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2008年5月30日 (金)

加古川気動車区 1979/8/30

高砂-(430D)→加古川10:35着/13:11発-(784M)→土山

784Mは姫路発草津行き、クハ111-149に乗車しました。

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加古川線用のDCが40両程度配置されているこじんまりとした基地でした。
主力はロングシートのキハ35系でした。

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なぜか遠くからの写真しかありません。
DD13の姿も見えます。

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加古川気動車区とは関係ないのですが、写真が少ないので穴埋めに。
そばの加古川橋梁を渡る貨物列車です。

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汐留発東小倉行きの荷39レです。

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コメント

加古川機関区といえば C12なのですが、気動区となると キハ35系 キハ20系に 古くは キハ06や湘南スタイルの キハユニ15等で、気動車好きの方々なら キハ37も思い起こされることでしょう。キハ37は遠目にも判る顔立ちで、気動区で休んでいる姿も印象的でしたが、ある時から中間車に編成変更されたりして顔が見られない時期もありましたが、少数派らしく加古川線で異彩を放っていました。
加古川機関区には、大正期からの播州鉄道(のちの播丹鉄道)時代より延べ20両程の古典機が在籍していたようですが、特記すべきは唯一のテンダ機 5200型で、2両中1両(5201)は戦後迄生き残り活躍したようです。終戦後は上記古典ロコ達10両と C12が10両以上で加古川線系を受け持っていましたが、昭和30年代には気動車(キハ06)が入線していて古典機達を一掃しています。その後、C12は徐々に数を減らして行き、4両体制となりますが、晩年は C11が1両(高砂線用?)転属して来て3両となりました。
加古川線は C12の走る線区として足尾線や高森線のように注目度は高くありませんでしたが、中国山地の東端に分け入る播州平野を短い貨物編成を引き長閑に走る加古川線の C12の姿は、日本の原風景を彷彿とさせる情景だったのではないでしょうか。

記事の配線図は気動区の見取り図らしく、1番の区長室から75番の時計塔まで諸設備が網羅してありますが、食堂の名称を見つけ出すことが出来ませんでした。運転本部辺りにでもあったのでしょうか。釧路、奈良、広島等で機関区の構内食堂を利用したことがあり、このような図面を見ると、ついつい気になります。
懸案の転車台ですが、加古川配線図の項で f54560zgさんがおっしゃるように検修線の奥辺りが転車台の名残りのように感じます。4線の短形庫前辺りに、中込機関区のような転車台の配置も理想的なのかも知れません。播州鉄道時代には加古川駅北側の側線奥辺りに機関区が在ったのかも?と想像していますが、気動車入線以前の加古川機関区の様子をなんとか知りたいものです。

加古川線には、加古川駅の他にも転車台が設けられていた駅は今のところ見つかっていません。確かにタンク機が使用されていたわけですが、それでも転車台があっても不思議ではないと思うのですが・・・。

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