« 城川原 1979/10/5 | トップページ | 富山港 1979/10/5 »

2008年5月 9日 (金)

蓮町~大広田 1979/10/5

城川原-(139M)→蓮町10:32着-(徒歩)→大広田-(徒歩)→富山港

19791005

蓮町駅は、線路配線的には富山港線の中では最大規模の駅です。
旅客営業上は単なる中間駅に過ぎない蓮町駅ですが、運転取扱上は富山操車場及び富山港駅への貨物線を分岐する重要な位置にあります。蓮町~大広田間はわずか600mであり、蓮町駅の構内に大広田駅のホームが設けられているような格好です。
転てつ器は基本的には現場扱いですが、富山港への貨物線を分岐する転てつ器のみ、信号扱所から離れている関係でしょうか、動力転てつ器が使用されています。
また入換標識が一対だけ設けられていますが、これは入換で本線横断が発生する関係と思われます。

0119791005c1
富山方からです。右の非電化線が富山操車場からの貨物線で、こちらには遠方信号機が設けられています。

0219791005c3
蓮町駅のホームです。右に通票の受器、その先に授器と思われるランプのついた白い柱が見えます。

0320020813d1
2002年8月13日の蓮町駅です。貨物側線は住宅に姿を変えてしまいましたが、通票の授器の柱は残っていました。

0419791005c4
富山方からです。DD1511牽引の貨物列車が出発を待っています。

0519791005c5
富山方です。出発信号機は2現示でした。

0619791005c6
岩瀬浜方です。

0719791005c9
岩瀬浜方からです。

0819791005c12
岩瀬浜方です。

0919791005c13
岩瀬浜方からです。右はクラレの専用線です。

1019791005c14
このあたりまで来ると大広田駅が見えてきます。

1119791005d1
大広田駅です。富山港方が分岐の直進側になっています。

1219791005d3
岩瀬浜方からです。

1319791005d4
右が岩瀬浜方、左が富山港方です。

1420020813e3
2002年8月13日の大広田駅です。富山港への貨物支線はわずかに痕跡を残していました。

1519791005d5
小野田セメントの専用線です。

1619791005d6
岩瀬浜方からです。

1719791005d7
富山港方です。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 城川原 1979/10/5 | トップページ | 富山港 1979/10/5 »

コメント

この区間の線路は絶対に記事にしていただけると思っていましたが・・・スバラし過ぎます!(笑)
私も電車から降りて歩けば良かった(泣)

配線図から、並行して走る貨物線(これがいいんですけど)は、富山貨物駅連絡のためではなく、工場専用線であることが分かり、また感動。

ライトレールとやにも、貨物線の歴史に敬意を払って欲しいです(笑)

今にして思えば、専用線めぐりをもっとしておけばよかったなあとつくづく思います。でもねェ、記事にも書きましたが、貨物線は歩くしかない場合が多いので、つらいんですよね~。

こんにちは。
今日も興味深く拝見しました。
蓮町駅の通票の授器の柱、時間軸でお写真を比較して見られたのが大変興味深かったです。
築浅にも見える住宅街は特段の特徴もないように見えますが、そこが過去には貨物列車の行き交う線路だったこと、その中にあった設備だったこと、同一地点からの過去比較のお写真を見比べて、胸が熱くなりました。
鉄道貨物が衰退していった時期だったのだと思いますが、まだ臨港地区として貨物輸送を主眼にした線路が残っていた最後の時代だったのだろうと思います。
富山地鉄に戻った富山港線、今から往時の痕跡を探しても、もう流石に何も見つけられないでしょうが、惹かれるものを感じます。

風旅記さん
ご覧いただきありがとうございます。
新しい方の写真でさえ20年以上も前ですから、それからまた変わっているでしょうね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 蓮町~大広田 1979/10/5:

« 城川原 1979/10/5 | トップページ | 富山港 1979/10/5 »

過去の記事

2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ