませんが、昔を知る一助になれば幸いです。

この白黒画像は今から33年前の和歌山市駅の様子ですが、当時の和歌山市駅には南海本線の難波から急行きのくに号が乗り入れをしていましたが南海本線の難波から急行きのくに号は何年前に廃止をしましたかとの事ですが。

難波直通のきのくには60.3改正のきのくに全廃時に道連れになりました。
しかし非冷房のキハ55系姉妹車がこの時期まで優等運用とかね。最終きのくにが難波に着いた時の写真を撮りましたがもうどこに行ったのやら、そのあと天王寺駅阪和線ホームにもう二度と見ることのないキハ58系きのくにの回送車を見に行きました。翌日には天王寺駅で485系くろしおを、しかもあのクハ481-200が貫通路を使用している!姿に感動したものです。

名無しさん
クハ481-200は貫通扉付きと言われながら、いったいいつになったら使われるんだろうと思ったものでしたね。

和歌山市駅は紀勢本線の終点である。が、南海電車の所有電車のあり、はっきり言って和歌山の盲腸線である。客車を使わなくなったことで、機回しがなくてホーム1線となった。
国鉄時代、2両の南海電車所有のディーゼルカーが和歌山まで行って、天王寺始発のディーゼルカーの急行‟きのくに”に併結して白浜まで行き、一度白浜駅で見た。南海電車は今でも希望しているらしいが、JR側が拒否している。JRグループでも特に、各駅停車の総合乗り入れなくなると、私鉄からは尚更である。同じ狭軌の所は貨車が乗り入れていた。
みさき公園へ行った帰りに,和歌山市へ寄り当時は、蒸気機関車があって今では想像が付かない。2両の電車ワンマン運転で、227(1000)系を最初に乗った所になった。
和歌山市が、和歌山と言い。今の和歌山は、東和歌山と言っていた。紀勢本線は亀山が起点になり、阪和線は天王寺始発。和歌山線は王寺始発でともに関西本線の支線で和歌山へ入る3路線は、下りになり、三重県内がJR東海でか?和歌山を出る普通電車の列車番号は奇数になっている。

昭和30年前後の客車暖房について、各席(全部ボックス席)の窓側下にパイプが通っていて釜の出す俳蒸気を通して暖房するという、実際父に連れられ旅行でもないが乗ったときカバーに保護されたそのパイプ(6本ほど並んでいた)後部の車両まで届くか子ども心に疑った。しかし冬に外部から8両連結の最後尾から湯気が出ていたのを見たこともある。それらの客車には硝子窓とよろい式木製日除けと煤煙よけ網戸、全部上下に動くが付いてあった。実際乗車した記憶は、彼岸花が咲いていたので9月、暖房は不要だっただろう。御坊ではいなり弁当を売っていた。思い出したが「ちあきなおみ」が「動き始めた汽車にひとり飛び乗った」あの車両です。

音さん
>客車暖房
利き初めにカチンカチンと大きな音のするヤツですね。
>動き始めた汽車にひとり飛び乗った
喝采ですね、懐かしい。
列車のドアが手動なんて今では到底考えられませんが、私も子供の頃はそのスリルを味わわせてもらいました(笑)。

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