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2008年4月23日 (水)

大崎 1978/5/29

2009/1/4 配線図を追加しました。

19780529

19780529oosaki01
正面奥が新宿・池袋方です。
中央手前は品川電車区及び大井工場に至ります。
左手前は鶴見方で、今は湘南新宿ラインを形成しています。
高架は山手貨物線で、右が品川方です。
右上の高架の下に少しだけ見える複線が山手線です。

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正面は品川電車区方です。真上の高架は新幹線及び品鶴貨物線です。

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19780529oosaki05
池袋方からです。
わかりずらいですが、右の奥に複分岐が見えます。複分岐を右へ進むと明電舎の専用線でした。

19780529oosaki06

19780529oosaki07
池袋方です。

19780529oosaki08

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コメント

 大崎駅は貨物ヤード部分の用地を利用して 湘南新宿ラインと埼京線 東京臨海高速鉄道臨海線用に二面四線のホームを増設 山手線部分の二面四線と合わせ四面八線の大駅に発展しました
 唯間に山手貨物線が坂状に割り込んでる関係で見た目別々な駅見たいな感じです 駅舎も北と南に二つ出来特には南口デッキ通路で駅前各ビルに笠を差さなくても行ける様に成りました北口からは一度地面に降りて山手通りを潜り五反田方向の再開発ビル迄やはり笠を差さずに行ける更に目黒川を越えるデッキ通路も建設が始まっています さてヤード跡の二面ホームですが同じ沿線の二面ホーム駅 新宿 池袋 と比べ少し異質です
 何故かと云うと六番線七番線は折り返し線の為当然何方の方にも行ける様出発信号が有りますこれは新宿も同じです 唯大崎の場合本線である五番線八番線も其々南行北行何方にも出発出来る様出発信号が有るのですどの番線からも何方にも行ける構造なのですこれは早朝深夜の列車本数の少ない時間帯に例えば八番線に臨海線の折り返し電車が入線逆走発車したりしてます 駅構内配線がどちらからもどの線にも入線出来る様ポイントを敷設して有る事です唯普通のターンアウトとダブルクロスの組合わせの汚い配線ですダブルスリップスイッチとダブルクロスの組み合わせならポイント通過時不愉快な揺れが無いのにターンアウトとダブルクロスの組合わせではポイント通過の度右に左に揺れて不快な思いをする次第です  

 追伸 大崎の復分岐は何時頃敷設したか おそらく大崎電車区建設に伴う旅客ホーム増設山手貨物線の立体化等の用地確保にガトリィークレーンやジブクレーンの有った荒荷線施設を全て撤去ヤード線路を移設始めヤード線五本上下本線と中線山手貨物線上下線 山手通り側も駅舎撤去通り側ぎりぎりまで旅客ホーム用地を捻出二面四線の旅客駅を建設しました 其の時明電社引き込み線用に復分岐を敷設しました 複分岐を敷設した経緯は橋上駅舎の階段が有る為分岐用地が取れぬ為復分岐を敷設したと思います 始めヤード線が五本有ったのですが配線図には四本しか有りません此れには地元ならでは事情が有りました
 改良前の大崎駅は山手通り側の東口駅舎とソニー前の西口駅舎の二つの駅舎が有りました然も駅西側は大井町方向から山手通りを結ぶ当時狭い道路が有りました特に駅前は明電舎の敷地が有る為余計狭く つい最近まで一方通行にせねば対向車とすれ違う事も出来ませんでした橋上駅舎化の折に西口駅舎は撤去五反田側に駅舎が移転百反通り方面の西品川一丁目から三丁目豊町辺りの住民にとって駅舎が離れてしまい然も駅前通りは狭いのに歩道も有りません 早晩西口復活運動が起きました当時の国鉄本社や運輸省等に陳情団が押し掛けたりしました 結果国鉄側が折れヤード線一本撤去して歩道を作りました 其の後40年位経て南口として復活 駅前通りは再開発で道幅も広くなりましたが地元民が勝ち取った歩道は今も線路際に残っています

yyoshikawaさん、過去から現在に至るまで大崎駅についてのコメントありがとうございます。一度まとめてみたいと思います。

yyoshikawa様の明電舎側線関係のコメント、興味深く拝見いたしました。駅構内を出た側線はご指摘にもありました一方通行を迫られる道路を横切って明電舎に入っていったものと思われますが、この踏切は側線使用停止後も含めて、いつごろまで存在したものなのか気になります。昭和の終わり頃にはすでになかったような気がします。

 品川区では区主催で品川Web写真館と云うサイトを開設して居ります 区内の様々な写真を区民から募集UPして居ります 今日暇つぶしに閲覧して掲載写真から 大崎五反田大井町等気付いた事を申します
 先ず大崎駅 構内配線引き直し工事開始が1965年完成が1968年 明電社引き込線が廃止になったのが1980年頃完全に道路部線路撤去 埼京線湘南新宿ライン 臨海線用ホーム使用始めが2002年 (Web写真館大崎西口駅舎写真二枚の内一枚は父親の撮影) 蛇窪渡り線は1980年にはまだ存在 大井町駅荷物扱い所1990代迄存在五反田駅前トロリーバス1955年等鉄道及び回りの風景等色々参考になります

yyoshikawa 様、ご教示くださり感謝です。
日本一の大都会にあって、それも日本一混雑する環状線の停車駅にもかかわらず、その駅前通りを貨車が平面交差で横切る姿、東京市場線や芝浦線とも違う奇異な趣を感じます。ぜひとも現役時代に確認したかったところです。
品川Web写真館については何度か閲覧し、ほぼ同じアングルで撮られた二葉の大崎駅舎の写真も確認しております。うち一葉は御尊父の撮影されたものだったのですね。
他にも大井町駅の写真ではテルファー昇降部が映り込んだアングルもありましたね。ただ残念なのは国鉄線を跨いだ東口連絡跨線橋の写真に、走行中の京浜線列車が映り込んでしまっていること。あの列車がなければ、あるいは件の試運転線の末端が確認できたかもしれません。末端部を確認できる写真は、少し前の鉄道ファンに掲載された写真を見ただけです。

 オーイナル野焼き様 品川Web写真館掲載写真で品川区で1967年に発行した私達の品川と云う出版物(私は見た事が有りません)横浜のおじさんの家へ と云う表題のページがありました 印刷物写真から転載ですので鮮明度は低いですが 写真には大井町駅からとタイトルが付けられており 大井町の陸橋から品川方向を写した写真が掲載されてます唯1967年発行なのに何故か湘南電車クハ86全面三枚窓試験塗装車が写り込んでます
写真其の物は1950年代始め頃の撮影と思います
さて此の不鮮明な写真でも京浜東北線の渡り線と大井工場の試運転線との位置関係が解ります
 試運転線は陸橋の際迄伸びてました 此の写真の撮影時期には既に試運転線と京浜東北線との間には連絡線は無い事も解ります 唯の棒線駅でも其れなりのドラマが有りますね

yyoshikawaさん、
>唯の棒線駅でも其れなりのドラマが有りますね
肝に銘じておきます(汗)。

yyoshikawan様、情報ありがとうございます。ご案内の写真、確認することが出来ました。たしかに'67の近時であの状況はあり得なさそうです。ご指摘にもあったように、あくまで当該書籍の発行年ということでしょう。
ではここからが本題なのですが、湘南電車が走行する汽車線の下りから数えて3本目、つまり京浜線南行ですね。ここから分岐した渡り線と思われる線路が繋がる4本目の線路について。これは普通に考えれば京浜線北行と考えるのが自然なのですが、でも実はこれ、写真の写らないところ(左下)で北行線から分離した留置線で、写真にあるのはその延長上において北行線から連絡線と合流している箇所ではないか…そんな邪推に襲われ?ました(笑)。
とすればもっとも左にある、数えて五番目の線路は京浜北行線となりますから、それでは結局のところ試運転線の存在は確認できないことになってしまいます。でもその無理筋の仮定では、北行と南行の線路間が不自然なまでに離れてしまいますから、やはり邪推ということに落ち着くのですが(汗)。

ただこの線路の乖離につきましてはもう一言ありまして、留置線撤去後においても長らくホームから遠く離れたところにおいても北行南行線が離れたまま放置されていたことを思えば、もし今でもその状態が続いていたなら、北行乗車スペースだけを東京寄りにセットバックすることで、東急-京浜線接続に起因するラ朝のラッシュ時のホーム混雑緩和の一助となったのではないか…つくづくそう感じます(個人的には大井町駅は改装を行うごとに東急-京浜線接続客の流れが不合理にされる一方だと感じています。それはもう腹立たしいくらいに)。

 オーイナル野焼き様 確かに大井町駅北側の北行線と南行線は暫く離れています 1935年品川駅配線図の外れに記載された大井町駅の配線に少し見にくいですが確かに中線が有りますね おそらく可也前戦前若しくは戦後早い時期に撤去して渡り線に変更されたのでは 昭和30年代始め頃には渡り線だけでした当時既に試運転線は京浜東北線とは切れてました 話は少し離れますが大井工場の反対側に煉瓦造りの御料車車庫が有りますのは御存知と思います 今は一棟だけですが以前は同じのがもう一棟建ってました 此の辺りは大井工場でも端の方で御料車庫からそばの崖迄は草茫々でした 其れでも線路が引かれてました 崖の上は一般道で大井工場が良く見えるので子供の頃よく見に行きました さて草むらには昔から色々な休車が押し込められてました 古くは5000形蒸気機関車とアブト区間用3950形蒸気機関車が保管されてましたが戦時中鉄材供出でつぶしてしまったそうです此れは諸先輩の話として雑誌にのってました 戦後此処には電車?が二輌連結状態で留置されてました 濃いブルーとクリームのツートンカラーでした 子供心に有れは大井町線の電車だと思ってました 後で其れは日本で初めての電気式ガソリンカーキハ二33500?の成れの果てだと解ったが後の祭りでした 二棟有った御料車庫は一棟壊し跡地は品川区役所が建ちました

 大井工場のコメントで 一つ間違いが有りました
御料車庫脇に置かれていた二輌の気動車の形式裏覚えでしたのでいい加減な番号を付けてしまいました改めて制式な形式を記載致します キハ二36450形でした 申し訳有りませんでした

yyoshikawan様、むろん大井工場が御料車供奉車等の皇室用車両と縁深い場所であることについては承知しておりましたが、御料車庫の存在につきましては全くの無知でおりました。さっそく検索したしたところ、ご指摘のありました倉庫の解体中の写真を含め多くの画像を確認できました。車両ほどではないにせよ鉄道建造物はその関心の高さゆえ、一般のファンによってその多くが映像として残されていますね。それに比し線路を主とする記録については物足りない感じは否めません(近年の廃線探索ブームもせいもあるのか、この状況も大分変わりましたが)。
なお電気式ガソリンカーキハ二33500につきましては、そのプロフィールをWEBでは確認できませんでした。ただ、以前所有していた毎日新聞社発行「世界の鉄道・日本の気動車」におきまてそれらしき車両を見た記憶があります。西濃鉄道に乗り入れた二軸合造車キハニ5000をベースに、これを片ボギー化、大型にした車両だったような気がしますが、なにしろ20年以上も前に見た本のうろ覚えなので間違っているかもしれません。

yyoshikawan様、失礼いたしました。確認不十分のままコメントを寄せてしましました。

 本来の駅配線図の話から逸れてしまいますが参考迄に述べます キハ二36450形についてですが日本で初めての総括制御が出来る内燃動車でした 当時内燃気動車は既に有りましたが機械式(自動車と同じ仕組み)でしたので単行運用が殆どでした 鐵道省もローカル線の合理化として取り合えずキハニ5000形を作り出しましたが二軸単車だが通常規格の車体に出力の低いガソリンエンジンを積んだ為重い車体と低出力の失敗作でした
 次に鐵道省がアメリカのガスエレクトリックカーを参考に作り出したのが件のキハ二36450形でしたモハ32形の外観で20mに引き伸ばして一端に大型ガソリンエンジンと発電機を積み荷物室を設け残りは客室とした軸重軽減する為機関室側はTR71風三軸台車 モーターを積んだ側はDT10風二軸台車でした決して片ボギーでは有りません ガソリンエンジンで発電しモーターで動く電気式でした 電気式ですので総括制御が出来ますので木造省電をトレーラに二輌編成で米原付近の北陸本線でローカル運用されてました 戦争激化して燃料不足から休車状態になり大井工場に引き取られ1960年代頃迄鎮座し其の後解体されました晩年はボロボロ状態でした

 暇人通信 今回目黒川信号所に付いてコメント致します 現在品鶴線(横須賀線)と山手貨物線が分岐するのは目黒川橋梁の大崎寄りで別れますが新幹線建設以前は目黒川橋梁品川寄り東海寺墓地脇で分岐して居りました此の当時の状況は品川Web写真館に画像が保存されてます線路脇にちゃんとした信号所も有りました新幹線工事開始後線路の移設分岐位置の変更等有り今日の状態に成りました 狭い土地に遣り繰りして新幹線を敷設したのは脅威な事でした 余談ですが因みに此処の線路際の東海寺墓所には鉄道の父と言われおる井上勝の墓地が有ります

yyoshikawaさん、情報ありがとうございます。

 唯の棒線駅の話題を一つ五反田目黒兩駅は当初より唯の棒線駅ですが嘗て山手貨物線に五反田目黒間に側線が存在しておりましたそれは位置的には五反田の大築堤が目黒の台地に合流する辺りに今でも有る変電所其処に貨物線から分岐した側線が有りました(と云っても戦前の話しですが)
変電所に機材を搬入する為に引かれた側線かもしれません 目黒蒲田電鉄(後の東急目蒲線)の建設の折資材搬入の為に此の側線から一時的に線路を繫げて資材を搬入したそうです東急50年史に確か記載が有ったと思います 資材搬入には大崎で列車を仕立てて搬入したそうです 当然此の側線の分岐部に信号所が有り其の信号所に努めて居た職員の官舎は大崎の三共製薬如き込線の脇今の新幹線の変電所の有る辺りに当時有ったそうです 当時子供であった父親の友達が其処に住んで居て話を聞いたそうです

yyoshikawaさん

先日久々に山手線外回りを乗る機会があったのですが、東横線ガード並木橋方面の高架の撤去が進んでいることを確認できました。残念な事ですが仕方ありませんね。
それと山手貨物線線路際に新たな空き地を見つけましたので、ここには何があったけ?などと思いあぐねんでいましたが、多分変電所の類だろう、そう一人納得しておりました。

>今でも有る変電所其処

私の見間違えでなければ、yyoshikawaさんのコメントにあるこれかもしれません。私も以前、ここに側線が存在したかも?などと想像の翼を広げたこともあったような(笑)

 五反田目黒間に上大崎信号所が1919年に開設されました位置的には現在の変電所と動力車会館辺り迄が丁度山手貨物線の線路と地面が同じレベルですおそらくこの間に分岐を作り信号所を設けたのでしょう分岐を作り側線を引いたのは変電所への資材搬入等に利用する為だったのではと思います おそらく山手貨物北行線から推進で進入する感じだったのではと思います設置後目黒蒲田電鉄が工事資材を搬入する為此の側線から線路を仮接続して搬入したそうです其の後1935年に上大崎信号場は廃止され線路も撤去された
 同じ様なものとして戸山ヶ原信号場が新大久保高田の馬場間に1927年に開設されました此方は戸山ヶ原の練兵場関連の軍事側線でした 貨物線から東方向に分岐して居ました此方は戦前に撮影された写真が嘗て趣味誌に載ってました 此の当時西武鉄道はまだ高田の馬場折り返しでした此方の信号場も上大崎信号場と同じ年に廃止されました

 大崎駅の入れ替え用引き上げ線に付いて少しコメント致します 嘗て山手貨物線の主要駅には貨物駅が存在しておりました 大崎もそんな駅の一つだった事は御承知の通りです 1970年代大崎は山手通りの北側に貨物ホームが有り南側にヤードが存在していました 大崎で入れ替えを行う貨物列車は北行南行共に必ず中線に入線して解放牽引機に引かれ北行は北側のダブルクロス渡り引き上げ線に入線南行は南側の片渡りから引き上げ線入線後其々突放解放貨車は入れ替え手がぶら下がり足踏みブレーキを踏んで側線に停車させてました次いで牽引機がバック発送貨車を連結再び引き上げ線に牽引入線後推進で中線に戻り列車に連結後発車時間に成るまで待機後発車本線に出て次の駅へ向かう 入れ替え中に通過貨物列車が有る場合は側線で待機しておりました 尚山手貨物線の貨物列車は高架を通り大崎を素通りしていました 側線に留置された到着貨車は品川機関区のDD13が北側引き上げ線を利用して貨物ホームに押し込んでおりました 大井工場入出場の回送車は一旦中線に入線後入庫出発しておりました 大崎の北側の引き上げ線は目黒川を渡る直前で途切れてましたが南側の引き上げ線は大崎支線沿いに延々と続き線路沿いの区役所通りと三ツ木通りのT字路の辺りに末端が有りました
既に大崎支線は可也勾配上に上がっており高低差が有りました ただそんなに長い引き上げ線ですが末端まで車両が入る事は無くレールは錆びていました 後年りんかい線が大崎に延伸の折引き上げ線を潰し大崎支線北行線を移し南行線は大井工場側に移動間にりんかい線トンネルを造りました 1960年代の頃は可也な貨物扱い量が有ったので此れ位の引き上げ線が必要だったのでしょう 

yyoshikawaさん、情報ありがとうございます。長い引上線が必要なほど両数の多い貨車を引き上げての入換作業って、機関士さんから貨車後端までの距離が長い分、苦労も多かったのでは・・・。

 私が子供の頃大崎駅は終日入れ替え作業が行われており夜間も到着発送貨物の入れ替えをやってました 今なら騒音問題等起きるでしょうが当時は日常の事でした
 当時当然引き上げ線全部使う位の着発貨車が存在したのでしょう
 当時の写真では貨物本線と中線一本留置線七本内明電舎側一本は荒荷線ガットリークレーン
 当然の事ですが貨車だらけでした 結行線路が有り明電舎側駅舎から山手線ホーム迄行く跨線橋は延々と続いてました 大崎支線蛇窪側はダブルスリップとシングルスリップで本線を平面交差して大井工場へ向かう線が有りました
 1964年以降大井工場敷地内整理の折山手線用新電車区建設の話しが持ち上がり大崎の貨物側線変更及び山手貨物線と電車区入出庫線の交差部分の立体交差化工事山手線ホーム増設橋上駅舎化等の工事で完成状態が貴下の写真の状況です 其の後は長年此の姿でしたがりんかい線大崎乗り入れ湘南新宿ライン及び埼京線乗り入れでのホーム増設で現在の状況になりました

yyoshikawaさん、かつての貨物扱い設備が有効に利用されているわけですね。

 嘗て大崎駅周辺は山手線の駅の中では一番最低の駅でした 普通の駅ですと駅前には必ず大小問わず何某かの商店街が有るものですが事大崎に関しては都内の駅なのに商店街が有りませんでした
 代わりに園池 東京鍛工 明電舎 高砂バルブ 三共製薬等工場だらけでした 地元商店街は駅から少し離れた所に百反通り商店街が有りました(大した店は有りませんでした)そんな駅でしたので周辺の工場関係の貨物を扱う貨物主体駅でした 1965年以前(大幅改良以前)家に有る古い写真に側線に並んだ30輌近くの貨車が並んでるのは壮観でした昼夜を問わず入れ替え作業もあり賑やかでした 品川機関区からB6や8620等が常時来て入れ替えしておりました 大井工場は入れ替え用にC12が常駐して居りました 明電社前の辺りに門形クレーンが有りバケットで石炭の積み下ろししてました 他にジブクレーンも有り如何にも工場地帯の貨物駅でした 其れに比べ山手線のホームは島式一本だけでした 山手通り側の東口明電舎側の西口共に跨線橋で結ばれておりました 
 都内一とも思える田舎駅であった大崎がブレークしたのは東口再開発で大崎ニューシティーが出来てからでした(ニューシティーが完成して直ぐTVドラマのロケが有ました) 其の後駅周辺の工場が次々再開発されビルの中に商店街も出来賑やかになり更に目黒川を越え八ッ山付近迄大規模に再開発され乗降客数も増えてきました 更に湘南ス新宿ライン 埼京線 東京臨海高速臨海線の乗り入れで利便性が向上し山手線一の田舎駅から都会駅に昇進した駅は他には無いのではと思います

yyoshikawaさん、大崎駅の変化には目を見張るものがありますね。趣味的には大井工場と品川電車区の出入り口という重要な駅ではありましたが、旅客営業的にはおっしゃる通り地味な駅でしたからね。

山手線大崎駅気になる事が有ります其れは1番線から大崎電車区へ行けるダブルクロスが有りますが先ず滅多に利用されておらず錆び付いております2番線出発側は常に使用されておるので当然レール上面は光輝いています 偶に車両交換の折に使用されるくらいです
今一つ五反田寄りの山手貨物線から山手線への亘り線も滅多に使われませんが今だに現役です
元々は配給列車や回送列車が利用したのでしょう
現在山手線はATC化されたので使われる事は少ないのでしょう

yyoshikawaさん、大崎駅は山手線が「外界」と繋がっている少ないポイントのひとつですね。

大崎駅での添付写真の時代における貨物列車入れ替えに付いて少々述べます到着列車は略南行北行共中線に入線退避通過貨物列車の合間に南行列車は先ず切り離し作業牽引機関車により駅留め貨車を編成から連結器空気管切り離し入れ替え手が貨車に捕まり 一旦南行本線に出て南片渡り線を渡り南側引き上げ線に入線後当駅留め貨車を突放入れ替え手が側ブレーキを踏みながら留置線へ転送停止 其の後牽引機関車は分岐が発送貨車線に切り変えられた後当該線に入線発送貨車を連結其の間通過列車等有る場合は其の場に退避無い時は引き上げ線に入線其の後北行本線経由中線へ戻り退避留置列車に連結出発時間迄待機後 発車時間になると中線より南行本線へ出て蛇窪経由新鶴見へ向かいます 一応南行貨物列車の入れ替えを述べました
 

yyoshikawaさん、昔はこのような入換風景をいたるところの駅で見ることができましたね。

前回は南行貨物列車の入れ替え作業をのべましたが今回は北行貨物列車の入れ替えを述べてみます
新鶴見より山手貨物へ向かう貨物列車は蛇窪で品鶴線から別れて大崎支線へ転線左周りカーブと勾配を下りながら大井工場脇に出て大崎南側引き上げ線が見えて来て先程蛇窪で別れた品鶴線の下を潜り大崎駅に着く中線に入線解結作業後到着貨車を引き出す中線より北行線に入り直ぐにダブルクロスポイントを渡り北引き上げ線に入線直ぐに貨車を突放其の後発送貨車を連結後引き上げダブルクロス経由中線へ戻り連結作業後発車時間迄待機後発車田端へ向かうのでした

yyoshikawaさん、品川方面からやってきた貨物列車が大崎駅で入換作業を行うことってあったのでしょうか?

嘗て山手貨物線が平面で大崎に来ていた時代にはひょっとして汐留や品川からの短距離輸送の貨車が有ったかもしれません 
大崎に電車区が出来山手貨物線が無理矢理立体交差になってからは直接駅構内に入れぬ配線になった
ので多分汐留や品川から発送される大崎行の貨車が有るとすると先ず新鶴見操車場か田端操車場経由で大崎へ来るのが妥当な運用だったのでは
大井工場入出場の田町電車区の電車は一旦大崎の五反田寄り迄行き山手貨物線と大崎支線の合流する所迄行合流部のダブルスリップを利用してバックで大崎の中線へ入り大井工場に入場出場時は其の逆の経路で田町に向かう経路で運行していたと思います 当時新形車でも工場入場車は車両個々に管理されてたので短編成で牽引車に挟まれて工場に来ていたので本線折り返しが可能だったのではと思います
今の殆どの電車は固定編成ですので新鶴見信号所迄回送してから東京総合運転所に入場する様に変更されました

yyoshikawaさん、ありがとうございます。
山手貨物線北行が大崎支線と合流する手前に入換標識が設けられているようでしたので、ひょっとしたら入換作業が行われるケースもあったのかな、と思った次第です。

KASAさんのホームページ最新版で山手貨物線シリーズの大崎が掲載されました
f54560zさんの1978年代配線図より前 大改造前の1950年代の大崎旧配線図が掲載されました
当時駅南端に百反踏切と信号扱い所(機械式連動)
小陸橋 北側に急カーブの山手通り陸橋が略現在と同じ位置に有りました陸橋の北五反田よりに貨物扱いのホームがました
小陸橋や百反踏切付近は此の辺り子供の頃よく来ては貨物列車を飽きずに見てました 偶に変な貨車が貨物列車に混じってる ボギーの冷蔵車レキ1(銀塗装が剥げていた) 南海の木造通風車 近鉄の有蓋車 東武の貨車だけの貨物列車等次々来る 偶に新宿伊東間の観光急行いこい号が来る
毎日夕方につばめ号がやって来る品川から山手貨物線で大崎に来て中線に入り大崎よりスハニ35が先頭でバックでノロノロ坂を上りながら蛇窪へ向かい蛇窪信号所渡り線で品鶴上り線に渡り品川へ戻っていました 御処置のごとく山貨品鶴大崎支はデルタ線を形成してますので此処で編成すべてを方向転換してましたつばめ号は夕方でしたがはと号は夜中又は明け方にに方向転換してたのではと思うのですが 北日本と西日本を結ぶ貨物の大動脈であった大崎支線に一日二本方向転換の為に回送されて来る然も本線上で折り返す離れ技良く毎日やっていたとは今では考えられない逆に云えば今と違い融通が利いていた時代だったのかと思うのです

KASAさま
 HPアドレスをうっかり消してしまいました。PC初心者で探す方法がわからず、ご教示をお願いします。私事で紙面を使ってごめんなさい。

yyoshikawa様、

私のHPの内容に関してコメントをいただき感謝いたします。

あの三角線を利用した客車の方向転換にはたいへん興味がありましたので、ご教示いただきありがとうございました。

C6217 様、

たいへん失礼いたしました。今後は、アドレスも入力するようにいたします。

yyoshikawa様からコメントをいただいたページは、下記となります。

http://railwaytrackdiagrams.web.fc2.com/tokyo_south/yamanote/osaki01.html

下記のKASAの部分をクリックしていただければ目次ページへと到達します。

お問い合わせありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

yyoshikawaさん、デルタ線を使って編成丸ごと向きを変えるという話は聞いたことがありましたが、大崎→蛇窪間は推進なんですね。どのような運転取扱いだったんでしょう。今では考えられませんね。

推進運転の折最前部になるスハ二35の車掌室に警笛と緊急用ブレーキを設置していた筈です
上野尾久間の推進回送と同じであると思うのですが

KASAさま
 ありがどうございました。お名前の下線も気づかずお恥ずかしい。

大崎のこと
 推進運転の前頭客車の前灯は形式だけで乗務員の前方注視はもちろん、地上かも列車接近が見えにくかったと思います。このデルタ線はたしか踏切があった筈ですね。

つばめ号は午前の運行でしたので東京着は17時頃ですので方向転換は夕方頃でしたので秋冬の季節以外前灯は使わなかったのではと思います
はと号は午後の運行でしたので夜半の方向転換は21時頃の筈ですが夜間の為地元でありながら確認は出来ません(子供でしたので)当然前灯は使われたと思います
踏切は当時大崎から蛇窪迄大崎支線に四か所有りました 品鶴線蛇窪付近に三ヶ所計七か所です
現在は大崎支線は統廃合で二箇所に減りました

大崎支線に存在した踏切は大崎方から西広 権現台 苗木原 名前不詳 住吉
品鶴線は品川方から住吉 下村 杜松 当時蛇窪の合流部は現在より新鶴見寄りでしたので1935年頃の配線図では住吉は両線に跨ってました
其れ等からつばめ号はと号最大14輌編成の時は最前部のスハニ35は今の西大井駅付近迄来ていたのではと思います

yyoshikawaさん、C6217さん、暗い中、踏切もある区間を推進運転で・・・、微妙ですね(笑)。

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