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2008年5月19日 (月)

鳥取 1979/8/28

浜坂-(511D「美保」)→鳥取9:47着/10:30発-(543レ)→湖山

511Dはキハ581124、543レはオハ46512に乗車しました。

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高架化されたようで、昔ながらの駅の雰囲気はありません。
車両基地である西鳥取運転区が幡生方にあるのですが、信号機の配置を見る限り入出区線まで入換信号機による構内運転のように見受けられます。
入出区線までは2km以上ありますが、構内運転の制限速度は45km/hですから本線列車には支障ないのでしょうか。

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京都方です。右に分かれているのが因美線です。

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京都方です。なぜ下り本線(3番線)が分岐器の分岐側でホームのない貨物着発線が直線側なのでしょうか。

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京都方からです。

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京都方からです。

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幡生方からです。まだ高架になって間もないのでしょうか、妙に殺風景な景色です。

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幡生方からです。

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幡生方です。

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コメント

地平期の鳥取を利用した際に奧側の検修庫を見かけた記憶が微かにあり、同駅を夜行の普通で発ち、明け方の保津峡を一人だけ起きて自然が為す彩りの細密画を堪能したことを思い出しました。当時は長距離の普通がざらにあった山陰線でした。自身が有している図はすでに千代川架橋が複線になって、湖山も鳥取駅から移設された貨物・運輸施設が描かれた計画図です。よって、高架化完成直後に訪ねられたのでしょう。もうその湖山にも貨物列車が届いていない由。山陰線では出雲駅も高架化され、グーグルアースで眺めていると、駅内の転車台が旧出雲電車区に移設されているようで、高架に伴い運輸設備の移設は仕方ないのですが、でも…。“E10”さんが仰る国道29号(通称若桜街道:H=891m)については道路改良はしたことはありがますが、若桜側の急坂と、姫路側のダムに辿るまでの急坂を車上で知っており…手許の20万の地勢図に智頭~志戸坂峠(H=581m)~佐用に線画が残っておりますので、それを5万に試行的にひいてみている筈です(智頭急行線と結果的に同一)。上記街道で素朴でわびしげな若桜駅を垣間見ていつも嘆息したものです。この嘆息も、寝食を忘れ夢中に作業をするのも、どちらもファンのサガや反射なんでしょう・・・畳一面分とは。

最近の記事の桐生もそうですが、高架化されると機能的になる反面無味乾燥で、個人的には興味をそがれます。
SYさんの記憶にある地平時代の鳥取も、車両基地や貨物設備が併設された駅だったのではないかと思います。そういった「ごちゃごちゃ感」が好きなんです。

【鳥取】
鳥取… 幼少期の私にとって憧れの地でした。 もの心ついた頃、乗ってみたかった播但線‥。当時、播但線の行き先表示は普通が福崎、寺前、和田山、急行但馬は城崎、浜坂、そして最遠の地、鳥取‥。 その頃、親に連れられ車で29号線戸倉峠を越え、親戚の居る米子に向かった途中、鳥取市内の山陰線の踏切を通った覚えがあります。助手席で地図帳を見ていた私は、一瞬の踏切通過時に鳥取駅構内を一目でも見たかったのですが、やはり距離が離れすぎており‥。その後、初めて訪れた鳥取駅は、おそらく機関区跡の頭上でしたが、昨今の振り子DCにも勝るとも劣らない倉吉方へ猛烈な加速発車をする、はまかぜをホーム端で目にしたのが印象的に思い起こされます…。ビデオカメラを手にしていた私に対しての乗務員の活きな計らいだったのでしようか、もちろんそこにいたのは、ビデオを回さず立ちすくんでいた私だったのですが…。  鳥取駅は高架化が比較的早く、動力近代化のため山陰線中部にDF50が投入された時期も早かったため、趣味誌などに見られるSLやDC特急を写した背景などに鳥取の駅構内や車両基地を見る機会も稀有で、最盛期が謎めいた機関区の一つですね。 山陰主要都市への速達線について、もう少し紙面を戴きますと、海岸線を避けた軍需路線に、重油専燃に改造された都落ちのハドソンが和田山で重連となり、兵庫県最高峰の山麓を目指します。 途中、大屋市場の町に置かれた補機専用区に居る人吉流れの巨人タンク機により三重連となり、極太ボイラーの圧倒的パワーで急勾配をいっきに駆け上がり、サミットを越えて役目を終えた補機は若桜で放たれ帰りの大役に備えます‥‥。 この地域は思い入れについついこだわりを持ってしまいす。

自身は戸倉越えはどうしても姫路に至るルートしか頭にあらず、養父方の大屋市場の名を拝しドキッとしました。内容から中央線や肥薩線、奥羽線が思い浮かび、峠越えというより、山越えに興味がおありなんだな、多分“E10”さんはきっと内的エネルギーが高い人かなと思いました。和田山駅には陰陽連絡の要衝の津山や新見以上の機関区を描かれたことと思います。加えて「畳み一畳」の広がりを考えると集中力もおありで、いささか羨ましい限りです。“T.M”さんも凄いし、…全く以て自身はトホホです。

E10さん、SYさん、うう~~、なんか盛り上がっているような・・・。その熱きロマンに参加できないんですけど・・・・・。

【鳥取】
項を和田山に移そうと思い覗いてみると…レベルが高すぎて…。  f54560zgさんも足跡を残された和田山の転車台跡ですが、その周りに木製なら津和野タイプ、コンクリート製なら高山タイプのラウンドハウスを置いてみたかったのですが…。SYさんに、しっかり見透かされてしまい私のほうがドキッ‥でした。 私の知る播但線での通し運用機は福知山と豊岡所属で、和田山配置のライトパシはすでになく、尚更和田山の要衝としての位置付けを確かなものにしたかったのでしょうね‥。和田山から山陰岳線を走る優等列車も、はつかり転用の青客まつかぜで、京都-博多間を走り通します。‥餘部ファンのお叱りが聞こえてきそうですね。  私も29号線沿いに線路を敷くのが夢でした。 余部か播磨新宮よりの分岐で、ひたすら戸倉峠を目指します。途中、材木輸送のため上野までは早期開通で、上野機関支区は上松のような雰囲気に荒屋新町のような庫がある姿です。古くはキューロク、その後はデゴマルの入線でしょうか…。やはり戸倉峠の難所は三重連かEタンクの助けを得なければならず…。ただ優等列車は狩勝越えのシゴナナ小樽-釧路にならい、米子より大阪までライトパシ群がロングランを達成していたかもしれませんね…。 それと、五条からなんですが、あのぉ、実はそれが、畳み一畳でなく一畳半だったんです…ダイヤ改正ごとに配線変更を施し、車両も数百両を数え…。 また紙面を私物化してしまい申し訳ありません。

E10さん、またまたハイレベルなコメントありがとうございます。おそらくこれにお返しするコメントはSYさんでないと無理なのでは?
畳にも都落ちのハドソンとか走っていたんでしょうね、きっと。

“E10”さんは蒸機に溺愛しておられるですね。そこからも力動感を感じます。文中の「上野」とは20万を観て旧波賀町の中心地と比定し、成る程と思い、かつて向日町運転区のかもめ・まつかぜ・白鳥という長大編成のDC特急が、日本海側の長路を走破していたことを文の流れから連想的にふと思い浮かびました。数百両ということは大手私鉄の阪神以上で名鉄の所有両数あたりくらいでしょう、目もくらむばかりです。非電化区間のDCも可愛がって下さいね。

SYさん、ありがとうございます。
それにしても「一畳ネタ」、結構ウケてますね。
(スミマセン、失礼しました)

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