松戸 1979/7/11
常磐線の車両基地、松戸電車区がありますが、電車区は本線から離れているため車窓からはほとんど見えません。
図の上側2線が快速線、下側2線が緩行線で、入出区のため、快速線・緩行線とも中線が設けられています。
6番線の日暮里方です。
左側への分岐が松戸電車区への入出区線です。
以下は1977年11月29日の松戸電車区です。
黄色いのはネガの傷みです、ゴメンナサイ。
左側の茶色いヤツはクモヤ90004です。
クモヤ90055です。
当時松戸区には2両のクモヤ90が配置されていました。
以下は1979年6月25日撮影です。
これも珍客です。回9413Mです。
緩行線の軌道検測を行うため、尾久からマヤ34が連れてこられました。
手前から、クモヤ143-12+Tc103-1006+マヤ342003+MM'1012+MM'1005+クモヤ143-11です。
マヤ抜きの7連で尾久まで迎えに行き、尾久でマヤを挟み込んで松戸まで戻ってきたところです。
クモヤ143は2両とも松戸の所属で、これにより先のクモヤ90は2両ともお払い箱になっています。
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複々線工事開始前の松戸は駅舎側一線島式二線で上下共用中線と島ホーム外に側線がある標準的配線の駅でした 戦前松戸迄電化された折中線を電車折り返しに使用し松戸電車区入出庫線がプラスされました 其の後取手迄電化区間が延伸され中線は退避及び車庫入出庫折り返しに使用されてました
投稿: yyoshikawa | 2015年1月 7日 (水) 09時54分
1971年綾瀬我孫子間が複々線化された折快速線使用車両を103系に統一しましたが平日朝のダイヤで如何しても一本運用編成が足りなくなり本来ダイヤ改正後転属予定の73形を急遽再使用する事になったが103系でダイヤを組んだ関係で足の遅い73形ではダイヤに乗れぬ危険が有り仕方ないので7M1T若しくは8M0T等電動車比率も高い編成で乗りきったのです 旧形国電史上唯一の全電動車編成は首都圏主要線から旧形国電が撤退した時期の最期の打ち上げ花火見たいでした
実際二回乗車しましたが其の走り振りは強烈でしたグイグイ加速100km/h辺りまで出すが常に力行せねば成らず暴走族さながらに釣り掛け音を轟かせ松戸までカッ飛ばしてました 103系増備編成が揃った時点で此の運用は終了し首都圏主要線区から旧国旅客は終了しました 此の時点で南武横浜青梅鶴見等は当時まだ旧国は残ってました
投稿: yyoshikawa | 2015年1月 7日 (水) 10時38分
常磐線複々線化後大問題が発生した其れは緩行線が営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線に直通する様になり快速線は北千住から松戸迄中間の綾瀬亀有金町をパス然も綾瀬からは千代田線となる
其の事は取りも直さず営団(東京メトロ)がストを起こすと松戸迄の三駅からの乗客松戸以遠の六駅の乗客が松戸に集中する 事実大混乱を起こした事も有りました 或る時国鉄の駅を専門に設計等をしていた人が金町松戸間で緩急が立体交差しておるが何故せっかく立体交差させるなら松戸駅を方向別にしなかったのかと残念がっていた話を其の人が書いた著作物に記載されてました
投稿: yyoshikawa | 2015年1月 7日 (水) 16時38分
yyoshikawaさん、複々線化完成後も旧国が一部残ったのは知っていましたが、MT比までは知りませんでした。
常磐線複々線化完成当時は大不評でしたね。綾瀬・亀有・金町の利用者にとっては、今までは直通で上野まで行けたものが北千住で乗り換えをしなければならなくなってしまったわけですから。
投稿: f54560zg | 2015年1月11日 (日) 13時35分
時々話題に昇る進駐軍制作12500分の1地図を先日て初めて閲覧 終戦直後の鉄道状況がつぶさに解る優れものでした
松戸と表示した地図を開くと松戸電車区脇からナロゲージと表示した線路が伸びております鉄道連隊の実習線の名残りだと思いました 此の時代未だ新京成電鉄は開業しておらない頃江戸川を渡った先はど田舎と云う雰囲気 戦後暫くして住宅が建ち始め沿線人口が増え東京圏通勤電車区間旧国最長9両編成が走る様になるとは此の時代には想像出来ないものです
投稿: yyoshikawa | 2015年2月11日 (水) 16時29分
はじめまして。突然の話ですが当時の千代田線は
松戸あたりでどれくらい混んでいましたか?押さないと乗れないくらい混んでいましたか?
教えていただければ幸いですが?
投稿: 花 | 2016年1月11日 (月) 18時51分
花さん、はじめまして。
ゴメンナサイ、通学では千代田線を使っていませんでしたので、混雑具合についてはわかりませんです(汗)。
投稿: f54560zg | 2016年1月14日 (木) 22時31分
yyoshikawa さんが、 2015年1月 7日 (水) 16時38分の投稿で、「国鉄の駅を専門に設計等をしていた人」が松戸駅の配線に言及している旨書かれています。おそらく当該文章は「停車場の配線を診断する」(吉江一雄・著 日本鉄道技術協会・刊 昭53)だと思われます。
常磐線の複々線、総武線の複々線が方向別でなく、線路別で建設されたことはかえすがえすも残念という旨の記載があります。(同書66ページ)
一方、現在の松戸駅の配線について、こんな記載もあります。(同書90ページ)
下り方に作られた、Y線の引上げ線と、シーサス、及び2組の片渡りの配置は、「配線技術上深みのあるルール」と賞賛しています。
どこが優れているかというと、(1)下り本線からY線へ引き上げる車両と、上り本線から中線へ進入する列車との併行作業、(2)中線から下り本線へ進出する列車と、Y線から上り本線へ据付ける車両との併行作業とが、いずれも可能であるというのです。
ところが、シーサスを2組並べた配線では、そうはいかないのですが、そのような使いづらい配線の駅はたくさんある、という旨の記載があります。
6枚目の写真、跨線橋から緩行線下り方を撮影した写真を見ると、このあたりの事情がよくわかります。
投稿: NZ | 2019年5月25日 (土) 00時23分
NZさん
理想通りにはできない、人知れない障害があるのでしょうか。
投稿: f54560zg | 2019年5月28日 (火) 19時44分
NZ様御指摘の通り吉江一雄氏の停車場を診断するです此の本が出版された当時配線図関係の書籍は他には無く(国鉄内部では当然ですが各種の配線図は存在してましたが一般には見る機会は少なかった
時々実物誌に時々配線図が掲載されるだけでした
そんな折国鉄の駅設計のエキスパートが出版した停車場を診断するは感動物でした 同書には複線時代の松戸駅の配線図も掲載されており比較した記事もありました 複線時代は上下共用中線及び松戸電車区入出庫線駅舎側脇の貨物扱い側線上り側側線が有りました平均的な配線の駅でした
投稿: yyoshikawa | 2019年6月 6日 (木) 19時04分
大宝ビル、長崎屋・・・懐かしい風景が写っていますね!
投稿: 道草亭ペンペン草 | 2021年10月14日 (木) 05時17分
現在松戸在住のため、道草亭ペンペン草さんのホームページも拝見しております。昔の松戸駅周辺はこんな雰囲気だったんだなあ、と。
駅の周囲は目まぐるしく変化していますが、駅の線路の配線は複々線化後は全く変化していないようですね。
1枚目の写真の5番線ホーム上野方の切り欠きは電車区との職員輸送用ホームになる予定だったと何かで見たことがあります。もしそれが実現していたら、どんな配線になったか興味があります。
6番線につながる回送線のポイントがシングルスリップスイッチになって、5番線にも線路がつながっていたのかもと想像しています。
投稿: くまプー | 2021年10月14日 (木) 06時33分
おっしゃる通り、線路配線は変化していませんが周囲は様変わりのようですね。
>電車区との職員輸送用ホーム
実現していたら面白かったのに・・・
投稿: f54560zg | 2021年10月16日 (土) 14時26分