一戸 1978/10/3
八戸-(1042レ)→一戸13:47着/14:53発-(1514M「くりこま4号」)→沼宮内
上記は所定の時刻ですが、昨日の事故の影響で1514Mは約1時間20分の遅れでした。
十三本木峠越えの補機基地としてかつては一戸機関区が設けられていましたが、この時点では盛岡機関区の派出所になっていました。
旅客用には島式ホームが1本だけです。
下り本線の青森方です。
貨車の姿は見えますが、貨物営業は廃止されていましたので、疎開かな?
一戸派出所への入口あたりです。
派出所は本線とは若干離れています。
写真のちょうど真ん中あたりに見える、背板のない信号機のようなものはいったい何?
東京方です。
やっぱり信号機のように見えるのですが、でもこんなところにあるはずもないし・・・。
派出所全景です。
電化によって補機基地としての役割は不要になったのでは?、と思うのですが、電機に対応する設備に改修されています。但し電機の姿はありませんでした。
これは1985年11月8日撮影です。531レの車内からです。
廃車の客車の疎開場所になっていました。
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ここ一戸機関区跡も地面に立てなかった場所です。
扇形車庫を含む配線図を拝見した時は感激いたしました。
一戸駅に機関区があったことは知っていたのですが、記事の翌年8月に下り線の車内から一戸駅構内を目撃した時は機関区の敷地が奥まった場所だとは知らず、側線群のスペースから、転車台がそこに有ってもおかしくないと感じ、機関区部分は跡形も無く側線群に取って代わられたのかと落胆でしたが、目撃時以降、時が経つにつれ、例えるなら上田駅の機関区部分を側線辺りに寄せて来たような姿で、狭隘な雰囲気的に、豊後竹田機関支区みたいな感じを思い描いていました。
ブログ記事の後に、趣味誌で一戸機関区時代の取材記事が出現していましたので、詳しくはそちらへ、なのですが、ブログ記事内の電機庫部分は、レールの上が光っているようですので、収容庫もしくは仕業庫に使われているものと思われ、SL時代同様、一戸駅でも ED75型の補機か本務機の解結があったのでしょうか。
鉄筋の建物の事務所棟の窓の並びから、和田山機関支区の転車台跡近くにも少し似た建物があって、職員の方に教えていただいたことがあり、乗務員宿泊所も兼ねているものと思うのですが。
一戸の転車台は、大正時代中頃の設置のようですが、20M級への改造を受けており、北東北地域へのD50型の配置は遅かったのですが、C51型は早くから登場していて、18M級だったのではないかと考えられ、20M級への移行理由は、C60型の投入対策ではと想像しています。(電動上路式)
駅前のタクシー、たしか ISUZUフローリアンですね。
運転免許の教習車でした。
また、写真3枚目に国鉄カーフェリーと、連絡船の自動車航送の看板も見てとれ、連絡船に初めて乗船した 羊蹄丸を探索した時に、自動車航送甲板を発見したことを思い出しました(ガラ空きでしたけど)。
一戸機関区への車両配置は昭和20年代辺りと遅かったようですが、謎めいた歴史に加え、配された10両前後のD51型の大半が、半流タイプのナメクジ型で、そこが一戸機関区に憧れた理由の決めてでした。
扇形車庫が描かれた配線図を含む取材記事に改めて感謝しております。
投稿: E10 | 2019年8月12日 (月) 16時25分
E10さん
機関区は本線からちょっと離れているため、車窓からは見難いですね。
SL時代の補機基地は電化の際に廃止されてしまうのが普通かと思いますので、一戸機関区が電化対応されたのは少し以外でした。もっとも最終的には廃止されてしまったわけですが。
投稿: f54560zg | 2019年8月15日 (木) 17時52分