« 北松戸 1979/6/17 | トップページ | 金町 1979/6/17 »

2008年10月27日 (月)

松戸 1979/7/11

19790711

常磐線の車両基地、松戸電車区がありますが、電車区は本線から離れているため車窓からはほとんど見えません。
図の上側2線が快速線、下側2線が緩行線で、入出区のため、快速線・緩行線とも中線が設けられています。

19790711a01
5番線の日暮里方です。

19790711a03
6番線の日暮里方です。
左側への分岐が松戸電車区への入出区線です。

19790711a04
6番線の岩沼方です。
新京成線が隣り合わせです。

19790711a05
同じく6番線の岩沼方です。

19790711a06
6番線の日暮里方です。

19790711a07
岩沼方です。

19790711a08
4番線の岩沼方です。

19790711a09
3番線の岩沼方です。

19790711a10
岩沼方からです。3番線です。

以下は1977年11月29日の松戸電車区です。

19771129a04
珍客、クモヤ191-1+クモヤ190-1です。

19771129a03
元は181系です。

19771129a05
黄色いのはネガの傷みです、ゴメンナサイ。
左側の茶色いヤツはクモヤ90004です。

19771129a08

19771129a12
クモヤ90055です。
当時松戸区には2両のクモヤ90が配置されていました。

以下は1979年6月25日撮影です。

19790625a04
これも珍客です。回9413Mです。
緩行線の軌道検測を行うため、尾久からマヤ34が連れてこられました。
手前から、クモヤ143-12+Tc103-1006+マヤ342003+MM'1012+MM'1005+クモヤ143-11です。
マヤ抜きの7連で尾久まで迎えに行き、尾久でマヤを挟み込んで松戸まで戻ってきたところです。
クモヤ143は2両とも松戸の所属で、これにより先のクモヤ90は2両ともお払い箱になっています。

19790625a05
渡り線をクネクネと、緩行線を横切って電車区に向かいます。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 北松戸 1979/6/17 | トップページ | 金町 1979/6/17 »

コメント

 複々線工事開始前の松戸は駅舎側一線島式二線で上下共用中線と島ホーム外に側線がある標準的配線の駅でした 戦前松戸迄電化された折中線を電車折り返しに使用し松戸電車区入出庫線がプラスされました 其の後取手迄電化区間が延伸され中線は退避及び車庫入出庫折り返しに使用されてました
 

 1971年綾瀬我孫子間が複々線化された折快速線使用車両を103系に統一しましたが平日朝のダイヤで如何しても一本運用編成が足りなくなり本来ダイヤ改正後転属予定の73形を急遽再使用する事になったが103系でダイヤを組んだ関係で足の遅い73形ではダイヤに乗れぬ危険が有り仕方ないので7M1T若しくは8M0T等電動車比率も高い編成で乗りきったのです 旧形国電史上唯一の全電動車編成は首都圏主要線から旧形国電が撤退した時期の最期の打ち上げ花火見たいでした 
 実際二回乗車しましたが其の走り振りは強烈でしたグイグイ加速100km/h辺りまで出すが常に力行せねば成らず暴走族さながらに釣り掛け音を轟かせ松戸までカッ飛ばしてました 103系増備編成が揃った時点で此の運用は終了し首都圏主要線区から旧国旅客は終了しました 此の時点で南武横浜青梅鶴見等は当時まだ旧国は残ってました

 常磐線複々線化後大問題が発生した其れは緩行線が営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線に直通する様になり快速線は北千住から松戸迄中間の綾瀬亀有金町をパス然も綾瀬からは千代田線となる
 其の事は取りも直さず営団(東京メトロ)がストを起こすと松戸迄の三駅からの乗客松戸以遠の六駅の乗客が松戸に集中する 事実大混乱を起こした事も有りました 或る時国鉄の駅を専門に設計等をしていた人が金町松戸間で緩急が立体交差しておるが何故せっかく立体交差させるなら松戸駅を方向別にしなかったのかと残念がっていた話を其の人が書いた著作物に記載されてました

yyoshikawaさん、複々線化完成後も旧国が一部残ったのは知っていましたが、MT比までは知りませんでした。
常磐線複々線化完成当時は大不評でしたね。綾瀬・亀有・金町の利用者にとっては、今までは直通で上野まで行けたものが北千住で乗り換えをしなければならなくなってしまったわけですから。

 時々話題に昇る進駐軍制作12500分の1地図を先日て初めて閲覧 終戦直後の鉄道状況がつぶさに解る優れものでした
 松戸と表示した地図を開くと松戸電車区脇からナロゲージと表示した線路が伸びております鉄道連隊の実習線の名残りだと思いました 此の時代未だ新京成電鉄は開業しておらない頃江戸川を渡った先はど田舎と云う雰囲気 戦後暫くして住宅が建ち始め沿線人口が増え東京圏通勤電車区間旧国最長9両編成が走る様になるとは此の時代には想像出来ないものです

はじめまして。突然の話ですが当時の千代田線は
松戸あたりでどれくらい混んでいましたか?押さないと乗れないくらい混んでいましたか?
教えていただければ幸いですが?

花さん、はじめまして。
ゴメンナサイ、通学では千代田線を使っていませんでしたので、混雑具合についてはわかりませんです(汗)。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/42925371

この記事へのトラックバック一覧です: 松戸 1979/7/11:

« 北松戸 1979/6/17 | トップページ | 金町 1979/6/17 »

過去の記事

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ