三木 1980/4/8
厄神-(529D)→三木11:36着/11:54発-(532D)→加古川
加古川線群最後の訪問は三木線の終端です。
三木線の終端です。終端としての「哀愁」はあまり感じられないですね。
ここも継電化されています。
三木、北条町、鍛冶屋といった終端駅は第二種継電なのに対し、厄神、粟生、野村、西脇といった規模の大きい駅は第一種機械のままなのが加古川線の特徴でした。
上記以外の規模の小さい交換駅はいったいどうなっていたのでしょうか。
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加古川線系は、当方の近所なので懐かしく楽しませていただきました。
私の記憶では、日岡、神野、黒田庄駅が80年代早くに第2種継電化され、三木、北条町、鍛冶屋駅は70年代中頃だったようです。社町駅は一般的な第2種機械でしたが、厄神、粟生駅とともに三木線北条線転換後に継電化、野村駅も鍛冶屋線転換を待って継電化されました。
また、厄神、粟生駅は、第1種機械に見えますが実は第2種機械の本線テコ集中です。テコ背後のコマ鎖錠は信号機テコ相互の連鎖にのみ使用していました。これは加古川線以外では見たことがないので、けっこう珍しいと思います。
厄神、粟生駅の連動図表部分高解像度スキャンで確認できると思いますがいかがでしょうか。
投稿: LJ | 2008年10月 2日 (木) 23時47分
LJさん、詳しくご存知ですね。ありがとうございます。
実は、ブログには公開しませんでしたが、訪問時に粟生駅の連動図表を書き写しており、これに「第一種機械丙」とメモ書きしてありましたので・・・。
(粟生駅の写真を拡大してみましたが、微妙です)
ただ、ちょっと気になるのは、第二種のてこ集中ということは第二種連動機があるということなんですよね?転てつ器付近にそれらしいものが見当たらないような気がするのですが・・・。
投稿: f54560zg | 2008年10月 4日 (土) 00時42分
当方の写真等を探してみたところ、厄神駅が見つかり、連動図表第2種機械丙と写ったものが出てきました。第2種連動機は貴サイト厄神駅谷川方の写真に辛うじて確認できます。ただし、粟生駅の写真で写っているものが見つからず、また貴サイト粟生駅の写真では第2種連動機が見当たらない感じですね。逆に当方のメモには「第2種機械丙」となっているのですが・・なぞです。
厄神が第2種で粟生が第1種という可能性もありそうです。もう少し調べてみます。
投稿: LJ | 2008年10月 4日 (土) 16時47分
実はコメントを送信したすぐあとで厄神の写真をしげしげと見ていたらそれらしいものを見つけてしまい、ちょっと後悔しました。それにしても「第二種のてこ集中」とは第一種に比べてどんなメリットがあるのでしょうね。
LJさんは秘蔵の写真をいっぱいお持ちのようですが、是非拝見したいです。
投稿: f54560zg | 2008年10月 4日 (土) 21時22分
貨物扱いがあった頃は、南側に留置線が2本、西側の貨物ホームには貨物側線が2本、東側には小荷物側線が1本(旧小荷物事務所=三木鉄道本社の南側付近)があり、更に線路は駅の東側まで(その先の農協倉庫まで)あったそうです。
投稿: すみもと | 2009年9月 2日 (水) 21時27分
訪問当時は、使用目的がよくわからない側線が1本あったものの、実質的には本線1本だけ、という寂しい状態でした。この頃のローカル線の終端駅としては決して珍しいことではありませんでしたが、貨物扱いがされている頃に来たかったですね。
投稿: f54560zg | 2009年9月 3日 (木) 22時32分
加古川線の記事がありましたのでこちらも訪問しました
貨物上屋がとても大きく当時のローカル終着駅では規模も大きい駅だったと思います
残された側線は元々は機回り線でしょうが保線車両用に残されたと考えるのが普通でしょうか
住本さんがおっしゃるように車止めの先に農業倉庫がありますね
そこまで線路が伸びていたのも容易に理解できます
投稿: ヒデヨシ | 2011年6月16日 (木) 13時52分
このあたり、大きな農業倉庫が設けられた駅が結構あったように記憶しています。農業倉庫に貨物側線、そして貨車。何ともいい雰囲気ですね。
投稿: f54560zg | 2011年6月17日 (金) 22時55分