直江津 1979/12/2
柏崎-(1322レ)→直江津10:13着/13:44発-(1337M)→黒井
1322レはオハフ452202、1337Mはモハ114-1071に乗車しました。
信越線と北陸線が合流する交通の要衝です。
旅客関係では行き止まりの1番線のほか貫通の2~6番線、貨物用では7~10の4本の本線があります。新潟方にシーサスが2つつながったように見えるところがありますが、これはダブルスリップのようです。北陸線の米原方はちょっと変わっていて、直江津の手前で複線から単線になっているかのように見えます。右上の貨物入換線は、ひょっとしたらかつての直江津港への貨物線の跡でしょうか。新潟方には変なところから貯炭場線や三菱化成専用線が分岐しています。
直江津機関区と直江津客貨車区が設けられており、機関区には車両の配置はありませんでしたが客貨車区には約70両のPCが配置されていました。
以下は2002年8月14日撮影です。
新潟方です。それにしても雑草が目立ちます。機関区のほうはそれほどでもないようですが・・・。
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信越線の成立上からも、日本海側縦貫の結節点という意味からも重要な駅である直江津はコンパクトで些か寂しい駅でした。ここが本社指定だったとは!最近ようやく空撮写真や地図を得ることができ、旧直江津への配線跡や、北陸高速道に埋もれている北陸本線の旧線跡等が確認できました。加えて戦前出版と思われる図書館の古い資料の配線図の中に、直江津駅と思われるものがあり、単線で分かれる西側の部分に転車台が描かれていました。真偽のほどは全く不明です。小生が訪れた時以上に寂しくなっているような写真を見て単なる通過駅になったんだなと嘆息している次第です。きっと数少ない仕訳線もはがされていくのでしょうな・・・
投稿: SY | 2008年12月 9日 (火) 08時43分
SYさんがいつ頃直江津に行かれたのかわかりませんが、1979年と比べても2002年はずいぶん寂しくなっていました。そこそこ線路がある割りに車両の姿が少ないこと、そしてその線路が雑草に覆われていることが余計に寂しく感じられました。
投稿: f54560zg | 2008年12月 9日 (火) 23時15分
先日、筒石から直江津まで普通列車に乗り運転士の後ろから前方を見ていましたが、まさにいまどき珍しい国鉄時代の遺物を見た感じでしたね。
1キロくらい手前から徐行し、単線になってから複雑に転線を繰り返してやっと4番に入りました。いまだに配線改良されていないのはJR東日本管理駅で乗り入れる西日本の路線が軽視されているかのようにも見えました。
はくたかなどの往き来する2番などは北陸下本からストレートに入れるように改良すべきでしょうね。
投稿: わんこ | 2011年5月29日 (日) 12時08分
昔は列車の速度も低かったのでさほどの支障がなかったのかもしれませんが、今の時代では結構な速度制限になっているように思いますね。
今は改良されたようですが、この当時は6枚目の写真でもわかるとおり、2番線は新潟方も安全側線のためにストレートには進出できない線形でした。
投稿: f54560zg | 2011年5月30日 (月) 23時32分