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2008年8月14日 (木)

熱塩 1979/7/18

喜多方-(623レ)→熱塩16:32着/16:51発-(624レ)→喜多方

言わずと知れた日中線です。客車列車のみが一日3往復という、合理化からも取り残されたような不思議な路線でした。

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623レが到着して機回し中です。誘導しているのは車掌さん?

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転てつ器はちゃんと定位に戻してあります。

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場内信号機も出発信号機もありません。
この転てつ器の鎖錠はどうなっているのでしょう。
ひょっとして「通票鎖錠転てつ器」とか、そんなものでしょうか。
もっと近くでしげしげと観察すればよかった・・・・。

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コメント

日中線開通当時は熱塩駅喜多方方の西側に転車台があったとのことで、現在も痕跡が残っているらしいのですが、実際に見た方はいらっしゃいますか。

googleマップの空中写真及びストリ-トヴューで熱塩駅跡地周りを見ると、駅南西側にターンテーブル跡地と思われる円形の凹地や石垣が確認できます。これが転車台跡地でしょうか。

駅から離れすぎているようにも思うのですがあれがそうらしいです。まるで炭鉱にあった洗炭施設のようです。開通からわずかの期間しか使用されず、戦前にはもう使われなくなったようですね。

名無しさん、コスモスさん
昔の空中写真を見ても転車台らしきものを確認できますね。熱塩駅に転車台が必要だったのかというと若干疑問を感じてしまいますが。

久しぶりに投稿します。熱塩駅付近について国土地理院の地図・航空写真(1949/04/26(昭24) USA R2774 ‐33)を見ると、押切川の橋梁を渡ってすぐに分岐があり、駅全体の長さやの幅は廃止当時よりだいぶ広く、内側に1~2本の側線があるように見えます。昭和30年代には転車台は使用されなくなったようですが、その後に駅の規模自体がだいぶ縮小されたようですね。

1949年の写真を見ますと、かなり有効長が長かったように見えますね。そこまでの需要があったのかどうかはわかりませんが。

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