水上 1979/7/15
高崎-(901M「ゆけむり1号」)→水上9:36着/11:19発-(3601M「よねやま」)→石打
(若干順番が前後してしまいました。)
「よねやま」は長岡経由で上野と直江津を結ぶ急行でした。
同じく上野と直江津を信越線経由で結んでいた「妙高」よりも50kmほど長い距離を走っていましたが、妙高には碓氷峠や長野以北の単線区間のハンデがあるため、所要時間は「よねやま」のほうが短くなっていました。
上越国境の勾配区間のために水上機関区が設けられており、
信越線の横川に相当する駅でした。
高崎方からです。
カーブの中にホームがあります。
険しい山がそびえています。
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東京と新潟を結ぶ鉄道としては碓氷峠越えと三国峠越え他に磐越廻りの三系統有りますが一番始めに開通したのは中山道線を変更した信越本線碓氷峠越えが一番早く開業しました 唯当初難関の碓氷峠は当初碓氷馬車鉄道が1888年開業して横川と軽井沢間を結びましたが如何にせん輸送量は微々たる物1893年碓氷峠をアブト式で開通すると廃業しました 信越本線が全通したが遠廻りで然も碓氷峠越えでの輸送量のネック等有り早急に何とかせねば成らず 清水峠茂倉岳直下に延長約9km強の単線清水トンネルを1931年開通させた然もトンネルの前後に勾配の緩和と高度を稼ぐ為ループ線を採用トンネル内での煤煙対策の為当初より水上石打間を1500Vで電化しました川端康成の小説雪国冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると其処は雪国だった」のくだりは清水トンネルを表しております 当初使用機関車はEF51とED16を使用していました戦後直ぐEF13が使用される様になりスイスのゴタルド越えのクロコダイルと双璧をなす峠越えの凸形機と思います戦時設計のEF13ですが清水越えの折の姿は頼もしいシェルパーの様でした其の後EF15/16が配置され清水越えで長年月使用された事は御承知通りです其の後はEF64新旧EH200等が使用されております 笹川勇吉氏旧蔵絵はがきコレクションと云うサイトに開通直後の石打駅での機関車交換の絵葉書が収蔵されておりますED16と8620が隣あって並んだ絵葉書です
投稿: yyoshikawa | 2014年10月12日 (日) 22時40分
こんにちは。
水上駅に来る列車も今ではスマートで綺麗なものばかりになっていますが、機関区があった頃は様々なバリエーション多くが走っていたのだろうと思います。
古い茶色の機関車が峠に挑む列車のために待っていた様子、見てみたかったものです。その頃に比べればこの駅も静かになってしまったのでしょう。
特急列車が来ることもなくなった今、この駅の冬は静かなのだろうと想像しています。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
投稿: 風旅記 | 2018年12月 2日 (日) 15時49分
風旅記さん、こんばんは。
昔は勾配に備えた補機基地が各地にありましたが、合理化で姿を消してしまいましたね。これに伴い職員さんの数も減って寂しくなってしまいました。
投稿: f54560zg | 2018年12月 2日 (日) 22時39分