鳥羽 1980/3/11
多気-(2847D)→鳥羽14:50着/15:51発-(2852D)→伊勢市
参宮線の終点です。
ローカル線ではありますが、さすが観光地の窓口らしく優等列車(そのほとんどは伊勢市~鳥羽間は普通列車でしたが)が3往復ほど設定されていました。
行き止まりの1番線と貫通(?)の2番線の2本の本線があり、いずれにも機回線が設けられていますが、定期での客車列車の設定はありません。
多気方からです。ホームの幅は結構広いですね。
左側は近鉄線です。
DCは2847D折り返しの2852Dです。急行の間合いでしょうか。
PCは廃車待ちっぽいですね。
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暇人通信 1960年代頃の撮影と思える鳥羽駅俯瞰写真をネット画像で見た事がありました 其の写真では当時駅構内の際迄海が迫っており更に多気寄り構内外れの海際にターンテーブルが有りました更に三重交通志摩線が参宮線頭端ホームの先の方にホームを造って接続して居りました駅前広場に側の山へ上るエレベーターが存在していた様です後日火災で駅舎と共に焼失したとの話です国鉄構内海側分部を利用して近鉄が乗り入れて志摩線を近鉄お得意の改軌改良で賢島駅迄直通出来る様にして上本町から特急直通運転開始したのが1970年でした
投稿: yyoshikawa | 2014年9月 4日 (木) 18時48分
yyoshikawaさん、私も見ましたが、ホントにギリギリまで海ですね。転車台は鳥羽線開業の際に撤去されたのでしょうか。
投稿: f54560zg | 2014年9月 7日 (日) 18時15分
暇人通信 今の鳥羽駅は規模縮小されましたが嘗て海岸沿いに三重交通志摩線側迄線路がのびており可也な規模の駅だった模様でした 客車の一部を此の構内に留置していたらしい写真もネット上で見かけました 余談ですが三重交通志摩線の車庫も此の構内に隣接して存在してました
投稿: yyoshikawa | 2014年9月13日 (土) 20時40分
1960年代の幼少の頃、夏休みになると両親に手を引かれ近鉄名古屋駅から大きなボストンバッグに土産物を詰め込んで、故郷の神島に向かいました。
まだその頃は、転車場もありましたし石炭陸揚げ用のクレーンなども建っていました。
帰りは何度か国鉄鳥羽駅から蒸気機関車にけん引された列者を利用したこともあり、両手に持ちきれないほどのアワビやサザエの入った籠を持つのを手伝わされたのが嫌であった思い出があります。
今ではすっかり寂れてしまいましたが、潮のかほりと、車止め直前の機関車入れ替え用のポイントと枕木が、当時のまま残されているのが嬉しいです。
投稿: 大仏屋 山田才吉 | 2020年11月 4日 (水) 14時15分
大仏屋 山田才吉さん
懐かしい思い出をありがとうございます。石炭陸揚げ用のクレーンがあったのは意外でした。
投稿: f54560zg | 2020年11月 7日 (土) 22時07分