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2008年10月23日 (木)

紀和~紀伊中ノ島 1980/3/13

和歌山市-(128レ)→紀和13:20着-(徒歩)→和歌山機関区

和歌山市駅は一風変わった駅でしたが、この紀和駅もちょっと変わっています。
かつては和歌山駅として終端のターミナルであったものが和歌山市駅にその地位を追われ、やがては駅名までも東和歌山に奪われるという、悲運の駅かもしれません。

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和歌山市方です。
妙にただっ広い構内はかつてのターミナルの名残でしょうか。
写真の右上のあたりには・・・・

19800313c03
洗車用の台でしょうか。
この時点から30年ほど前までは、和歌山機関区が設けられていたようですので、その遺構と思われます・・・・それにしても30年も前の????

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こんな感じ。

19800313c04
本当に妙に広く、不思議な駅です。
さらに不思議なことがひとつ。客車が1両止まっています。
これは和歌山から和歌山市まで乗車した121レから切り離されたものです。
夜になると和歌山市まで回送され、4924レとして和歌山に向かい、天王寺から来る924レ「はやたま」に併結されます。なんという非合理的な運用でしょう!
(個人的にはこういうのは大好きですが・・・・)

19800313c06
和歌山市方からです。

19800313c02
亀山方です。
駅舎も風格があります。
写真中央やや左に給水タンクが見えますので、そのあたりに転車台などがあったのかもしれません。

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亀山方からです。
転てつ器の残骸です。

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亀山方です。

19800313c09
さらに進んでいくと高架を走る阪和線の電車が見えてきます。
和歌山に向けて線路は右にカーブしていきますが・・・・

19800313c10
その左側には直進する線路があります。
(民家と一体化していますが・・・)

19800313c11
右端に和歌山駅の上り遠方信号機と紀和駅の下り場内信号機が見えます。

19800313d01
かつての和歌山線の紀伊中ノ島駅です。
ホームがしっかり残っています。

19800313d02
王寺方です。

19800313d03
王寺方からです。
入信には注意しないといけません。

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コメント

かつて国鉄の和歌山の表口でもあった紀和駅に車両基地があったと初めて知りました。新在家に基地がうつるまで、今では朽ちた洗浄台が使われていたと想像すると一ファンとすれば切なくなります。和歌山線が高田方から延びてきた成り立ちや、紀勢西線がここから南下していった事情を考えると一大基地があったのだろう。南海は和歌山市駅に、阪和電鉄は東和歌山駅にちょっとした設備があったし、紀和駅の基地設備は当然のことだったと思い直している次第。

記録を調べると新在家に移転したのが訪問の30年くらい前なんですよね。それにしてはけっこう当時の姿をとどめていますね。

初めてコメントさせていただきます。

写真に写っている客車は、昔南海難波駅から新宮駅まで客車を直通させていた名残です。
和歌山市駅に車両を留置する事が出来ないので、構内に余裕がある紀和駅で留置することになったのだとか。

今、この駅は高架駅となって、昔の面影は全く無くなりました。

そういう歴史があったのですね。それにしても紀和駅の変貌は個人的には残念な限りです。

和歌山線の橋本に住んでいます。堤と申します。 以前から、紀和駅の配線に興味を持ってたのですが、なかなか資料がなくて、、このサイトに出会えて興奮しております。 S30~S36頃は、もっと複雑で、まるでデルタ地帯を彩るアートだったみたいです。紀伊中ノ島にまで、紀和に収め切れなかった、客車留置線があった程。 参考写真、、http://mahoroba.kir.jp/sepia/wakayamasen3.htm ハワイで住んでいるときに、めぐり合えたサイトですが、先ほどの留置線が微かに見れます。

http://mahoroba.kir.jp/sepia/wakayamasen3.htm  でした。すみません。

tsutsumiさん、いらっしゃいませ。
私が訪問したときは残念ながらすでに「遺構」でした。参考写真の頃に行ってみたかったですね。

紀伊中ノ島の客留線です。http://mahoroba.kir.jp/sepia/wakayamasen3.htm  セピアさんから借りてきました。

tsutsumiさん、だいじょうぶですよ。そのURL、以前にお聞きしていますから・・・・(笑)

ご無沙汰しております。堤です。いつも楽しみにこのサイトを拝見させて頂いています。 あれから、いろいろと調べてみたのですが、1960年前後の紀和駅の配線図が見つかりません。もし、ご存知でしたら教えていただけませんでしょうか?ひっきりなしに機関車を付け替えていた頃の、活気ある紀和駅が夢にまで出てきます(大袈裟かな?) よろしくお願いいたします。

堤さん、お久しぶりです。1960年頃の紀和駅はちょっと厳しいかも・・・。ちょっとお時間を下さい。

無理なお願いをして申し訳御座いません。 時間が取れればでかまいませんので、よろしくお願いいたします。  堤

和歌山線の紀伊中ノ島駅ができたのは今から何年前の事でしょうか、

巽孝一郎さん、停車場変遷大事典によれば和歌山線に紀伊中ノ島駅が設けられたのは昭和10年(1935年)のようですので、今から77年も前のことですね。

和歌山線で紀伊中ノ島駅が廃止になったのは昭和何年頃でしょうかとのことです、

巽孝一郎さん、wikipediaによれば昭和49年廃止とのことです。

初めて拝見いたしました。すばらしいです。ものごころつく前に消えてしまった地元の鉄路。そしてかつては大規模なターミナルであった時代と現代とのあまりにも大きな落差。兵どもが夢のあとですね。

ひかりなまさん、コメントありがとうございます。本当に夢の跡ですね。できれば兵どもが活躍中に来たかったのですが。

中学生のころ、初めて紀和駅を通る電車に乗りました。
そのころには紀和駅もこの写真よりは規模が小さくなっていました。
今年3月まで、南海電車で通勤しており、
和歌山市駅まで行くのに、JRを利用していましたが、
今ではすっかり高架駅です。
都市化されて、なぜか寂しさを感じました。

じゅんじゅんさん、かつてはターミナル駅だったことを考えると、ずいぶんと寂しくなってしまいましたね。合理的と言えばその通りなのでしょうが。

大昔から紀伊中之島駅のすぐ天王寺側が高架になっていて、昭和30年にはその下は国道だった(現在はバイパス国道ができたのでそこは県道)。平面踏み切りでなく立体交差は、当時の交通量から考えて贅沢中の贅沢であった。これは、阪和線が、和歌山発紀勢線(紀勢西線)の後で工事され、和歌山線の上を通り完成したからだと思う。おかげで、自動車時代の新工事ならおそらく、道路が線路を跨いでいただろう。

音さん、至れり尽くせりの立体交差だったわけですね。

1980年。なつかしい。写真の子供くらいの時にこの駅で遊んでました。いい時代でした。

写真の橋げたの下の駅のホームの写真はかなり古いですよね?40年前くらいの頃にはホーム自体がなくただの道になっていたと思います。

yumeさん
橋げたの下の駅のホームの写真は1980年撮影です。ですので40年くらい前はまだこんな状態でした。

紀和の客車の運用
和歌山市(4924列車)和歌山(924列車)亀山(921列車)新宮(121列車)紀和(回4923列車)和歌山市と複雑な運用しています。天カメ所属でした。何故?紀和に留置する問題が出ますけど紀和と和歌山市間は南海の所属になる為に和歌山市に留置すると留置料金が発生します。南紀ワイド周遊券では紀和から和歌山市は区間外となっておりますので和歌山市で下車すると料金が発生しました。たしか今も和歌山市駅は南海の管理駅になっております。今は電化されていますけどJRと南海のポイント部分は非電化ですので甲種輸送はDE10頼りです。線路はJR、駅は南海。ポイント部分に分界点があります。

はやたまさん
南海との微妙な領地関係があるのですね。

子供の頃、この近くで住んでいたので非常に懐かしいです。和歌山線の跡地でよく遊んでいました。

うらさんさん
私も似たような経験がありますが、列車の来ない線路で遊ぶのって妙に楽しいんですよね。

1枚目からの画像配信は高架工事着手前による紀和駅のものですがちなみに紀和駅の高架工事が完成をしたのは何時ごろでしょうか、

おそらく2008年頃ではないかと思います。

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