五条 1980/3/9
大和二見-(1430D)→五条10:49着/11:53発-(436M)→北宇智
五条から先は電化されていました。乗車したのはクハ111-377でした。
和歌山方です。この先は非電化ですが、架線はどこまで張られているのでしょうか。
和歌山方からです。
出発信号機が4本並んでいますので、1~3番線、中線のいずれからも和歌山方に進出できるようです。
和歌山方からです。転車台はかろうじて形をとどめていましたが、線路はつながっていません。
王寺方からです。
右は王寺機関区五条支区ですが、すでに廃墟でした。
113系が3番線に止まっていますので、2番線の気動車とは同一ホームでの乗り換えができるようになっています。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。
« 川端 1980/3/9 | トップページ | 北宇智 1980/3/9 »
五条は昔は機関区もあって大きな駅だったんですね。機関区が現役だった頃はさぞや多くの国鉄職員が働いていたんでしょうね。
和歌山線や桜井線は今はロングシートの105系なので、乗りとおすのは苦行そのものですが、昔は113系だったんですね。113系が復活してくれないかな。。。
投稿: おびとけ | 2008年6月29日 (日) 14時32分
私が10歳当時の写真に感動しました。
今は無くなってしまった給水塔(?)、回転台のところで遊んだ記憶がよみがえり、懐かしく拝見しました。
五条市内の五條駅、北宇智駅、大和二見駅、現在の風景を同じアングルで写真を撮ってみようと思います。川端駅の記憶がまったくないのですが、そちらも場所を探してみようと思います。
個人的に五條市の観光ホームページを作成しているので、そこで現在、過去の対比に写真を借用させて頂きたいのですがよろしいでしょうか。
投稿: きよし | 2009年6月10日 (水) 11時02分
きよしさん、コメントありがとうございます。現在の風景、撮影の上ぜひ公開してください。拝見したいです。
写真は使用していただいて構いません。お役に立てれば幸いです。
投稿: f54560zg | 2009年6月10日 (水) 20時59分
ありがとうございます。
五條市内24号線にかかる、五新鉄道のアーチが道路拡幅のため、来年一部解体が決まったそうです。五新線が残っているうちに出来るだけ多くの方に見に来ていただけるように頑張りたいと思います。
現在は一部解体の話ですが、コンクリート構造物の施工が、戦時中の鉄が不足している時だったため、鉄筋の替わりに竹を編んで竹筋コンクリート(?)となっている非常に珍しい構造物だそうです。そのため、地震による倒壊の可能性が高いという事で、全てを撤去するという話も落ちあがっています。
幼少の頃より、慣れ親しんだ五新鉄道の景色がなくなることは非常に悲しく思います。
投稿: きよし | 2009年6月13日 (土) 11時12分
まず竹下駅に関する部分の記述で、一行が途方もなく無茶苦茶で、お見苦しく思います。なんかやたらシンドく、ともかく抱いている考えをまとめたらなんとか表して、エ~ツと送信した記憶が有ります。最低なことに確認をとっていなかったと思います。さて、五新線の竹-筋って言うのは初耳で驚きです(PCならぬBC?)。なんか最近の耐震偽装を思い起こさせます。おおむね煉瓦で側面を保持していたような記憶もあり、一体どんな躯体の構造だったんでしょう?きれいなアーチの連続。阪本までバス専用ラインでもあったし、それなりの力学的な構造だったんでしょうし。
投稿: SY | 2009年6月13日 (土) 13時39分
解体される予定の部分は、国道24号線の上部をまたぐ、高架橋部分です。そこは立ち入り禁止になっていて、構造物はコンクリートの打ちっぱなしでアーチの連続となっています。坂本までのバス専用道路になっているのは、吉野川より南からになります。
吉野川の橋脚は、かなり前に解体され無くなってしまいました。詳しい構造はわかりませんが、24号線拡幅で解体される部分は別として、それ以外の部分を、現在の技術なら補強することも可能では…。保存する方向で手を加えてもらいたいとせつに願います。
投稿: きよし | 2009年6月14日 (日) 00時05分
「解体される予定の部分は、国道24号線の上部をまたぐ、高架橋部分です」、ということは、基本的にはアーチの部分の大半は解体対象外なんですね(「すべてを撤去」という方向に行かなければ)?
理由は説明できないのですが、アーチの建造物って、すごく心が惹かれるんです。付近の住民の方の気持ちも察しつつ、なんとか「一部解体」でとどまって欲しいですね。
投稿: f54560zg | 2009年6月14日 (日) 19時32分
管理人様
写真を使わせていただき、HPにアップさせていただきました。様変わりしてしまった五條市内の駅を一度ご覧下さい。
http://www.riversidehotel.co.jp/river/
少しづつにはなろうかと思いますが、アップしていこうと思っています。
ありがとうございます。
投稿: きよし | 2009年6月24日 (水) 22時22分
きよしさん、ご連絡ありがとうございます。
HP拝見しました。同じ場所での撮影、すごく比較しやすいですね。(変わり様については今さら申し上げるまでもありませんが・・・)
きよしさんはホテルマンさんですか。きよしさんもHPのどこかにさりげなく写っているんでしょうか?
投稿: f54560zg | 2009年6月25日 (木) 20時45分
はい。ホテルマンというかホテルで仕事をしてるだけですが(^-^;
このページはホテルのホームページとは別に、スタッフホームページという名のもとに完璧に私物化して楽しんでるページです。
『OMAKE』を開いていただけば、私の日記ですので、何気にというより思いっきり写真のせてます。
川端駅の写真を撮りに行ったのですが、川端駅の形跡はほとんどないため、場所がなかなか特定できません。川端駅が最後になりそうです(^-^)
投稿: きよし | 2009年6月26日 (金) 00時41分
きよしさん、大変失礼しました、じっくり拝見させていただきました。イベントやらNHKの取材など、スゴイご活躍にびっくりです。
残っているものがあればそれを基準に比較ができますが、すべてがなくなってしまった川端駅ではそれはむずかしいですよね。
投稿: f54560zg | 2009年6月26日 (金) 20時00分
このブログに書き込みをさせていただて、大変うれしい事がありました。 f54560zg 様のブログをこの様なかたちで使わせていただき恐縮ですが、この場をお借りし、SY様にお礼を言わせてください。
SY様
本日郵便が届き、大変びっくりしました。
貴重な資料を、お送りいただき誠にありがとうございます。いただいた資料を有効に使用させていただきたいと思います。
改めまして誠にありがとうございます。
f54560zg 様には写真を使わせていただき、SY様には資料をいただいたりと、感謝するとともに甘えてばかりで非常に申し訳なく感じております。
お心使いにおこたえするためにもホームページをなるべく早い段階で完成させたいと思います。
投稿: きよし | 2009年6月30日 (火) 01時30分
きよしさん、私がコメントを書く立場ではないような気もしますが・・・・楽しみにしています!
それと、なんだかよくわかりませんが、SYさんにもお礼申し上げます、とりあえず(笑)。
投稿: f54560zg | 2009年6月30日 (火) 22時52分
【五條】 SYさんの重鎮のような行動力に敬服です。 きよしさんは転車台の近くで遊べただなんていいですね。f54560zgさんのように転車台の周囲には何度も立ちましたが、撮影等が終わるとなぜか私は人目が気になったものです。 私も、きよしさんがSYさんの資料をどのように活用されるのか楽しみにしております。 さて、役目が終わったとはいえ木造複線庫にシンボル的な給水塔が眼を引きますね。庫サイドの支柱補強にも惹かれます。 写真e5の転車台左手側は すでに埋められているようで珍しい光景ですね。 給炭設備は給水塔のホーム側だったのでしょうか、転車台の位置といい制約された敷地が有効活用されているようです。 五條といえばやはり五新鉄道とも言われる五新線ですね。険しい紀州山地を貫く鉄路はどんな車窓になっていたのか未着工部分も含め興味深いところです。もしSLでのルートが早期に開通していたなら、トンネル続く勾配区間にスイッチバックとループ線、峡谷と熊野川の鉄橋に川沿いなどを走るC58やD60が旅情を誘っていたのでしょうか…。しかし、幻の鉄路には幻のSLC63が山岳重装備スタイルで新製投入され、京都や天王寺からの急行を重連で牽引する姿が似合っていたかも知れませんね。五新線の夢とロマンは何処までも続いてしまいます‥‥‥
投稿: E10 | 2009年7月 3日 (金) 05時43分
自身がホテルの所在地宛てに“きよし”さんに呈したのは、北宇智~川端駅の明治末期の平面配線図のコピーで、貴重と言えば貴重なんですが、“きよし”の御努力への聊かの応援の意で、これ以上はプレッシャーにならないよう見守るしかないでしょう。“E10”さんの記述を読んで、自身かつて地形図に道路、トンネルやダム、そして鉄道を中高時分に矢鱈鉛筆で描いていたことを思い出しました。全く以て勉強しない阿呆な悪タレだったので、しかも今や夢中になったことも忘れている始末です。5万分の1等地形図を集め始め、日本列島改造という言葉が巷間に溢れていた頃合いです。キビルメーターと言う名称だったと思うのですが、距離計測具を使い、例えば鈴鹿峠越え、松山~高知間の久万越え(三坂峠)とか、向井原~内子間、南海高野線の改良、五条~御所間の(風の森峠?)葛城古道そのままの直接化とか、です。もうそれも、軽井沢~安中~高崎間の北陸新幹線の勾配検討にいくらでも資金や技術を使える数路を描いたきりです。峠直下のトンネルの設定をまず基準にして、駅間距離の平衡、勾配に伴う逓減や標高を線上に付しつつ極端なU字線やループ線を線描していく…非対称の峠越えは確かに魅力なのですが。“E10”さんの仰る路線は描いたことはありません。山岳地帯の図版は必要があれば少ない小遣いから購入するのですが、なんせ大きな紀伊山地の中核部で図版が殆ど欠如しておりましたもので。図版接続部の正確さ、ダムがあったりして長大な迂遠曲線や大きな支流の横断橋梁等、当時有していたわずかな知識を使っても矢張りシンドイような図になりそうなだけです。まあ殆ど妄想領域の描画で、昔人が選んだ線形に成る程ねと合点が行っている自身は、要は可成り底が浅く、少し拡がっているだけです。ともあれ、仰せの想像には確かに胸を躍らされます、大井川鉄道本線と井川線がまじったような、でもC11でない重量機の牽引でないと。
投稿: SY | 2009年7月 3日 (金) 21時38分
E10さん、「人目が気になる」というのは、鉄道マニアに対する世間一般の人々の冷たい視線ということでしょうか(笑)。
きよしさん、かなりハードルが上がってしまいましたね。
SYさん、何かかなり難しそうな内容ですね。同じような年頃に私がノートに架空の駅の配線図を描いては消し、描いては消していたのとはレベルが違うような・・・。
投稿: f54560zg | 2009年7月 4日 (土) 17時16分
【五條】はい、カメラ片手に(と言っても、とても一眼レフなど手がでず‥カメラ代より旅費代だったので‥)うろうろは、世間一般の方々の冷たい視線に、構内職員の方の視線、でも一番堪えたのは稀に会う鉄道マニアの「こいつこんなカメラで何撮ってんだ」の視線でした。姑息な自分の哀しさですね。 SYさんやf54560zgさんより、幼稚で比ものになりませんが、畳ほどのボール紙に鉛筆と定規で二本のレールを敷き詰め、駅のホームや機関区を書いて悦に入ってました。ボール紙を1㌢幅程に細長く切って車両に見立て、片端に型式を書きマジックインキで塗装?をして連結はセロハンテープを細切りして‥プラレールが欲しくて叶わず、Nゲージが欲しくて叶わず…。 SYさんの鈴鹿越えに松山-高知、痺れます。鈴鹿越えにはマレー機、久万越えには四国未入線のキュ-ロク‥ すぐに連想してしまいました。SYさんは八鹿-若桜間は描かれたのでしょうか‥。私はそこに都落ちしたハドソンを走らせてみたかったのですが‥‥。 f54560zgさん、いつも紙面をお借りして恐縮です。
投稿: E10 | 2009年7月 5日 (日) 10時11分
うわぁ~~、ロマンですねぇ、マレーに96に都落ちのハドソン、それとボール紙も(失礼)。
冷たい視線に負けずがんばりましょう。これに負けて消極的になると後で必ず後悔します。私など、「冷たい視線」どころか、変質者扱いで近隣住民から警察に通報されました。
投稿: f54560zg | 2009年7月 5日 (日) 10時35分
ありがとうございます。
かなり遅れておりますが、必ずUPしていきたいと思います(^-^)
シーズンに左右される季節労働者なもので、今仕事がかなり忙しくなってしまってまして…。
期待いただける内容には程遠いとは思いますが
川端線の線路が残っている所が土地開発公社の管理下で立入り禁止になっています。時間の合間に、雑談適度に行政の方に、開放してはどうかとお話をしたのですが、理由があれば1・2日程度なら何とかなるんじゃないかなということでした。お祭りをする訳でもないので、1・2日では意図は全然変わってしまうと思いつつ、五新線のカットされる予定の高架も歩けるように話をしに行こうと思っています。こちらは柵がないため転落の危険があるので難しそうですが…。
行政にこんな話をして、どうしたいのかも全く考えていないのですが、何かの切っ掛けになるかなと、思いつきで動いています。
何か発展があればお知らせさせていただきます
投稿: きよし | 2009年7月20日 (月) 12時07分
きよしさん、なかなかの行動力ですね。すばらしいと思います。
プレッシャーにならない範囲で期待しています。
投稿: f54560zg | 2009年7月21日 (火) 19時59分