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2008年5月26日 (月)

和田山 1979/8/29

新井-(6613D「但馬3号」)→和田山11:07着/13:13発-(664D)→生野

664Dはキハ35136でした。こんなところでロングシートとは・・・。
寺前まで行きましたが一旦和田山まで戻って再度生野に向かいました。

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山陰線と播但線の分岐駅です。
播但線のローカル列車はすべて和田山始発・終着でしたが、播但線の優等列車及び山陰線の優等・ローカルから見れば一中間駅でした。
豊岡機関区和田山支区が設けられており、有名な煉瓦の機関庫がありました。

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京都・姫路方です。一番右側の線が播但線です。

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幡生方です。

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幡生方からです。

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幡生方からです。
機関庫の中はDD51でしょうか。

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京都方からです。

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京都方です。

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左側にまっすぐ伸びている線路の先に転車台があったはずなのですが・・・。

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「一旦停止」の標識は残っていましたが、転車台はなくなっていました。

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コメント

トラとヨが留置してある線の入換標識のすぐ先の
転轍機は手動ですがレバーを倒して開通させると
入換標識も現示されるのでしょうか?電動なら
分かるんですけど・・・

す、鋭い質問ですね。私は気にも留めていませんでしたが、おっしゃる通りですね。
「トラとヨが留置してある線」とは裏1~3番線のことですね。
「入換標識」とは66Lのことですね。
「すぐ先の転轍機」とは259号のことですね。
要するに、入換標識66Lの内方に鎖錠できない転てつ器259号があるのはおかしい、ということですね。

想像ですが、おそらく66Lは裏1~3番線だけでなく、8~11番線及び機1、3、4番線とも共用のように思います(1番線及び7番線にはそれぞれ62L、63Lが設けられていますが8~機4番線には入換標識が設けられていないからです)。すなわち、66Lは本来ならば259号転てつ器と129号転てつ器の間に設けられるべきものと思われます。それが接触限界との関係でこの位置に設けられたのではないでしょうか。

入換標識の設置については運転保安設備基準規定(当時)第128条の(2)に「2以上の線路から同一線路に進出する場合は接触限界の内方」に設けるように定められていました。
写真で見る限り7番線と8番線の接触限界標識は63L近くに設けられています。129号転てつ器からはかなり遠い位置です。仮に259号転てつ器と129号転てつ器との間に66Lを設けた場合、66Lの直前で車両を停止させてしまうと1番線または7番線から幡生方に車両を移動させた場合にこれと接触してしまいます。このため接触限界に近い位置(それでも完全ではありませんが)に66Lを設けたのではないでしょうか。

すみません、あくまで推測です。

>>「入換標識」とは66Lのことですね~転てつ器259号~

おそらくそうだと思います。
連動図で指摘出来ればよいのですが拡大しても
当方のPCでは不鮮明なのでこのような表現に
なりました、すみません。
接触限界の事までは気付きませんでした。
どうもありがとうございます。

写真では66Lには進路表示機もついてるように
見えるのですがすぐ先のJ線?のすぐ横にも
入換標識(信号機?)が設けられてるので
J線の外方までしか進路構成が出来ないように
思えるのですが?

あれこれ色々と想像しております。

またまた難しい質問ですねぇ。
入換標識の連動関係は難しいんですよね。

これも推定になりますが、66Lで進路を構成した場合、J線のすぐ横の入換標識67Lは66Lで総括制御されるものと思われます。
たとえば66LHの進路を構成する(66Lのてこを反位にして選別押しボタンHを押す)と、66Lは線路が開通している時の表示(斜めの灯列)になり線路表示機にはH線を表す表示がされますが、同時に67Lも線路が開通している表示となり、H線を表す線路表示がされると思われます(67Lのてこを操作していなくても)。
このように67Lを総括制御することにより66Lで67Lの内方までの進路が構成できるようになっていると思われます。
同様に、67Lはおそらく62L、63Lによっても総括制御されるものと思われます。

じゃあ、67Lは何のためにあるの?
おそらく(こればっかりですみません)、たとえばG線からH線に車両を移動させる場合、車両が123Tを抜けた時点で折り返せる(66Lの外方まで進まなくても済む)ようにするためではないかと思われます。

詳しいご説明ありがとうございます。
連動してましたか!

>>67Lは何のためにあるの?

車両のいろんな入換を想定して
設置されてるんですね、
改めて入換標識の連動の構成に
興味を持たされます。

これからも鋭い指摘お待ちしています。

f54560zgさんが北近畿などを訪問されていた1979年8月… 私にとっては特別な想い出の日々でした。
f54560zgさんと私が31年以上前に少しだけ接点があったようですが、そのことに関してはいずれひとやすみの項で触れたいと思います。
6日でラストランとなるキハ181系の特急はまかぜですが、当時の時刻表をたどってみますと、まだキハ80系時代の特急はまかぜと f54560zgさんがこの和田山駅構内で遭遇していた可能性があります。
特急あさしおや急行だいせんに急行白兎なども f54560zgさんの和田山滞在時間内に通過や停車をしています。
f54560zgさんの細やかな記録がこうした情景の証となっていますね。

この和田山機関支区は播但線仕業の C51 C55 C57(C54は福知山 豊岡配置の播但線仕業)と歴代のライトパシフィックが在籍したのは有名ですが、それは戦後のことで、それまでは昭和初期に生野峠補機用と構内入換用で2両のB6こと 2120が終戦後まで在籍し、開戦前後の時期に 9600が2〜3両の在籍。 戦時中は意外にも C58が10両規模の配置。 C58と入れ代わるように昭和20年頃から C51の10両規模の配置が昭和30年代中頃まで続きます。
その後 C55が5両規模で配され C51と入れ代わり、40年代に入り C57が C55と入れ代わり、43年頃までにSL配置がなくなり豊岡機関区や福知山機関区の駐泊地となります。
いずれにしろ和田山機関支区は播但線の姫路側の重幹線機関区としての容量を補完し、動力車の配置が無くなっても、古くからの豊岡や福知山の補完(戦前は豊岡と姫路の 8620が播但線仕業)と、3ヶ所の機関区を支え続け、鉄路の要衝だった象徴であろう2線式煉瓦製短形庫も現存していて、和田山の存在感を今も示しているようです。

和田山の訪問は86年頃だったと思いますが、当時の情勢を反映して、ホームと煉瓦庫の間の側線に多数の旧型客車が留置されており、その中に現在、横川に居る ナハ11のトップナンバーが含まれていたのを覚えています。

特急はまかぜに乗車したのは10年程前からでしたが、我々の年代にとって気動車特急のエースであった キハ181系…。
11月6日好天の秋空の下、山陽本線、播但線、山陰本線と キハ181系特急はまかぜとして最後の力走を見せてくれることでしょう…。

いつもいつもE10さんの文章にはロマンが満ち溢れていますね。
蒸機時代は機関区や機関支区がこまめに配置され、それぞれにおいて活気を呈していたわけですが、電化・ディーゼル化で小規模機関区は姿を消し、昨今では合理化でかつての一大機関区でさえ廃止という、信じられないような状況です。歴史を伝える煉瓦機関庫の現存は大変貴重だと思います。
私にとってのキハ181系といえばやっぱり「しなの」ですね。ヨンサントオから42年、長い間お疲れ様でした。

 こんにちは、またおじゃましている奥野君です。
 今度は和田山駅です。給水塔や煉瓦庫はちゃんと残されていて、駅前には謎の線路もありましたが、シーンとしていました。寂しいものですね。
 ではでは。

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