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2008年6月 2日 (月)

明石電車区 1979/8/30

土山-(792M)→西明石14:25着/17:10発-(836M)→元町

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区10~11番線付近です。門司方からです。

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西明石駅につながる部分です。

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検修庫です。門司方からです。

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検修庫の神戸方からです。

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引上1番線付近です。門司方からです。なにやら怪しいものが・・・

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正体はクモハ73084+クモハ73379です。もちろん営業には使用されていません。
さらに怪しいものが右奥に小さく写っています。

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それはこちら。クエ9401です。
試運転1番線の奥に止められていました。

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救援車には何が積まれているのでしょうか。

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この写真のみ1976年3月30日撮影です。区2~3番線付近です。神戸方からです。
80系の姿も見えます。
妙に車両が多いのは、ストライキの真っ最中だからです。
許可をもらおうと思って事務所らしきところの戸を開けると職員さんがいっぱい集まっていました。「写真を撮らせてほしい」と言うと「何ぃ?」とにらまれてしまいました。アタマに「電車の」とつけなかったのがいけなかったようでした。

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コメント

11,12番線の進路に2系統あるのが
興味をひきます。
これは26L,27L外方に車両が止まってても
進路が構成出来る処置なんでしょうか
(シーサスに車両がひっかかってれば
当然ダメでしょうけど)

よくわかりませんが、11・12番線は洗滌線ですので、自動洗滌機との関係があるのかも知れませんね。

80系、懐かしいです。私は電車では80系が一番好きです。1968年(昭和43年)10月改正で京阪神の快速電車からは引退したと聞きましたが、それ以降も広島方面からの長距離普通電車の80系が、大阪駅まで来ていました。下り大阪発は早朝、上り大阪着は夜遅かったので子供の私は見に行けませんでした。それも山陽新幹線岡山開通の1972年(昭和47年)3月改正で、それまで残っていたEF58牽引の普通客車列車と共に大阪駅から姿を消しました。
以後はほとんど姫路以西でしか見られなくなりましたが、一往復だけ西明石まで来ていました。下りは西明石6時26分発糸崎行きで、私の住んでいた茨木の緩行線一番電車が西明石6時25分着で接続しているのでした。1973年(昭和48年)夏、親から借りたEEカメラを持って出かけました。初めて一人で鉄道写真撮影に遠出した時です。
約一時間半の乗車後、西明石駅に降り立ち久しぶりに80系の姿を見た時は胸が高鳴りました。最後尾は元一等車改造のクハ85でした。その後姫路・岡山へと向かい思う存分80系を撮影し乗車を楽しみました。
東京や名古屋には遅くまで80系が残っていたのに大阪からは早くに姿を消してしまい、残念でした。

明石電車区で印象的なのは、岡山への行き帰りにいつも留置されているのを見ていた155系です。一度だけ準急「臨時鷲羽」に運用されていた時に乗り、その鮮やかな色合いが強烈な印象で小学校1年か2年の時、図画の時間にその絵を描きました。いつかまた乗りたいと思っていましたが、私の修学旅行の時は155系は修学旅行電車からは引退していて、新幹線でつまらなかった。
乗る機会もない間に湘南色になってしまい、やがてひっそりと引退してしまいました。

西明石発糸崎行きですか!ロングランですね。
早朝に西明石を出るのであれば、真昼間に西明石に留置されている80系電車を撮影できたのはまさにストライキのおかげです(笑)。
東京駅では、少なくとも1977年時点までは1往復ながら80系が東京駅まで顔を出しており、個人的にはびっくりでした。上野口からはすでに撤退していたはずですので。

 嘗て各地の電車区客車区機関区気動車区等では必ず救援車が待機しておりました
 其れ等は珍品奇品の類が殆どでしたカルダン車全盛時代に木造省電の生き残りが救援車として残っていたり木造客車 鋼製車 私鉄買收車の残党更には貨車の成れの果て等百鬼夜行な状況でした
 近年ATS ATC等の設置により追突脱線転覆等の事故も減り出番が無くなり廃車になった
 起重機車も最近は見られ無くなりました 一度事故が起きると現場迄救援車や起重機車が来たものですが如何いうルートで現場に来るのか謎です
事故現場の前後に別な列車も停止しておるでしょう其れ等の整理せぬとたどり着けない筈です
 救援車の積荷はジヤッキや木の角材工具類等でしょう

yyoshikawaさん、救援車については昼寝をしている姿しか見たことはなく、(不幸にも)これが活躍している場面に遭遇したことはありません。
yyoshikawaさんおっしゃる通り救援車と言えばゲテモノ的なものが多く、救援するよりは救援される側ではないのかと思うことが多々ありましたね。

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