高蔵寺 1979/12/28
神領-(639M)→高蔵寺10:56着/11:37発-(3735M)→中津川
名古屋方に対して数多くの折り返し列車が設定されていましたので、何か面白いものがあるのでは、と期待して行ったのですが、全くの期待はずれでした。
多少の変形はありますが、基本的にはY字の中線折り返しのみで、電留線らしきものもありません。
それよりも気になるのは、配線図を見る限り連動装置は第2種、すなわち転てつ器は現場扱いとなっていることです。折り返し列車の到着・出発のたびに転てつ掛の人が現場で転換していたのであれば、ちょっと恐ろしい気がします。
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はじめまして。
いつも記事は拝見していましたが、コメントさせて頂くのは初めてです。
今日地元の高蔵寺駅の配線図に気づき、大変感激しております。
1979年は小学生の頃で、よく高蔵寺駅にも列車を見に行ったものです。
しかしいつも見ていたのは名古屋方からでして、こちらの塩尻方の配線や風景は殆ど記憶に残っておりません。
いつか模型でこの頃の高蔵寺駅を再現したいと思っていたのですが、いかんせん塩尻方の配線が分からないので困っておりました。
とても有益な記事をありがとうございました。
投稿: 声姫 | 2011年2月 6日 (日) 15時32分
もうひとつコメント残します。
折り返しの列車のたびに、作業の人がやってきて、ポイントを切り替えてましたよ。
1時間ほど見ていると、目の前で係りの人が切り替えて、たまに声を掛けて貰ってました。
電車の話を色々出来たのが楽しくて、いい思い出として残ってます。
投稿: 声姫 | 2011年2月 6日 (日) 15時49分
声姫さん、コメントありがとうございます。
記事の中で、「期待外れ」とか「恐ろしい」とかネガティブな表現があって申し訳ありません。
今でもそうなのかもしれませんが、当時は高蔵寺折り返しの電車が結構多く運転されていたように記憶していますので、ポイント切り替えの作業の方は結構忙しかったのではないでしょうか(笑)。
見学者がいると作業の方も張り合いがあったのでは、と思います。
投稿: f54560zg | 2011年2月 6日 (日) 21時53分
いえいえ、懐かしい写真を見れて、とても感激してますので、気になさらないでください。
当時は今に比べると、列車の本数も格段に少なかったですし、のんびりした時代でしたので、人手の作業でも不思議ではなかったかもしれません。
作業の人も「名古屋とかのような大きい駅なら、切り替えも電動なんだけどな」って話してくれたことを思い出しました。
流石に子供に切り替えをさせてくれるほどではありませんでしたが(笑)
それにしても悔やまれるのが、もっと駅舎とかホームとか、駅の様子を写真に撮っておけばよかったと、このページの写真を見てつくづく思いました。
しかし子供ゆえそこまで興味なかったんでしょうね。
投稿: 声姫 | 2011年2月 6日 (日) 22時34分
私も子供のころの興味の対象はやっぱり「動くモノ」のほうで、「動かないモノ」に興味を持つようになったのはずいぶんと後のことです。それに写真代、当時はバカになりませんでしたからね。
投稿: f54560zg | 2011年2月 7日 (月) 22時34分
以前、多治見駅で書き込んだ者です。
写真の数年後に電車通学を始めましたが、この写真で当時を思い出しました。
確かに、ホームにポイントの切替テコが並んでいましたね。
当時の折返し列車ですが、昼間は1本/時、朝ラッシュ時で3本/時程度ではなかったでしょうか。
名古屋地区最大のニュータウンの最寄駅と言う事もあり、ラッシュ時には昔ながらのホームは凄まじい混雑でした。
80年代半ばには、瀬戸線乗り入れ準備と、急増する乗客に対応するため大きな駅に変わってしまい、今や当時の面影は全く有りません。
投稿: KAT6970 | 2015年2月25日 (水) 22時16分
KAT6970さん、少し前に高蔵寺駅を再訪問したのですが、おっしゃる通り昔の面影はなくなり、近代的な感じの駅に生まれ変わっていましたね。
投稿: f54560zg | 2015年3月 1日 (日) 16時07分
地元の者です。今もある五社大明神から伸びていた踏切の上から撮影された写真ですね。とっても懐かしいです。
よく下り1番線に貨物が停車していて,下りの列車をやり過ごしていました。その間の踏切がとても長かったですよ。
塩尻方下り本線出発信号の脇の土手から電車眺めていました。迫力満点でした。
投稿: みずほ | 2019年10月13日 (日) 21時30分