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2008年5月31日 (土)

土山 1979/8/30

加古川-(784M)→土山13:18着/14:15発-(792M)→西明石

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別府鉄道土山線が接続しています。
貨車の授受が行われており、その関係でしょうか社1番線から門司方に出発するための10RHが設けられています。
別府鉄道側は腕木式の場内信号機が設けられていますが出発信号機は設けられていません。
「列車の進出に関係する転てつ器はすぐそばだから駅長がその開通方向を確認するのは簡単。だから目の前にいる運転士に駅長が進出の可否を伝えるのに何でわざわざ信号機を介さなきゃいけないの?」
といった理論でしょうか。

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門司方です。
左へのカーブが別府鉄道線です。
腕木式の場内信号機は結構立派です。

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門司方からです。
社2番線の列車は、混合列車であることといい、機関車といい、その次位のダブルルーフ客車といい、この時代でも十分ゲテモノ(失礼)でした。
野口で見かけたものもすごかったですが・・・。

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神戸方からです。

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左の国鉄線の雰囲気と比べ、別府鉄道側は何ともいえぬ素朴さというか哀愁が漂っています。

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別府港方です。

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別府港方からです。

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コメント

トラバありがとうございました。
昔の土山駅はこうだったんですね。
まだ生まれて無かった頃なのでどうしようも無いですが、別府鉄道は乗ってみたかったです。悔しいです。
貨物が駅でゴロゴロしていたのも当時では普通だったんでしょうね。

土山駅は今は巨大な橋上駅舎に生まれ変わって、当時とは隔世の感があります。その記事もトラバさせていただきます。

30年近くも前の写真ですので現在とはまさに「隔世の感」ですが、その当時でさえ別府鉄道は「別格」で、まるで鉄道創成期かのような様相でした。但し私は別府鉄道そのものにはさして興味がなかったので、乗りたいとも思いませんでしたが(笑)。

私はあいにく野口線には乗った事があるものの土山線には乗りそびれたまま廃止になってしまいました。
別府港方には出発信号機がないんですよね!?
スタフ閉塞とはいえ不思議。何らかの安全対策(閉塞を運転士に与える方式)があるはずなんですけどねぇ。

土山線は非自動ですので、信号機と閉そくとは機械的な関連がなく、別個に扱われていたと思われます。つまり出発信号機がなくとも閉そくは行なわれていたと思います。たとえば通票閉そく式とか。
信号機は、「関係する転てつ器を正しい方向に開通させたから出発していいよ」という地上側の意思を信号機を介して運転士に伝えるものですから、このクラスの駅では駅長さんが目で転てつ器の開通方向を確認し、正しければ直接運転士に「出発していいよ」と言えば出発信号機はなくても済んでしまうんですね。

おっしゃるとおりですね。
私はウッカリしていました。
スタフ閉塞だった三木鉄道三木駅も、2番線を増設するまでは場内信号機のみ(出発信号機はなし)でしたから、当務駅長の出発合図で列車を出していました。

すみもとさん、さすがに停車場に進入してくる列車の運転士に対して駅長さんが直接合図は送れませんから場内信号機は省略できないですね。
加悦鉄道の丹後山田駅にも出発信号機はありませんでした。

 土山と云えば別府鉄道でしたが国鉄貨物合理化の犠牲になった私鉄でした 別府鉄道は多木肥料の貨物がメインでしたが其の外別府港付近の臨港線的役割も有ったのに他の臨海鉄道は合理化後も生き残れたのに別府鉄道は設備面で既に古くなってしまったのが廃止の原因だったのでしょう
 私は廃止の直前正月明けに訪れました 別府港から土山迄オープンデッキのハフ7に乗車しましたが時速20Km/h位なのにえらい乗り心地に閉口しました明治時代の乗客はこんな感じで旅していたのかと 土山で一旦下車 駅構内を見学再び別府港へ戻りました 何故別府港から別府港へ戻ったか山陽電鉄に乗たかったからでした

ご案内いただき、学びにやって参りました。
先に出発なしのお話を。やはりあるのですね、そういう例が。駅統合で無くなってしまった福島臨海鉄道宮下駅の本線には下りも上りも出発信号機がありませんでした。
この分野に興味を持ってから何気ない気持ちで腕木式を眺めにいったら「無い!」。通称安中貨物が発着する下4には立派なのがありました。安中が終わると閉塞が併合されていましたし。本線に止まるのは安中を牽くための単機のみ。ですから本屋の目の前に両面の列停があったがとても印象的でした。
信号を介さなくとも列車は出発できる。なるほどです。
現在の停車場ではそのような例はあるのでしょうか。

やわやわとまれさん、信号機が閉塞装置の機能を持つ場合(すなわち自動閉塞)では出発信号機は省略できませんので非自動区間に限られてしまいます。たとえば小湊鉄道の里見駅には出発信号機はなさそうですね。

 非自動閉塞の場合、出発合図は駅長の責任で送るものなので、信号機の建埴は必須、というものでもないようです。 
 あと、両腕式の腕木式信号機は、接近する列車に駅構内への入線の可否を伝えるためのもので、見通しが確保できない場合、遠方信号機が併設される、ということのようです。
 あと、出発信号機は、列車が並列して止まっていたところ、対する出発合図(それも駅長か助役の怒鳴り声)を自列車に対してのもの、と勘違いして双方が同時に発車したため接触してしまった、という、笑えない事故をきっかけに採用された、と聞いたことがあります。

f54560zgさん 交換設備が復活した里見駅ですよね。行ってみたいっ!

bad.Ⅳh-95さん、出発信号機が採用されたいきさつ、ありがとうございます。確かにありそうですね。
やわやわとまれさん、ぜひブログにアップしてくださいね。

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