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2008年9月13日 (土)

八戸 1978/10/3

三沢-(2712D「深浦」)→八戸11:31着/12:52発-(1042レ)→一戸

1042レは列車番号からして荷物列車くさいのですが、時刻表には荷物列車としては掲載されていませんでした。

19781003

八戸線の分岐駅です。
八戸機関区、八戸客貨車区が設けられており、DL約10両、DC約30両、PC約25両が配置されていました。
上下の仕訳線群が点対称的に配置されていますが、いずれもそのうちの1本は本線です。

1978100307
東京方からです。
機関区付近です。

1978100306
青森方です。
八戸らしく、冷蔵車が目立ちます。

1978100301_2
青森方です。
右側が客貨車区です。

1978100302
青森方です。
まっすぐ進む東北線と右に別れて行く八戸線との間には八戸貨物駅があります。

Img470
久慈方です。
ここで八戸臨海鉄道が分岐します。

1978100305
久慈方からです。
ここの名称も八戸貨物駅だと思うのですが、東北線沿いの八戸貨物駅とはつながっていません。

1978100304
八戸線沿いの八戸貨物駅(?)の場内信号機です。久慈方からです。
左が八戸線で、右が八戸臨海鉄道線です。

1978100303
右が久慈方で、左が北沼方です。

以下は7年後の1985年11月8日撮影です。

19851108d07
東京方です。

19851108d04
東京方です。機関区付近です。

19851108d01

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青森方です。

19851108d06
さみしい風景になってしまいました。

19851108d05
乗ってきた531レです。普通列車仕様になった12系です。

19851108d08

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コメント

かつての尻内駅って思います。木造庫って、何故か興味を惹かれ、仮眠だけをとるような感じを受けます。この仮眠の間に疲れをとり、身支度だけは調えておくような。高い給水塔もここが本線であった証でしょう。機留線に休む電機車たち。ただお写真の12系はつらい。小生にとり12系・14系は花形車両でした。この駅と北側の八戸貨物タとの関係がいまだよく分かっていなくて・・・いつも優しいご返答を賜わり、誠実さを感じ入っております。

「尻内」と聞いて思い浮かぶのは「はつかり」の脱線で、私の中では残念ながらあまりいいイメージがありません・・・・。
当時の八戸と八戸貨物の関係は正直私もよく理解できていませんで、しかもこの当時と現在とでは様相が変わってしまっているように思います。一度改めて訪問してみたいですね。

(o^-^o)これは大変貴重な写真ですね。
今、八戸駅の80年代の写真をウェブで探そうとしても
なかなかお目にかかれないですから…。
まだ電化されていない線路が多くある時代のものは
私は初めて見ました。
跨線橋も昔はこんなでしたね。
今ではとっても現代的な建物になっていますが、
昔の木造駅舎は、訪れるたび故郷へ帰って来たんだと
実感させるものがありました。
こういう写真を撮られている方に巡り会えた事を幸運に思います。
他に八戸駅の写真があったら是非は意見したいです。

kk35powerさん、コメントありがとうございます。
今では新幹線の終点ですから、さぞかし近代的な駅になっているんでしょうね。
昔の写真は・・・・ちょっと探してみますが、これ以上はないかもしれません、ゴメンナサイ。

ブログ内での都道府県別項目欄、現状での栄光のトップ項目である八戸1978/10/3項。
自身の八戸駅初目撃は1979夏の12系臨時急行十和田53号からなのですが、記憶が定かではありません。
その後、民営化直前に八戸機関区を訪問したのですが、SYさんのコメントと同じく、木造庫の側面の補強板と背高い給水塔に機留線の赤い交流機群が印象的で、尚且つ白帯なしの12系は電化直前の播但線でも目撃していて、14系の白帯ナシを見なかったことは幸いだったかも知れません。
kk35powerさんの幾度となく利用された八戸駅の木造駅舎、以前、青森の項でお話したように、青森機関区から青森駅までの行軍の疲れでか、八戸駅前のホテルで寝過ごしてしまい、短時間の八戸機関区訪問でしたが、八戸駅の駅舎の待合室が意外とこじんまりとしていて、年度末だったせいか見送り客でごった返していて、そのシーンが思い出深く記憶に残っています。
その後、東北新幹線が八戸駅終着駅だった頃に一度だけ利用したことがあります。わずかな乗換時間に駅弁を買い、構内を見て歩く時間も無かったのですが、久々の八戸駅到達で、機関区跡に建てられた新幹線の八戸駅に降り立てたことに感慨深げな気持ちを感じました。
昔のSL配置表をみると、ここ八戸機関区は尻内機関区で、流石に野付牛機関区や三田尻機関庫、黒沢尻機関区などの古めかしさは感じませんが、戦後の復興期から電化前迄は20両規模の(昭和30年項まではD50を含む)D51配置数を誇った姿は、やはり東北本線の機関区としての絶頂期は尻内機関区時代なのでしょう。
当時の写真に基づいた詳しい様子は、以前の南東北機関区訪問記の続編として北東北の機関区訪問記のようなかたちでお話出来ればと思います。

E10さん、私の八戸訪問はどちらかと言えば青森寄りの部分に注力してしまったため、八戸機関区を訪問できなかったことが残念です。
北東北の機関区訪問記、お待ちしています。

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