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2008年5月28日 (水)

高砂ほか 1979/8/30

加古川-(429D)→高砂9:40着/10:20発-(430D)→加古川

429D、430Dともキハ2087に乗車しました。

19790830

高砂駅だけでなく、高砂線内の各駅が記載されています。
高砂駅よりも高砂港駅や専用線、高砂工場のほうが興味をそそられますが、残念ながら例によって徒歩のため、遠出はできませんでした。

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右が加古川方、左が高砂工場方です。

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加古川方からです。郡家の記事で、「機械式の入換標識は郡家と大越でしか見たことがない」と書きましたが、これが大ウソであることが判明しました。右側にしっかり写っています。気づきませんでした。

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加古川方からです。左の三菱製紙の専用線の脱線転てつ器は配線図に描かれていますが、右の高砂工場からの線の脱線転てつ器は描かれていないように思います(図が不鮮明なせいかもしれませんが)。

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加古川からの場内信号機の下に高砂工場からの入換標識(入換信号機かも)が見えます。

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高砂港方からです。

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高砂港方です。高砂~高砂港間はどのような運転方式がとられていたのでしょうか。入換信号機のようなものは見えません。

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駅舎よりも車に目がいってしまいます。

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野口です。430Dの車内からの撮影です。

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コメント

加古川気動車区で運転士をされていた方の話によると、「高砂線は晩年、高砂-高砂港間は入換で運転をしていた」と教えてもらった事があります。

余談ながら私は三木鉄道の元運転士をしていましたが、なにせ昔の事は殆ど記憶にありませんから、膨大な配線図、大変興味深く拝見しています。

貴重なお言葉、深く心にしみ入ります。地平時の加古川駅の長閑な風景に山陽本線を乗越える高砂線。本線とギャップのある加古川線のホーム。高砂工場も廃され、本工場も播西地区に移され…。

すみもとさんは元三木鉄道の運転士さん!
なんとうらやましい・・・、おっと軽率でした。
人命を預かるお仕事ですから、さぞかし大変だったんでしょうね。お疲れさまでした。
SYさん、いったん反対側に分岐してから山陽線をまたぐ高砂線が好きでした。高砂港も高砂工場も含めて過去のものになってしまいました。

いえいえ、現在は全く鉄道現場から離れてしまいましたので、今となれば昔の懐かしい話です。
私の在職時は、JR加古川鉄道部(旧気動車区)の方は皆さん国鉄経験者でしたので、国鉄時代のお話をよく聞かせてもらいました。

すももとさん、実際の経験談など、なかなか聞けない話を教えてくださいね。

またまた亀レスすみません
高砂線に乗ったのは昭和53年頃だと思うのでかなりあやふやな記憶です。
加古川からオーバークロスで高砂に向かっていたのをこれを見ていま思い出しました。
最初の訪問は別府鉄道が目的で(高砂線が無くなるとは夢にも思っていませんでした)
バケット式の気動車も土山線の混合列車も乗客は私と友人のみでした。
じつは高砂駅は私の勤務していた東海道本線刈谷駅の着荷では1番の相手駅でしてキッコーマン正油が積荷です。
そのため運転関係職員数名とこちらに訪問しました。
これが2度目の訪問でして輸送本部やキッコーマン正油様なども見学させていただいた次第です
高砂駅の出荷も正油が主だったようですね
残念ながら高砂工場は見ていません

鉄路に纏わる高砂の思い出なのですが、まだ廃線前の頃に友人が高砂に居たのと廃線後の高砂駅前に取引先が有って、f54560zgさんの写された線路脇に家屋が迫った風景は印象に残っています。
高砂から高砂港の間くらいにアンダークロスする道路が有って、車で通っていたら 12系客車が突然頭上に現れびっくりしたことがありました。高砂工場の入場車だったようです。
廃線後は、山陽電鉄と並走していた加古川の鉄橋が意外なほど早く撤去されて、高砂線の廃線を実感しました。
その後、一ノ関辺りの東北本線に乗っていたら、向かいの席に乗り合わせた初老の男性が終戦直後に高砂の相生と言う所に住んでいたとお聞きして、新幹線の駅のある相生市と勘違いされているのかと思ったのですが、それから高砂で相生橋と言う加古川に架かる橋を見つけ、そうだったのかと自分の浅はかさに気付かされました。

徳山の項での、子供の頃の私に機関区巡りへの動機付けの一つをしてくれた叔父が、その昔キッコーマン関連の仕事をしていて、当時キッコーマンで働いていた叔母と結ばれたと聞いたのをヒデヨシさんのお話で思い出しました。
もう50年以上も前の叔父と叔母との出来事です。

高砂線はそれ自体は廃止対象になってもおかしくないぐらいのローカル線と感じていましたが、工場があるので運輸営業は廃止されてもまさか路線自体が廃止されるとは思ってもいませんでしたね。工場ごと廃止にはただただオドロキでした。
ヒデヨシさんは元(今も?)国鉄~JR職員さんでしょうか。
高砂駅はキッコーマンの工場があるから当然として、刈谷駅とキッコーマン醤油の関係が深いのはなぜだったのでしょうか?ちょっと興味がありますね。

こんばんわ~
私はJR時代は体験していない元国鉄職員です。
高砂線は線区としては貧弱な運転本数で貨物と高砂工場でもっていたのは承知しています。
ですが高砂工場があるので大丈夫と思っていました。
刈谷駅から正油がどのような経路で流通していたかは判りませんが刈谷駅自体が西三河の貨物拠点駅でしたのでまとめて来ていたのかもしれません。
毎日ワム80000で10車ほど来ていましたよ。
中身は一升瓶の形態だったと記憶しています。
着荷では自動車用の板ガラスと並んで重要でした

ヒデヨシさん、そうですか、なんともうらやましい。
いずれ刈谷駅もご紹介させていただきますので、その際は当時のお話をいっぱい聞かせて下さい。

ヒデヨシさんのコメントに反応して。
当時のキッコーマンからの発送は、西日本エリアが主だったと思います。また、中部地方ですと、刈谷の他に、新守山、大府、南福井などもあったかと記憶しております。

旧高砂市民さん、情報ありがとうございます。

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