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2008年9月 1日 (月)

片町~鴫野 1978/3/14

19780314

片町は片町線の終端駅でしたが、大阪環状線の内側に入り込んでいる割にはとてもさびれた雰囲気のターミナルでした。
片町~京橋間はわずかに500mで、京橋終着の電車が折り返す電留線が片町駅のホームと並んでおり、運転上はひとつの駅のような雰囲気です。
鴫野の手前で城東貨物線が合流しており、ここから先は貨物列車も走ります。

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1976年3月29日撮影です。
電車のせいもありますが、うらぶれた雰囲気です。

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約1年後の1977年3月14日撮影です。
一年で電車ががらっと変わりました。

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これ以降は1992年5月16日撮影です。
JR東西線の工事が行われています。

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島式ホームが相対式になっており、車両もさらに新しくなりました。

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電留線も1本だけになっていました。

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すぐ先は京橋駅です。

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京橋駅の片町方です。
信号機は片町駅の場内信号機?

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じゃあこれは京橋駅の出発信号機?片町駅の第一場内信号機?
電留線と思われたものは側線ではなく立派な本線のようです。
1・2番線に到着する電車は「片町行き」なのですが、3番線に到着する電車は、ホームがないので、「京橋行き」になるわけですね。走る距離はほとんど一緒ですが・・・。

19920328shigino05
鴫野駅の片町方です。
出発信号機の先に渡り線が見えます。

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コメント

将来複々線化用地になる地平時の旧鴫野駅が残存しているが、その東脇でトロリーバスの走る今里筋と平面交差していた。子供の頃夜訪れると、旧型車が低速で加減速していく時、架線にスパークが生じて目を丸くして喜んだものである。つい昔話をしてしまうが、民鉄と市電が各所で平面交差していたものである。こと京阪四条駅の平面交差は懐かしい。長編成化に伴う昇圧や立体交差化、もとより市電の廃止でこんな光景は消えてしまった。

大阪や京都には市電と民鉄の平面交差がいっぱいあったのですね。小さい頃は東京に住んでいたのですが、都電の平面交差はあまり記憶がありません。加越能と専用線の平面交差を見て感動した記憶はあるのですが。

東京では有名だったのは王子から出ていた須賀線と都電との平面交差が唯一ではないでしょうか
短期間ですと羽田空港工事の折蒲田から工事資材を搬入する為引かれた臨時線が京浜蒲田の南方で平面交差してました 工事終了迄京浜急行穴守線は単線化し対応してました 

yyoshikawaさん、関西に比べると東京では路面電車の平面交差は少なかったのですね。

9番目の画像はおおさか東線開業前の鴫野駅の様子です、

こんばんは。
先日初めて片町線・JR東西線に乗る機会がありました。
大阪のターミナル駅は、阪急の梅田駅や南海の難波駅など、関東にはない規模の立派な駅が多いイメージですが、片町駅、湊町駅、南海の汐見橋駅と、真逆の雰囲気の駅もあったのだと気付かされます。
今では片町駅はその名も消え、痕跡も残っていないようですが、往時の風情を感じてみたかったものです。
回送列車の到着も多い、環状線の内側とは思えない裏寂しさのある駅だったのだろうと想像しています。
線路は地下トンネルに繋がり、鴫野駅からは複々線になり、往時を知る方からすれば随分と変化したのだろうと思います。
興味深く拝見させて頂きました。

片町駅も湊町駅もおっしゃる通りの独特の雰囲気でした。私鉄と違って貨物営業の関係があったのかもしれません。今では両方とも近代化されて当時の雰囲気はなくなりましたね。

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