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2008年7月21日 (月)

東舞鶴 1979/8/26

西舞鶴-(4901D「丹後1号」)→東舞鶴12:24着/14:07発-(936レ)→西舞鶴

 

4901Dには昨日も園部~小浜間を乗車しています。
同じところにいると乗る列車も同じようになってしまいます。

19790826r

舞鶴線の終点であり小浜線の起点なのですが、中間駅です。
しかしながら始発・終着列車が数多く設定されており、単なる中間駅というわけではありません。かつては中舞鶴支線がありましたのでそれなりにサマになっていたのかもしれません。
廃止されてしまったのは中舞鶴支線だけではありませんで、昔は東舞鶴港への貨物支線も存在しました。

 

197908261
綾部方からです。

 

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綾部方です。

 

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綾部方からです。
一番右側の線路がかつての中舞鶴支線です。

 

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綾部方です。

 

197908265
綾部方からです。

 

197908266
ほとんど昔のままです。

 

197908267
機回り線の関係で曲線を描くホーム・・・大好きです。

 

197908268
綾部方です。

 

1979082611
客車列車が入換中です。

 

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始発・終着列車が設定されていますので、構内には客車が休んでいます。

 

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敦賀方です。

 

1979082632
このDCたちも休んでいることには違いありませんが、おそらく永遠の休みです。

 

1979082641
敦賀方からです。
架線がないとすばらしい写真が撮れます。

 

1979082642
敦賀方です。
左にカーブしているのは「第1引上線」ですが、かつての東舞鶴港への支線の名残と思われます。

 

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コメント

西舞鶴と東舞鶴は、ほんとに似ていますね。私の記憶でもごっちゃになっています。
ここは、西信が第1種電気機で、東信が第2種継電なんですね。面白いです。

両者がごっちゃになっても、ホント、無理ないですよね。
東信は第2種電気かな?って思っていました。

たしかに第2種電気かもしれませんね。小浜線一斉第2種継電化(一部第1種電気継電ありですね)と同時かと思いましたもので。

 おはようございます、相変わらず舞鶴辺りをウロウロしている奥野君です。
 まあなんにも残っていませんが。
 ではでは。

 おはようございます、またまた奥野君です。
 なんにも残っていませんが、こんなものがありました。アップし損ねてますが、倉庫の出入り口には線路が書いてありましたです。倉庫そのものに線路が入っていたようですね。
 ではでは。

 おはようございます、しつこい奥野君です。
 中舞鶴も現役時代は知りませんが、時刻表のひげのような線路にドキドキしたのを覚えていますです。こんな所だったのですね。行きたかったな・・
 ではでは。

駅構内に、休車の“DD54”が1/3ぐらい並んでいたことが痛々しいことが第一印象だった。
“DE10”の客車は、舞鶴線から小浜線に入る時は増結し、反対は切り離していた。敦賀発京都行の列車は、前3両の付属編成と、後4両の間に荷物があり、ハニ型は、荷物の方を基本編成にあった。
キハニ型のディーゼルカーが福知山に配置されて、ローカル客車はなくなり、梅小路の“DE101118”は小浜線のローカル客車を牽いていて、見る度に当時が思い浮かんでくる。
国鉄と違って、原子力発電所の保証金で小浜線が電化になり、敦賀までローカル客車で通過していた駅も、125系電車になって停まる様になって、今高架の1面ホームになって、久しぶりに行って、当時の面影がなくなった。

ニッシーさん
写真のようにかつては客車が留置されているのを見ることのできるような駅でしたが、今ではホームだけの高架駅と、大変貌ですね。

京都から、急行‟丹後”が普通列車で福知山行になって、当然グリーン車入り、グリーン車は予備灯だけになって、回送状態になる。綾部で特急‟出雲”に乗り継ぐとき、そのディーゼルカーに乗り他の乗客でグリーン車に不満言うものもいた。
他にも急行との運行上、各地にあった。鳥取県の若桜線は朝の通学時で、鳥取各地にら岡山行の急行‟砂丘”となる列車で、車掌が急行になってからの物で、汚せないとテレビで言っていた。

ニッシーさん
下り優等列車が終着駅付近で普通列車になる場合のグリーン車はまだ良いですが、普通列車で出発して途中から優等列車になる上り列車のグリーン車の取り扱いはちょっと面倒臭そうです。

ディーゼルカーの急行‟丹後”京都~東舞鶴間で、東舞鶴~福知山間を普通列車で折り返すことで、グリーン車が入り、グリーン車の照明が予備灯だけになっていた。その後、181系の東舞鶴始発の特急‟あさしお”が福知山から、普通列車で自由席になる3両を使用していた。
当時の国鉄若桜線の朝の通学列車に7両編成の中にグリーン車が有り、鳥取着いて4両編成になって、岡山行急行‟砂丘”になり、七尾線の快速が金沢へ着いて、青森行の急行‟しらゆき”になり、運行上の都合で、時刻表に表示していなくて、乗車出来ないグリーン車が入った。キハ28、58系の急行用ディーゼルカーの普通列車が各地にあったと、急行電車は運行上ボックスシートで2カ所の出入口では、首都圏、近畿圏(153系新快速)、では具合わるかったと思う。

テレビで「飢餓海峡」という映画を見ました
その中で東舞鶴が ちょこっと出てきます
1965年当時の駅の改札や街が 一瞬写りますよ

Aさん
情報ありがとうございます。

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