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2008年6月 3日 (火)

東灘操車場 1979/8/31

灘-(徒歩)→東灘操車場-(徒歩)→六甲道

19790831

神戸港方面への貨物線が分岐しており、鷹取機関区東灘支区が設けられています。
かつては「東灘駅」として貨物営業が行われていたようですが、この時点では貨物営業は廃止されて操車場となっていました。さらに何年か後には操車場機能も廃止されて信号場となってしまいました。
複々線区間ですので分岐には立体交差が避けられませんが、ちょっと変わった分岐の仕方と交差の仕方です。
機関支区には転車台がありました。

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神戸方はすぐ灘駅です。

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神戸方からです。
操車場とはいいつつも貨車の姿はほとんど見えません。

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神戸方からです。
右は南連絡線で、写真には写っていませんが中央付近を北連絡線が東海道線の下をくぐって横切っています。

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北連絡線の東京方です。

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東京方です。
左が東灘機関支区です。

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DD13は姫路の所属です。

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まさかこんなところに転車台があるとは、といった感じです。

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この写真のみ1976年3月16日撮影です。北連絡線?南連絡線?

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コメント

近所に10年程住んでおりました。懐かしいです。

庫には架線は張られてませんが訪問された後、
張られたのでしょうか?
ELが庫の手前まで入線してます。
http://www.hanshin.co.jp/railfan/3534.htm

今さらながら写真に記録してなかった事に
後悔してます。

いい写真ですね。確かにEF66がいますね。
東灘機関支区は基本的には神戸港への貨物支線用の機関車基地だったと思います。貨物支線は1982年に電化されていますので、この時点で機関支区内にも架線が張られたのではないでしょうか。

はじめまして。いつも貴重な写真、楽しく拝見させてもらっています。
ここは、電化と同時に自動閉塞化されていますので、一番下の写真、DD13のキャブ内にタブレットが見えますね。

LJさん、コメントありがとうございます。
皆さんそれぞれいろいろなところを見てますね。
私はほとんど下の方(線路)ばかりなもので・・・。

突然のコメント、お許し下さい。
神戸市灘区在住の「スコルモア」と申します。実は当地域で開催する芸術祭(上述URLご参照)におきまして、かつての操車場にあった転車台の写真を探しておりましたところ、御ブログにたどりつき、素晴らしき写真を発見し感動しております。つきましては、誠に失礼なお願いですが、本ページ下から3枚目の転車台の写真を弊芸術祭での掲載許可をいただけないでしょうか。誠に勝手な申し出でございますが、何卒ご検討のほどお願い申し上げます。

スコルモアさん、コメントありがとうございます。
このような写真でよければお使いいただいて構いません。
芸術祭がんばってくださいね。見には行けませんが・・・。

東灘操車場~信号所!昔は(という語り口に成ってしまいます)、内側が列車線(現電車線)で、外側(現優等車用線)が貨物線で、ここにその反映があります。ここが小野浜駅(神戸港駅)、その先の湊川駅へと向かう分岐点でした。大阪に比せば、梅田駅に向かう吹田操車場に当たるかもしれません。複々線をクロスする貨物線は関西の東海道の光景なのでしょう。首都圏なら、貨物扱い線独立的に扱われています。写真を拝見する限り、皆さんが指摘されておられるとおり、架線はひかれていないようです。まあ架線がひかれても程なく・・・いつもいつも丁寧な案内と写真を呈されて・・・・

首都圏では方向別の複々線がほとんどありませんから、東灘はずいぶんと変わった印象でした。下をくぐるってのがいいですね。あのトンネル(?)は今はどうなったのでしょうか。

素晴らしい資料ありがとうございます。神戸の臨港線の研究をしておりますが、これほど資料は見たことがありません。もしほかに近隣の神戸の貨物駅等の資料がございましたら、拝見させて頂ければ嬉しいです。

コメントありがとうございます。残念ながら神戸周辺は他にはないのです、ごめんなさい。
ほかのところになりますが今後も見てくださいね。

なつかしい写真に感動しています。
昭和58年の10月、小学校の修学旅行で神戸駅
から専用列車で伊勢に向かう途中、この東灘操車場の空線に用途を失った581系のサロやサシが多数留置されてたのを見たのを覚えています。
帰路は逆にこのターンテーブルを見つけたのも
覚えています。ちなみに帰路京都からの牽引機は
EF58の100号機でした。どれも懐かしいです。
もっと写真を撮っておけばよかったなあ。。

ssym0412さん、懐かしさを感じていただけてうれしいです。
今からでも遅くはないですから、一杯写真を撮っておいて下さいね。

EF58って、良いですよね。宮原に集中配置された58型で、多分12系に乗られたのでしょうと思うといささか嫉妬の念を年甲斐もなく抱いてしまいます。風景はもとより振動音も覚えておきたいものです。自身は記憶を遡りながら、結果多分確たる思いを以てEF58に乗っていないことに気付かされます。実際乗った急行「くにさき」や昼行「しおじ」を牽引していたのか思いつつ、確信をもてません。さらに24時間運用の「月光」たる581系の末路が、吹(操)だけでなく、東灘操車(信号所場)にあったのは悲しい感じもするし、お休みなされ、と言いたくなります。

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