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2008年9月15日 (月)

沼宮内 1978/10/3

一戸-(1514M「くりこま4号」)→沼宮内15:19着/16:57発-(542レ)→好摩

一戸の記事の通り、1514Mは80分程度遅れていましたので、滞在時間はわずかでした。

19781003

一戸同様「十三本木峠対策」の補機基地で、軽井沢、石打と似た役割です。
当然転車台はあったはずなのですが、この時点ではすでに撤去されていました。
時間がなくて写真がありません。あしからず、です。

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コメント

SLファンなら沼宮内の文字は珍しくないのですが、ヨンサントオ以来なかなか注目を集めなかった沼宮内駅ですが、東北新幹線延伸で突如世間の注目を浴びた時はビックリでした。

記事に有るように、ここ沼宮内は一戸機関区所属機による奥中山三重連の折り返し基地で、f54560zgさんはふんだんに目撃された、軽井沢や石打を記されていますが、私の中では経験上、瀬野駅くらいしかイメージ出来ないのですが、三重連の蒸気機関車が出発到着を繰り返していた光景は大迫力だったのに違いなかったのでしょう。
我々のような所謂、間に合わなかった世代から見れば、布原や花輪線、狩勝峠の三重連も凄かったのでしょうが、幹線用大型蒸気機関車による重量列車の高速運転は、想像を超えるシーンだったのでしょう。
もう少し、蒸気機関車の運用の歴史に変化が有れば、D62型とC62型による重連か三重連がお目見えしていたのかもと、SLファンの妄想が膨らむところでも有りそうです。

この沼宮内駅のホームに一度だけ降り立ったことが有りました。
何度もお話したことのある、79年8月の12系客車の上野発青森行き臨時急行十和田53号が沼宮内駅に停車した時でした。
新大阪発最終ひかりの乗り換え待ちで、上野駅を数十分遅れで発車したのですが、回復運転に成功していたのでしょう、定時運転で通過列車の時間待ちでしばらく停車するとの車内放送があり、編成の先頭客車に乗車していた私は、牽引の機関車を見学しょうと沼宮内駅2番線のホームに降りてみました。
上野駅での牽引機だった内郷機関区所属の EF80型から他区の ED75型に機関車は変わっていて、たまたまホームで一服されていた機関士さんに「この機関車、小さいけど力が有りますね」と話し掛けてみると、「D型でも粘り強いよ」とのお返事で、年輩の機関士さんだったので「SLの時よりも運転は楽になったんですか?」と聞いてみると、「楽は楽になったけど、八戸まで一人‥。」と、合理化で電気機関車でも機関助手さんがいなくなったのを嘆いていらっしゃいました。
そんな会話をしていたら、1番線を、急行くりこま だったでしょうか、かなりのスピードで通過してゆき、遠くに見えるトンネルに吸い込まれて行きました。
発車時間間際になり、機関士さんに「がんばってください」とひとこと伝え客車の席に着いたのですが、出発時間になり信号が変わると、沼宮内駅中線でED75型が発した出発合図の汽笛は、それまでの汽笛より数段長い汽笛をさきほどの機関士さんが鳴らしてくださり、もう40年近く前の沼宮内駅構内に響き渡ったその汽笛は、今も私の耳奥に残っています。

当時の時刻表で確認してからコメントすればよかったものを、横着をして、また誤記をしてしまい申し訳ございません。
急行くりこま が十和田53号の車影から発車したのを通過と思い込んでいたようです。
当時の時刻表で検証しますと、仙台発青森行き 急行くりこま1号 も沼宮内駅に停車していて、臨時急行十和田53号 は3分後の発車となっていました。
当時のアルバムを家捜ししてみたところ、添付してあった周遊券の日付から、当日の沼宮内駅は8月8日だったようです。
また、アルバムには、どこで写したのか夜間撮影の EF8050号機の正面写真と、12系客車と内郷機関区所属の ED75型の連結側面写真が貼ってあり、水戸駅か平駅辺りでしょうか、機関車付け替えを撮影していたようです。

上田の項に引き続き、自身の失敗の教訓も活かせず、鉄道に一番大切な確認を怠ったコメント連発に猛省しきりです。

E10さん、いつもいつも記憶の中の一コマをご紹介いただきありがとうございます。機関士さんはきっと「よぉ~し、頑張るぞ!」との意気込みで汽笛を鳴らされたんでしょうね。
私もあちこち出歩いてはいたのですが、残念ながら余り記憶に残るような思い出がありませんで(汗)。

E10さん、こんにちは。
遅いコメントで失礼します。

常磐線のEF80ですが、水戸でED75にバトンタッチしていたようです。EF8050は、客車への電気暖房用電源装置をもたない貨物用ですが、12系客車では問題ないですね。
 なお常磐線でのED75の運用南限は、土浦駅でした。土浦発の下り始発列車は当時客車列車でしたが、ED75で水戸から回送で土浦まで送り込まれ、機回しのうえ下り列車になりました。今も土浦始発の下りはありますが、当然電車です。

コスモスさん、EF80は内郷にも配置されていましたので平以南はEF80の天下のような気がしてしまうのですが、コストの関係からか交流区間はED75が結構侵略していまたね。

コスモスさん、ありがとうございます。
子供の頃の山陽本線直流機組からすれば、交直両用機EF80型は幻の電気機関車でした。
水戸駅で初対面していたのですね。
f54560zgさんやコスモスさんにとっては日常的な EF80だったようですが、関西のはずれに居ると米原からすぐ向こうの北陸本線交流機ですら遠い存在でした。
お話のED75牽引の土浦発日立行き、71年の時刻表で発見しました。79年では上野発仙台行き客車列車とか健在だったのに電車になっていて、なんだか寂しい気分です。

E10さん、コメントをいただきありがとうございます。
常磐線交流区間にいると電気機関車のバラエティーは無く、EF80オンリーで、EF58をはじめ車種のバラエティに富む幹線直流電化区間がうらやましかったです。上野発で客車列車が残っていたのは、小荷物や郵便輸送の関係でした。直流電車ではクモニ、クモユ、クモユニがありましたが、交直流電車では製造されませんでした。

E10さん、コスモスさんのおっしゃる通りで、山陽本線のような多種多様な列車が通過する大幹線には大きな魅力を感じていました。

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