新井 1979/8/29
寺前-(629レ)→新井10:04着/10:54発-(6613D「但馬3号」)→和田山
播但線の「新井」は「にい」で、信越線の「新井」は「あらい」です。
・・・・余計なお世話です。
寺前と同様ごく普通の線路配線ですが、こちらのほうは安全側線が設けられています。
3番線の姫路方に専用線がありますが、使いづらそうな配線のように感じます。
和田山方です。
1番線(写真の最も右の線)は副本線ですが、貨車の留置線になってしまっています。
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はじめまして、どの駅も興味深く拝見しています。
新井駅の地元に住んでおり、僭越ながら、気が付いた点をお知らせします。
・入換用の動車が留置されている専用線は、かつて、「一円電車」で有名な神子畑からのトロッコ軌道に続いていたかと思われます。
・1番線(副本線)は、貨物の荷重を量る「はかり線」が短いながら併設していました。
・配線図の「姫路方」と「和田山方」は逆ですので、
写真のコメントも変わってくると思います。
C57やDD54が活躍していた頃が思い起こせる写真を掲載していただき、ありがとうございます。
投稿: 地元の住人 | 2011年1月 2日 (日) 10時34分
播但線に新野駅と言う駅が有って、この新井駅と少し混同していました。
5回や10回は新井駅を通っているのですが、相変わらずの記憶力です。
そんなこともあって、地元の住人さんのおっしゃる配線図の向きのことは気が付いていました‥。
11月に「セナ」の事があって、ひとやすみの項での一円電車に関連付けてコメントを考えていたのですが、トロッコ軌道や一円電車にも詳しくなく、密かに地元の方がコメントしていただけないかな?とも思っていました。
昔の播但線のお話をおうかがい出来るのは大変嬉しく感じます。
40年程前に親戚中で急行但馬に乗って城崎温泉に行った事があり、地平時代の野里駅と、この新井駅に貨車がたくさん居たのを微かに覚えています。
それと DD54は好きな型式なのですが故障が多く、学生時代(昭和50年代前半)に播但線利用の級友が何度も延着証明書を持参していたのを覚えています。
昭和40年代当時、母の実家のお墓参りに行くと高台から播但線が見え、たまたま通り掛かった C57が微かな記憶として残っています。
しかしながら私の播但線は DD51とDE10に 50系客車と客車終焉期の12系客車で、昔の播但線をご存知の地元の住人さんのご記憶などがうらやましい限りです。
少しだけ線路のことですが、入換動車の先の線路が微妙に右カーブしていますね。
たまらなく良い風景です。
投稿: E10 | 2011年1月 3日 (月) 19時34分
地元の住人さん、コメントありがとうございます。
大変失礼をいたしました。おっしゃる通り逆ですね。修正をさせていただきます。
「一円電車」という名前は聞いたことがあるのですが、場所は全く知りませんでした。かつてはこの新井駅に接続していたんですね。情報ありがとうございます。
E10さん、私の播但線のイメージも「客車列車」で、全国的には客車列車がかなり減った状況でありながら、姫路-寺前間にはやたら多くの客車列車が運転されていたのが印象に残っています。
投稿: f54560zg | 2011年1月 3日 (月) 20時46分
こんにちは、今度は新井駅の奥野君です。
貴ブログのホッパーを期待して行ったのですが、さすがなかったです。列車回数が少ないので、予定に入れるのは苦労しました。生野駅にはたどり着きませんでした。
ではでは。
投稿: 奥野君 | 2012年10月18日 (木) 11時44分
正確に言うと「一円電車」ではありません。
一円電車は明延鉱山と神子畑精錬所を結ぶ軌道で
762㎜、ほとんどがトンネルでした。
一方、ご指摘の軌道は、神子畑と新井駅を結んでいた軌道で「新神軌道」と呼ばれていたそうです。
一円電車は明延鉱山閉山まで残っていましたが
新神軌道は昭和40年代前半にはトラックにとってかわられたそうです。
投稿: ニブロク | 2015年9月13日 (日) 22時27分
ニブロクさん、「一円電車」が新井駅まで接続していたのではないのですね、失礼いたしました。情報ありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2015年9月17日 (木) 23時00分