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2008年6月22日 (日)

川端 1980/3/9

大和二見-(徒歩)→川端→(徒歩)→大和二見

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何でこんなところに?とつい思ってしまう貨物専用駅です。

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大和二見方からです。

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少し先に進みます。

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チップの積み込み設備でしょうか。

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大和二見方です。

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さらに終端側に進みます。

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砕石の積み込み設備です。

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駅の先はすぐ吉野川(紀ノ川)です。

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最初の写真で左側に分岐している線路の先です。
かつてはこのあたりを左右方向に横切る線路があり、平面交差が存在していたようです。
(配線図の破線部分です)

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さらにその先です。

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ここもチップの積み込み場のようです。

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川端駅本屋です。
ちょうど名前のところが看板で隠れてしまっていました。

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コメント

有名なのかどうかわかりませんが、何故か昔から川端駅の名前は知っていました。
この辺りは昔散歩した事があるのですが、まさかあの川端駅があった所だとは思いもしませんでした^-^;

このような配線の場合、出発信号機1Rより
内方で分岐している材木線1,2などからは
そのまま大和二見方に向かうことは
可能なのでしょうか?それとも一旦外方まで
入換して改めて信号機の現示で出発して
行くのでしょうか?
いつも質問ばかりですみません・・・

natsuさん
直接出発はできません。本線に引き上げた後に3番線(着発線)に戻ってから出発信号機の現示に従って出発することになります。
もっとじゃんじゃん質問下さいね。

ありがとうございます。
やはりそのままでは出発出来ないんですね、
材木線ではなく貯木線でした、失礼いたしました。

こちらこそ図が小さくて見づらくてすみませんでした。ちょっと大きくしておきました。

こんばんは。この駅の平面交差している写真は
シーナリーガイドという本に写真が掲載されています。

通りすがりの人さん、貴重な情報ありがとうございます!

初めまして。
川端駅を検索していてこちらにたどり着きました。
私は五條の出身で、川端駅は小さい頃から馴染みがあります。
小学校の校庭(今は廃校になりましたが)から川端駅で動く蒸気機関車(たぶんC11)が見えたのも覚えています。
先日、川端駅の近くまで行く機会があったので寄ってみました。
すると今でも線路跡や当時の施設と思われる建物が残っていました。
私はブログをしており、そのブログで川端駅の記事を書きたいと思っています。
そこでお願いがあるのですが、現役当時と現在の比較で、こちらの写真を使わせていただきたいのですが、いかがでしょうか。
無理を申しますが、宜しくお願い致します。

 はじめまして、10数年ぶりに川端を訪ねました。
砂利プラントの横の草むらのレールが埋まっていたところが
きれいに刈られてレールが姿を表していました。
配線図でいうと1~3番線です。
 どうもなにかの工事が始まりそうで、ついにレールが剥がされそうです。

川端駅に来る貨物列車は何処の駅で仕立てて川端迄来るのでしょうか?分岐点の大和二見駅は一方向からしか川端駅に向かえない配線ですし仕分け用側線も無い唯分岐しているだけ首都圏では見当たらないタイプの駅ですね・・
御存知の御方お教え願いたいです

yyoshikawaさん
43-10や55-10の貨物時刻表では貨物列車は五条~川端で設定されていますね。

先だってて四日市でコメントしましたが鉄道史料研究会発行した関西鐵道史に鐵道院時代(明治43年)に作成された配線図が掲載されており其の中に大和二見駅及び川端駅も当時既に開業しており記載されてます 配線図当時大和二見駅は二見駅と称していました現在は存在してませんが王寺方面行きホーム裏に貫通した側線一本と貨物扱い用ホーム及び荷扱い側線が存在してました 川端駅は二見側から着発線と機廻し線二見側本線より東側に側線が分岐末端に側線二又に別れ東側に短い貨物ホーム一本西側に分岐した側線末端も二又に別れ南側は長い貨物用ホームがありました

yyoshikawaさん
情報ありがとうございます。

コメント失礼いたします。貴重なお写真や配線図の数々に興味を持って拝見しており、自分が高校生頃~の撮影資料が多いため、とても親しみを感じております。同時に、信号などが好きな自分にとって誠に有り難い次第です。

 自分はまだ蒸機がいた頃の五条で生まれ育ち、この川端駅のこともよく存じておりましたが、無煙化後も含めて現役時代には一度も足を踏み入れることが出来ませんでした。
 いま縁あって五条駅や川端駅を調べておりますが、ひとつ不明な点があり、ご教示いただけないものかと思い書き込みいたしました。

 それは、S59年の五条-和歌山電化まで同区間は通票閉塞方式が残っていましたが、川端支線の閉塞はどのようなものであったのでしょう? たまたま手元の資料により五条-大和二見間は「サンカク」と知れるのですが、大和二見-川端間の記載がなく、不明です。もしかするとスタフ閉塞だったのでしょうか?

 ご多用のことと思いますので、お手隙の折にでもお教え願えますと幸いです。

>筑前加賀 さま

大和二見-川端間の閉塞方式ですが、手元の「鉄道線路図 運転計画用 昭和53年3月現在 日本国有鉄道運転局」によると、

同書所収の「国有鉄道閉そく方式一覧図」を見ると、票券閉そく式として記載されています。
通票式としなかったのは、続行運転があることを考慮したものと推測されます。

NZさん
フォローありがとうございます。

管理人様

 早々にご返事をくださり有り難うございます。おかげさまで長年の疑問が解けました。

 自宅にほぼスケールでの川端駅を9ミリゲージで再現しようと目論んでいます。こちらに公開しておられる写真が何よりの参考になり助かります。

NZ様

失礼しました。スレッドの見方を誤っておりました。詳細なご教示を有り難うございました。疑問が氷解出来て嬉しく思います。

筑前加賀さん
ややこしくしてしまって申し訳ありません(汗)。

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