« 豊岡機関区 1979/8/24 | トップページ | 丹後山田 1979/8/24 »

2008年7月15日 (火)

天橋立 1979/8/24

豊岡-(904D「丹後8号」)→天橋立10:19着/11:21発-(331D)→丹後山田

904Dは城崎発京都行きですが、宮津線経由のため豊岡・西舞鶴・綾部の3駅で進行方向が変わり、所要時間も30分程度余分にかかっていました。

19790824

どうってことのない線路配線ですが、始発・終着列車に対応するためか下り本線(2番線)からも上り列車が発車できるようになっています。

01dh000026
西舞鶴方です。

0219790824b5
西舞鶴方からです。

03dh000035
豊岡方からです。

0419790824b2
豊岡方からです。

05dh000033
豊岡方からです。

0619790824b3
豊岡方からです。
あれ? 配線図には転車台はありませんでしたが・・・。

0719790824b1
豊岡方です。
線路がつながっていないので、悲しいことに転車台は配線図から抹消されてしまったようです。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 豊岡機関区 1979/8/24 | トップページ | 丹後山田 1979/8/24 »

コメント

はじめまして。北近畿タンゴ鉄道のWebサイトの管理者でございます。
現在、北近畿タンゴ鉄道では、「北近畿の鉄道の歴史」というWeb写真展を開催しております。
http://ktr-tetsudo.jp/railroad/exhibition/index.html
そこで、こちらで掲載しております、宮津線などのお写真をご紹介させていただきたいのですが、ご承認頂けませんでしょうか?
写真掲載時、写真著作権の表記と、このブログへのリンクは付けさせていただきます。
ご検討よろしくお願いいたします。

この天橋立駅から車でしはらく走った海沿いの村に、学生時代の同期生の実家があり f54560zgさんが天橋立駅を訪問された時の数年後には何度か駅前を車で通過したものでした。
記事内の最後の写真を見ると、転車台の集電柱が有れば車道から転車台に気づいていたのではと感じるのですが、当時に天橋立駅構内の転車台を発見することは出来ませんでした。不覚だったのは昔の趣味誌で、冷房が効くオロネを連ねた天橋立行き海水浴臨時列車(たぶん、はしだてビーチ)が西舞鶴機関区の9600型に牽引されている写真を見ていたにもかかわらず天橋立駅構内を覗かなかったのは、やはり同期生の彼女の実家が近くて気持ちが舞い上がっていたのか、その時は線路に気持ちが向かっていなかったのかも知れません。
その彼女は当時のアイドル 石川ひとみ に似ていて、同期生の中でも人気者でしたが少し不思議な女性で、学友達と笑い話で盛り上がって他の学友には笑顔を振り撒いていても私には笑顔ひとつ向けてくれなかったのに、たまたま偶然に学校から駅までふたりだけでの帰り道になると、天使が微笑んだような笑顔でいつも話しかけて来て、当時の自分には「これが女心と秋の空なのか」でした…。
卒業後に宮津を訪れたある年の冬、互いの誕生日がすぐ近かったので次に逢う時はお互いの誕生祝いをと別れ際に伝えると、その時の彼女は天使の笑顔ではなく少し物憂げな表情で、その帰り道はなんだか気が重く、夕暮れからは吹雪になり更に気が重くなり雪道に難儀しながら家路についたのを、当時の天橋立駅をこの季節に見ると、あの頃の出来事を懐かしく思い出しています。
今から5年程前、こちらのNHK神戸局では ローカル鉄道の旅 と言う番組がよく再放送されており、その関西編で旧国鉄宮津線だった区間も紹介されていて、あの不思議だった彼女のこともよく想い出していましたが、その番組は Harry Nilsson の Without You が流れるなか小さな半島に夕日が落ち行くラストシーンになっていて、その彼女は平成の世を見ることなく、その小さな半島に眠っています・・・。

E10さん、線路か彼女かと言ったら当然彼女ですよね。それはさておき、E10さんにとっては天橋立付近は物悲しい思い出の地なのですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 天橋立 1979/8/24:

« 豊岡機関区 1979/8/24 | トップページ | 丹後山田 1979/8/24 »

過去の記事

2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ