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2008年8月16日 (土)

荒砥 1979/7/19

赤湯-(221D)→荒砥6:44着/8:19発-(226D)→今泉

221Dはキハ48508、226Dはキハ22162に乗車しました。

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終端駅としては標準的な線路配線で、片側ホームの本線と貨物用の裏1番線の2本の本線があります。
21号分岐器が両開なのは将来的な延長を想定していたのでしょうか。

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赤湯方です。

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表1、2番線です。

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赤湯方です。

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左側に専用線がありますが、使用されている気配は感じられません。

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赤湯方からです。

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赤湯方からです。

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終端側です。

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給水タンクに転車台と車庫です。
蒸機時代の遺構ですが、転車台の直前までは線路は使用されているようです。

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終端側からです。

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車庫は継ぎ足されたような形態です。

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列車停止標識が2つ並びます。
線路自体はもう少し続いていますが、「列車の走る長井線」としてはここが終端ということになります。

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線路の終端です。

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コメント

荒砥駅のこんなにスッキリした終端の車止め写真は初めて拝めました。感激です。
私が巡礼したときは、まさに夏草の線路状態でした。

前のコメント。名前を入れるの忘れました。
なくても分かる?(笑)

大丈夫です、少なくとも私にはハッキリ分かります。
それにしてもLUNさんの写真の構図と私の写真の構図、恐ろしいくらい似ていますね~。

こんばんは。
いつも楽しく拝見させていただいております。
古い記事へのコメント、お許しください。

荒砥と左沢を結ぶ構想はあったようで、左荒線という内陸循環鉄道は地元の悲願のようで、私が訪れた時にその旨の看板がありました。
私が訪れたのは昭和56年、その時にはすでに貨車はなく、広い構内がガラーンとしていました。
もしもよろしければご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/yasuziro34/23916489.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yasuziro34/23932622.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yasuziro34/23933781.html

YASUZIROさん、コメントありがとうございます。
裏1番線と裏2番線の間が少し広いところも将来の中間駅化を想定しているように見えますね。
貨物廃止は昭和56年3月ですので、YASUZIROさんが訪問されたのはその直後ぐらいでしょうか。
霧が立ち込めたようで幻想的な雰囲気ですね。

この終着駅 荒砥を訪問しようとした動機は、当時の機関区巡りに日没後の訪問だったことを思うと、終着駅 荒砥に駐泊設備が在ったのではないかと淡い期待を抱いて訪問したのか、もう30年以上も経った今となっては何故だったのかは不明です。
荒砥駅に着いて、折り返し時間は5分そこそこ。小走りでホームのスロープから降りて行くと、転車台と給水塔が分かりました。意外にも、給水塔の傍らに詰所の明かりが点いていて、職員の方の出入りがあり、SL時代なら給水と転向作業だったのでしょう。
小雪舞い散る中、転車台周辺で数枚のシャッターを切ったのですが、ストロボが小雪に乱反射し、当時の家庭用カメラのストロボでは転車台の3分の1も写らない状態でしたが、やはりその昔、そこにSLが居たんだと想像しながらの極めて短い時間を過ごせたのは幸せだったのかもしれません。
後年、3セク移行後に再訪したのですが、何十年か前にその場所に居た自分に戻りたくて、たまたま通り掛かった若手検修係の方に車両基地の見学を申し出て事務所に取り次いでいただいたのですが、何か事情があったにせよ、所謂門前払い状態だったのが今でも少し心残りです。
冒頭の国鉄時代に赤湯駅を日没後に発車したキハに揺られながらボックスシートで過ごしていると、斜め向かいのボックスシートにどこの駅から乗っていたのか、二人の女子高生の会話がキハのエンジン音が唸るなか漏れ聞こえてきました。
「長井線、なくなるんだって…」今でもその声が耳奥に残っています。

E10さん、荒砥駅は雰囲気のある終端駅でした。今の時代では、なかなか昔のようにはいかないのが残念ですね。

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» 線路巡礼:長井線荒砥駅(夏草の線路を掻き分けて、車止めを拝みに行きました) [線路巡礼(LUNの歴史を記録します)]
線路巡礼:長井線荒砥駅。 1986年8月18日に巡礼しました。 http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/41134346.html この時は、秋田臨海鉄道臨時列車に乗りに行った時の、 ついで、 だったのですが。 赤湯駅5:37→荒砥駅6:33 この終着駅は、 再開発(?)の手が全く付けられていないスバラシイ駅でした。 [[attached(1)]] ホームから先に、引上げ線が延びていきます。 [[attached(3)]] ..... [続きを読む]

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