小出 1979/7/16
六日町-(465M)→小出7:58着/8:48発-(467M)→越後川口
465Mはサハ115-1007、467Mはモハ115-1022に乗車しました。
只見線の分岐駅です。
只見本線のホームの先がいきなり転車台になっているのにはちょっとびっくりです。
過走して転車台のピットに転落するのを防止するためと思われますが、脱線転てつ器が設けられているほか、場内信号機も警戒しか現示できないようになっています。
宮内方からです。
高崎方です。
只見本線の先は転車台です。
脱線転てつ器に電気転てつ器が必要なのでしょうか?
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1985年ごろでしょうか。
会津若松発浦佐行き急行「奥只見」に乗車したことがあります。
小出駅を上越上り方向へ発車する際は、只見線ホームから上越線へ出発できないので、客を乗せたまま一旦長岡方へスイッチバックで引き上げ、上越線上りへの出発進路がある線(何番かは不明)に転線してから発車していたようです。その間約30分かかり、その間に上越線の上り普通電車に抜かれてしまうので、通しで乗る人はどれほどいたかわかりません。当然、私も、先発の普通列車に乗り換えました。
今思えば、客を乗せながらの入換を堪能しておけばよかった、とつくづく悔やまれます。
ところで、只見線から上越線へは、この配線図を見ると、一回のスイッチバックでは済まないようで、長岡方で二回のスイッチバックを経てようやく上越線上り出発ルートへ入れるみたいで、これは本サイトを見て初めて知りました。驚きであります。
つくづく、「乗り通しておけばよかった」と悔やまれます。
投稿: N | 2012年7月 3日 (火) 00時42分
Nさん、そんな列車があったとは知りませんで。とりあえず時刻表1986年11月号を見たら、ありました。奥只見小出17:59着→18:25発、この間の18:15に上越線上りローカルが発車していきますね。
只見線→上越上りへは、おそらく107ロ→107イ→104ロ→104イ→103→101ロ→102で下り本線で折り返して中線へ、というようなルートではないかと思われます。そうであれば1回の折り返しで済みますので。
客扱いをしたままの入換ってそうはないと思いますので、心中お察しします(笑)。
投稿: f54560zg | 2012年7月 5日 (木) 23時34分
こんばんは。
今日も楽しく拝見させて頂きました。
転車台がホームのすぐ先にあり、蒸気機関車の走っていた頃にはのんびりとした汽車の風景が繰り広げられていたのだろうと想像します。
今は(と言いましても何年もこの路線を訪ねていませんが)どうなっていたかと思い出そうにも思い出せず、もし今になっても転車台やその痕跡を見ることができるのだろうかと想像したりしています。
前の方のコメントも非常に興味深いですね。施設が完璧ではないローカル線にも直通する優等列車があった時代、今では非効率の一言で片付けられてしまうような様々は光景があったのでしょう。私も体験してみたかったと感じます。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
投稿: 風旅記 | 2017年2月26日 (日) 18時43分
風旅記さん、ホームの先に転車台がある配置は結構珍しいと思います。
また、今では考えられないような直通列車が走っていたのも、楽しい時代でしたね。
投稿: f54560zg | 2017年2月26日 (日) 22時08分
只見線が豪雨災害から11年振りに全線運転再開されたのにはそれなりに事情が有った只見線沿線の国道が冬季に閉鎖されてしまう為どうしても存続せなばならなかったので流失した橋梁を全てかけ直して運転再開したとの事です
投稿: yyoshikawa | 2023年8月13日 (日) 17時34分
yyoshikawaさん
最近は災害で被災してそのまま廃止されてしまう例が見受けられる中、11年かけてでも復旧されたことは大変うれしいことです。
投稿: f54560zg | 2023年8月16日 (水) 13時28分