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2008年4月 2日 (水)

名古屋客貨車区 1979/12/26

名古屋-(徒歩)→名古屋客貨車区-(徒歩)→名古屋第一機関区

名古屋駅から歩いて名古屋客貨車区に向かいました。

197912
笹島駅から名古屋第一機関区まで描かれていますが、ごちゃごちゃしすぎてあまり良くわかりません。
それにしてもなぜこの位置に笹島駅を設けたのでしょうか。不思議です。

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名古屋方です。左端は近鉄線です。

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信号扱所の建物がいい雰囲気です。

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右端の2線が関西本線の上下線です。

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正面奥は笹島駅です。

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湊町方です。

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このあたりは笹島駅の着発線でしょうか。

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コメント

名古屋車両所って線形的に美しい。かつて愛知機関区として扇形庫が二連に並んでいた箇所で、名古屋駅の高架化に伴って、貨物操車は稲沢へ、貨物駅は笹島へ(今は往事も偲べない)、残余列車は愛知機関区後へと整理された。とあれ、機能的に構成され名古屋駅を支えている。

かつては転車台が2つあったのですか。
小郡や鳥栖も2つありましたね。

あのー、転車台と扇形庫を連接的に二つ有していたところは、図面上知る限り、ほかに稲沢操車と品川操車場があります。ともに貨物操車場ですが、前記は第二機関区の設置用地へ、後者は東京駅の列車設備基地の移転に際し、田町電車区等の用地になったようです。品川駅のほん北東にあったようで、この品川操車場はちなみにハンプ式ようで、東海道対山手~東北の機能です。貨物機能は新鶴見地区への設備移転を先に行い、空き地を客車操車へと玉突き的により郊外へ、という図式です。大都市でもより設備を郊外へという運動が大正期後半からすでにあったようです。

東京駅にも昔は車両基地がありましたよね。これの拡張のために品川の貨物設備を新鶴見に追い出したわけですね。
拡張のためには郊外に用地を求める以外に方法はありませんからこんな引越しが各地で行なわれてきたのですね。

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