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2008年7月29日 (火)

石打 1979/7/15

水上-(3601M「よねやま」)→石打11:50着/13:38発-(725M)→六日町

19790715

水上同様補助機関車の基地です。
水上が横川なら石打は軽井沢といったところでしょうか。

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宮内方です。

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宮内方からです。

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宮内方からです。

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けっこう大きな機関庫です。

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下り7~13番線です。
貨車が留置されていますが、本来は電留線でしょうか。

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宮内方です。

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下り7番線の奥には廃車予定と思われるEF1590が止められていました。

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ここにも廃車予定が2台、EF1624とEF1627です。

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給炭台と水タンクです。

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コメント

ここ石打駅まで、はるばる広島からやって来ました。広島駅からだと新幹線利用ですが、急ぎ旅ではありませんので、芸備線、姫新線、因美線から日本海側より大糸線、信越本線経由の旅をしてみたいですね。

コスモスさんのコメントに、こちら側もみてみますと、しっかり記録されていました。
水上の頃での yyoshikawaさんの解説どおり、開通当初はSLの折り返しや、トンネルを抜けると雪国の描写らしく、除雪車の方向転換が目的の転車台だったのでしょうが、架線が張られているのは、のちにポイント代用とでもしたのか興味深いですね。
ふと思ったのが、ループ線による車両の片減りなどの対策で、1端2端の向きを変えていたのか、それなら水上機関区だけでも間に合いそうだし、石打駐泊所側でも回していたのでしょうか、しょせんは素人考えです。

14年の頃での C6217さんのコメントでご紹介されている短歌の解説には、石打駅の情景が浮かぶようで惹かれるものがありました。

石打駅は日本海側なので、なにか日当たりが悪そうな印象でしたが、お二人の解説に、少し文学に触れた気持ちになり、石打駅のイメージが変わりました。

石打駅を一度だけ通った時は、会津若松駅より只見線の秘境区間から小出駅に出たのが夕方で、いわゆる上越国境付近の昼間の車窓を今だに知らないのが悔やまれます。
関西に居ても子供の頃から、特急とき や、急行佐渡 は憧れの列車でした。

E10 様

>ふと思ったのが、ループ線による車両の片減りなどの対策で

 ループ線は、上り列車の場合、新潟県にある松川トンネルは右曲線(時計回り)、群馬県にある第一湯檜曾トンネルは左曲線(反時計回り)になってるので、片減りを打ち消しあうのではないかと思います。

NZさん、的確なお話、ありがとうございます。
yyoshikawaさんの解説に、路線図を見てみようとも思ったのですが、すぐ手元になかったことや、いつもながらに発言の裏取りをせず投稿ボタンを押してしまう悪い癖が直らないようです。
NZさんのように配線図等に精通されている方々からも私のような素人に対して話しかけていただけるのも f54560zgさんのblogに温かみを感じるところです。

前のコメントで書き損ねたのですが、石打駅や駅前の画像を見いて、やはり地方の街は寂れているんだなと実感を強めました。
当時の日本人は移動手段以外にも旅情を求めて鉄道を利用して全国各地へと旅をしていたのに、鉄道を取り巻く環境変化に致し方ないのでしょう。
私も当時は時間が許せば駅前商店街などをうろつき、模型屋さんや古本屋さんを探したものでしたが、今ではそんな楽しみも稀です。
秘境駅とかブームになるのに、駅前商店街巡りとかはブームには程遠いのでしょうね。
テレ東とか、池の水を抜いたり、路線バスを乗り継いだり、も良いですけど、「駅前シャッター通りのシャッターを開けてみたら」とか駅前活性化の一助となりそうな企画をしてくれないかな。

E10さん
かつては鉄道関係者やスキー客などでにぎわっていたのでしょうが、時代の流れですね。
商店の店頭で由美かおるとか水原弘に出会えるとちょっとコーフンします(笑)。

 E10さまのコメントに悪乗りしてひと昔前の短歌を紹介します。作者は1958年当時、石打駅に勤務されていた宮田茂夫さんです。

   去年(こぞ)着きて今あたらしき年に発つ貨車の行手の青の輝き

 上り列車の出発風景が目に浮かんで来ます。おそらく雪景色でしょう。ここに立ちたくて10年あまり前に訪問して、下り出発信号機を眺めてきました。機関車はおそらくEF16+EF15。

C6217さん、素晴らしい作品のご紹介ありがとうございます。
「石打 2014/11/15」の記事でもご紹介いただいています・・・(汗)。

  f54560zgさま、「石打 2014/11/15」は4年前のこと。もう忘れるとは老化加速ですが石打への思いは今も強烈です。お恥ずかしい。汗顔赤面縮身。

水上と石打にターンテーブルがあった理由は開業当時電気機関車に排雪用のスノープラウを機関車の両端に取り付けると客車との連結ができないために、どちらかのみにスノープラウを取り付けていた。そのために両駅で方向転換する必要があったと聞いています。機関車はED16であったと記憶しています。

上越線全通時最長の清水隧道区間である水上と石内間を電化水上石内のターンテーブルは両駅で折り返す蒸気機関車の転換の為に当初設けられたものでした後に全線電化で必要性は減りました
開通当初最新鋭のED16とEF51を配置し対応してました

スノープロウにも種類があるのは知っていましたが、連結絡みは盲点でした。
連想すると、開通頃のELとラッセル車の組み合わせは有ったのでしょうか、ちょっと興味が沸きました。

勝手な想像で恐縮ですが、EF81515さんは、高鉄局や新鉄局辺りにお詳しそうとお見受け致しました。
f54560zgさんがblog内で同地区を集中的に攻められている記事があるにも関わらず、自身は苦手なままで、お詳しそうな方がコメントを残されているのを拝見すると心強く感じます。
EF81型は鉄道少年の頃の最新鋭機関車であり、中でも300番台は限定車両だっただけに雲の上の存在感でした。
当時、地元の模型店(つばめや)のテレビCMにEF81のHOがSカーブをゆっくり走るような感じで出ていて、「ハチイチのヤツ、今日もご機嫌だなー」みたいなナレーションが流れ、今で言う擬人化?みたいな表現に、鉄道車両と他の乗り物に差別化を覚えたきっかけの一つとなりました。

末尾になりましたが、上越線も上越南線、上越北線の時があったのですね。
今回も勉強になりました。

皆様

>連結ができないスノープラウ
これはスゴイですね。雪深い上越ならではでしょうか。

>ELとラッセル車
確かに! 実際にあったのでしょうか?

>EF81
個人的には万能機関車という印象ですが、反面EF80を駆逐した憎き存在でもあります(笑)。

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