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2008年7月31日 (木)

宮内 1979/7/16

越後川口-(721M)→宮内10:24着/11:25発-(723M)→長岡

19790716c2
直江津方です。

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直江津方です。

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直江津方からです。

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直江津方からです。

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新潟方です。
列車は富山発長岡行きの521レです。

19790716c8
新潟方です。
ちょっと先は長岡操です。

19790716c5
海側にはチチブセメントの専用線がありました。

19790716c9
中線に北陸線方面から貨物列車が到着しました。
すぐにEF81が切り離されます。

19790716c11
長岡から単機でやってきたEF15が反対側に連結されて上越線方面に向かう準備が整いました。EF81は単機で長岡に引き上げます。
北陸方面←→上越方面の貨物列車の折り返しは宮内駅で行われていました。
「隣に貨物操車場があるのになんでわざわざこの駅で機関車の付け替えを・・・」とも思いますが、長岡操は上下の着発線の間に仕訳線群が配置されており、単純な折り返しには不向きな配線であったためと思われます。

20050718c16
2005年7月18日撮影です。
長岡操の配線が変更されて宮内駅での機関車付け替えはなくなりました。
中線も撤去され、寂しい駅になってしまいました。

20050718c26
上越線下り線は信越線上下線をまたいで宮内駅に進入します。
それにしても線路の雑草が目立ちます。

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コメント

 宮内駅八枚目の写真EF81137が牽引して来たセメント列車の車掌車此の当時可也レアーな存在のヨ2034です 戦前其れ迄二軸客車改造のヨ1やヨ1500を置き換える為初の鋼製車掌車として製造されました 後のヨ3500や5000の原形の車両です
 私も別番ですが一回だけ写真撮影した事が有りました 当時貨車は全国的に運用されおり殆ど一期一会の世界でした

yyoshikawaさん、相変わらず目の付け所が違いますね(本日2回目です)。

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