« 奈良・奈良運転所 1976/3/28 | トップページ | 野辺地 1978/10/3 »

2008年9月10日 (水)

東青森 1978/10/2

青森-(544レ)→東青森15:28着-(バス)→青森

事故の影響で下り列車が来ず、やむなくバスで青森まで戻りました。

19781002

青森地区の貨物ターミナルです。
ホームは島式1本で、下り本線にはホームはありません。

1978100201
下り場内信号機です。

1978100202
駅本屋です。

写真はこの2枚だけです。
線路が写っている写真がなくて申し訳ありません。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 奈良・奈良運転所 1976/3/28 | トップページ | 野辺地 1978/10/3 »

コメント

下りから直接入れない、本線にホームがない変わった配線の記憶がありましたが正にその通りですね。
普通電車が特急・急行よりも少なく、貨物以外退避をした覚えもないのですが(それほど利用もしてませんけど)、青森自体規模が大きい都市でもないですし北海道とのアクセスがメインの青森駅では地元貨物を捌くには都合が悪かったか、複線化移設時にこちらに分けたのかと察します。祖父母の家が旧線路沿いにあり、いろいろと旧線路時代の話も含め聞きましたが、一部の地元の人は東青森を貨物駅と呼んでいました。

おっしゃるとおり貨物主体の駅のようで、旅客は付け足しのような印象を受けてしまいますね。
浪打とか浦町とか、旧線時代の遺構ってあるのでしょうか。青森操車場も旧線時代はだいぶカタチが違っていたのではないでしょうか。

青森の方に書きましたが、遺構は跡地利用されてしまったので当時としては枕木の柵があったくらいでした。操車場も、生まれが昭和43年なので、記憶ある頃になると旧線時代の面影が少ない頃になっていると思います。空き地のイメージが大きいので・・・。
操車場から旧線に向けて2本ほど延びた線路・架線があったのは覚えておりますが航空写真だとわかりにくいですね。確かに旧線方向に伸びたのを見た覚えがあるのですが。
Yahoo!などの航空写真などを見ると、観光通りと呼ばれる八甲田山へ続く通りより西側はまだ空き地のようです。
本線も操車場の廃止とともに、直線となるよう改良され位置が変わっていますね。
これを見ると機関区のターンテーブルはまだ1つ残っていますので、私の記憶は扇形庫の解体を一緒に解体したと勘違いしていたようです。申し訳ありません。
SYさんのおっしゃった2つ目のターンテーブル跡は今ではわからないですね。1975年でやっとというところでしょうか。
旧線時代の写真があれば見てみたいですね。

う~ん、色々お話を伺って、青森、行ってみたくなりましたね。25年ぶりくらいになりますね。
でもちょっと遠い・・・・。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/42436817

この記事へのトラックバック一覧です: 東青森 1978/10/2:

« 奈良・奈良運転所 1976/3/28 | トップページ | 野辺地 1978/10/3 »

過去の記事

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ