下奥井 1979/10/5
東岩瀬と同様、不思議な配線です。
岩瀬浜方からです。
線路の曲がり具合からしてもともとあった交換設備を撤去したのでしょう。そう考えれば、東岩瀬と違って、ホームの残骸も納得できます。
架線柱の配置からして、電機が活躍していた頃は側線にも架線が張られていたのでしょうか。
富山港線は、鶴見線などと同様に、沿線に数多くの専用線が存在していました。それらのひとつひとつについてその終端まで見届けたかったのですが、限られた時間の中で、「ここも行きたい、あそこも行きたい」となるとそうそう時間をかけるわけにもいきませんでした。でも正直なところは、いかんせん徒歩では限界があり、疲れてくると「あ~、もういいや」となってしまったほうが大きかったかもしれません。
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こんばんは。
歩いて線路を巡る旅、本当に体力勝負だと思いますし、歩き疲れてしまうのもよく分かります。
富山港線の記事を拝見し、各駅から貨物線や専用線が分岐していた当時には興味が尽きなかっただろうと思いますし、巡るにもきりがなかったのではないかと想像しています。
時代と共になくなってしまった、そのような路線の姿、改めて良さを感じます。
こちらの駅でも貨車の受け渡しが行われ、拠点となる貨物駅と結ばれていたのだと思いますが、この配線でどのように扱っていたのか、興味は尽きないです。
投稿: 風旅記 | 2024年8月18日 (日) 04時44分
風旅記さん
当時はなかなか情報を得るのが苦労でした。現在のようにネットから多くの情報が得られるような状況であれば、もっと効率的に訪問できたと思うのですが。
投稿: f54560zg | 2024年8月21日 (水) 22時15分