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2008年5月27日 (火)

生野 1979/8/29

和田山-(664D)→生野13:52着/14:23発-(614D「但馬4号」)→姫路

19790829

この駅の最大の特徴は、右側通行であることです。
美濃白鳥も列車交換時は右側通行でしたが、ここはいつでも右側通行です。
それと、よくわからないのは和田山方の4本の側線です。何かの名残でしょうか。

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和田山方からです。

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和田山方からです。

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和田山方です。

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この4本の側線はいったい何?

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コメント

4本の側線、私も気になったので調べてみました。
鉱山の貨物駅だったようですね。
訪問された時は保線基地のような感じですが
2年前まではDD54が留置されてたようです。

http://homepage2.nifty.com/ninizou/rail-dd54.html

http://club.kobe-np.co.jp/mint/article/odekake/bantansenzentuu2006042101.html

ありがとうございます。謎がとけました。
貨物列車がはまかぜなどを待避するのにも使用されていたとはオドロキです。

新井駅に続きまして、気が付いた点がありましたので、コメントさせていただきます。

・配線図の姫路方の安全側線は、引き上げ線(100m程度)として使用されていたことがあり、おそらく、取材された際には草が生い茂って普通の安全側線に見えたのかも知れません。

・中線には、工臨で運んできたホキやチキが留置されていたのを記憶しています。また、昭和30年代には早朝の上り客車列車に増結するため、本務機のC51などが中線に留置していた3両程度を引き上げ線から前付けしていたようです。

・貨物扱いしていた和田山方の4本の線路は、播但線が和田山方面へ延伸する前までの終点の生野駅で、地元では「旧駅」と呼んでいます。

地元の住人さん、またまた貴重な情報ありがとうございます。「旧駅」ですか。まさに地元の方ならではの情報ですね。

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