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2008年10月30日 (木)

鶴見線 1976/5/9 その1

197605091

鶴見線については、有名な路線ですのであえてコメントすることはありません。
とにかく専用線だらけで線路マニア泣かせです。

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右へカーブしているのが鶴見川口方です。
推進で向かうのでしょうね、きっと。

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こんな平面交差もありました。
正面が鶴見川口方です。

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向こう側で左右に横切っている線路がありますが、左が鶴見川口方です。
おそらく平面交差して正面の新しそうな塀のところを突っ切っていたのでしょうね。

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弁天橋です。

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弁天橋です。扇町方です。

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弁天橋電車区は旧型国電オンリーでした。

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この頃は大川支線に閉じ込められていたクモハ12ですが、後年鶴見まで顔を出すようになったのですよね。

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(続きます。)

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コメント

旧型車の寝床であった、先の淀川区同様、鶴見線の弁天橋区もウナギの寝床のようですな。ここに単編成の旧型車群が集っていたのだなという感慨を持ってしまう、配線図である。丁寧なことに、検修庫や洗浄台の位置も記されていて、ありがたく思ってしまう。

城川原や北松本同様、買収線区ゆえの小規模な電車区でした。当然のような合理化で統合されてしまって寂しい限りです。

平面交差、うーん、何とも言えません。
平面交差と言えば私が申すまでもなく、あの阪急のものですが、昭和36、7年頃初めて大阪に連れていってもらった時に「ガタガタガタガタ・・・・・」と果てしなく続くリズミカルな轟音、行き交う電車、今でも忘れられません。
また、写真のような電車と神戸あたりで併走しながら抜きつ抜かれつし、最後はかろうじて振り切ったような記憶があります。
(「安芸」と大阪近郊区間の国電の競争。説明するまでもありませんが、スタートで遅れ、通過駅の利で抜き去るあのパターンです。)
本当に懐かしさで一杯です。
コメント場所、また間違えているかもしれませんが、こんなことを思い出しました。

鶴見線、いつか行ってみます。それにしても、複雑な配線と急カーブ。想像するだけで楽しくなります。

京阪神間の競争は、私の記憶では、快速電車VS貨物列車が最高でしたね。各駅停車では遅すぎ、新快速では速すぎ、快速電車だとかなりの距離を抜きつ抜かれつでした。
鶴見線、わたしもずいぶんとご無沙汰で、また行ってみたいんです。線路はだいぶ整理されてしまっているようですが、まだまだ魅力的な線区です。

鶴見小野から鶴見川口間は昭和何年頃に廃止をされましたかとのことですが、

巽孝一郎さん、wikipediaによれば昭和61年廃止とのことです。

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