大河津 1979/8/10
吉田-(134D)→大河津9:02着/10:43発-(138D)→出雲崎
134Dはキハ209、138Dはキハ2823に乗車しました。
越後線というとキハ35系の独壇場かと思っていましたが、そうでもないんですね。
大河津は「おおこうづ」と読みますが、現在は寺泊(てらどまり)に改称されています。
かつては越後交通線が接続しており、越後交通線にも「寺泊」という駅がありました(もちろん当駅とは別モノです)。
西長岡からの越後交通線は配線図の右下から大河津に到達し、配線図左の22、21ロ号分岐器で越後線を横切って寺泊に向かうという変わった形態でした。
寺泊方は訪問の6年前、西長岡方は4年前にすでに廃止されていましたが、配線図にきっちり記載されているだけでなく、線路・架線柱もしっかり残っていました。
国鉄線の本屋に面したホームは副本線ですので、通常列車は島式のホームに発着します。
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越後交通の線路は、まるで亡霊かのように残っていましたねぇ。とても廃線とは思えませんでした。
国鉄とレールがつながったままだったのも不思議でした?サービス?(笑)
さすがに今はもうないでしょうねぇ・・・?
投稿: LUN | 2008年7月 7日 (月) 12時52分
廃線後、早々に線路が撤去されてしまうのは寂しいですが、余り長きに渡って放置されてしまうと、確かに「亡霊」のような怨念を感じてしまいますね。夜に来たらちょっと怖いかも・・・・。
投稿: f54560zg | 2008年7月 8日 (火) 22時21分
津島軽便堂写真館最新更新で越後交通がアップされ冒頭に大河津駅の空撮写真が掲載されてました 未だ越後交通が廃止前のものと思われますご参考迄
投稿: yyoshikawa | 2015年9月25日 (金) 17時45分
yyoshikawaさん、国鉄と私鉄の平面交差の様子がよくわかる写真ですね。ホントに珍しい事例だと思います。
投稿: f54560zg | 2015年9月27日 (日) 23時21分
ご無沙汰しております。
「国鉄と私鉄の平面交差」ということで思い出したのですが、昭和41年まで、九州の和白駅で、香椎線と西鉄・宮地岳線が平面交差していたようです。
和白の場合、交差する二路線はもともと同じ私鉄の路線で、一方が国に買収され国鉄・香椎線となったようですが、香椎線が「私鉄買収路線」ということで、大河津の例と似通っているなと思った次第です。
和白の配線図や平面交差の写真をいまだ見たことはありませんが、どのように平面交差していたのか気になりました。
投稿: KASA | 2015年9月29日 (火) 03時30分
KASA様、鉄ピク2002年3月号の折り込みに昭和29年の北部九州の配線図が載っています。
うまく説明できなくて申し訳ないのですが、島式ホーム二面は同じ、ただ点対称のような配線になっており、どちらの線も全番線の発着が可能です。
投稿: オーイナル野焼き | 2015年9月29日 (火) 23時23分
訂正です。
最南西位置の番線については、香椎線下り列車は進入できませんし、上り列車はホームに進入は可能ですが香椎線の本線上に戻れません。宮地岳線はいずれの番線も利用可能です。
失礼いたしました。
投稿: オーイナル野焼き | 2015年9月29日 (火) 23時36分
オーイナル野焼き様、
ご教示いただきありがとうございます。早速、ピクトリアルの折り込み配線図を探してみたいと思います。
投稿: kASA | 2015年9月30日 (水) 23時52分
KASAさん、お久しぶりです。和白駅の情報ありがとうございます。
オーイナル野焼きさん、すぐさま「鉄ピク2002年3月号の折り込み」が出てくるところがスゴイですね(笑)。
私も早速見てみました。KASAさんのコメントのとおり元は同じ会社の路線であったせいか、2面のホームは「方向別」のようです。大河津駅のホームが「線路別」であるのとは対照的ですね。
投稿: f54560zg | 2015年10月 4日 (日) 18時42分
遅くなってしまいましたが、私も「和白駅」の配線図を見ることができました。
たしかに、「方向別」で、香椎線が「内側」なんですね。貨物の授受も行われていたと聞いたことがあるので、当時の様子がどんなものだったのかまた興味が湧いてきました。
オーイナル野焼き様には、あらためて感謝いたします。
投稿: KASA | 2015年10月18日 (日) 22時28分