多治見機関区 1979/12/25
恵那-(804M「きそ4号」)→多治見15:11着/16:21発-(678M)→新守山
「SL留置1番線」や「暖房線」といった線路名称がまだ残っているようでした。
転車台はレールが取り外されていましたが、「撤去ではなく修理」と聞いたように記憶しています。
機関庫全景です。タンク車がポツンと1両だけで、寂しい構内です。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。
« 多治見 1979/12/25 | トップページ | 新守山 1979/12/25 »
多治見駅で書き込ませて頂いた者です。
私が物心ついたときは既に配置は無くなっていました。
転車台の件、確かに80年代半ばまで稼働していました。といっても、重要点検整備後の美濃大田区の気動車が方向転換に使う位でしたが。
JR化後、しばらくして機関庫ごと整地されてしまい、今では、事務所入り口にあった門柱と表札が草むらのなかに残っているだけです。そこも区画整理で整備されますが、わざわざ放置状態で残っているという事は、モニュメントとして活用されるのかもしれません。
投稿: KAT6970 | 2013年10月14日 (月) 17時51分
現在多治見機関区跡地の再開発地区付近に暮らしている者です。
多治見機関区の門柱と表札は、綺麗に整備された公園の片隅に、いまもしっかり保存されています。
おそらく笠原産のタイルで彩られた、素敵な門柱ですね。
機関区跡地はすっかり再開発され、いつも家族連れで賑わっており、昔の面影はほとんど残っておりません。
駅南側には最近まで笠原鉄道のホームが残っていましたが、今年の1月からこちらもタワーマンション建設のため取り壊しが進んでいます。
検索でたどり着きましたので、コメントいたしました。
多治見機関区は子供の頃ホームからちらっと見た記憶があるぐらいですが、周辺の街並みがなんとなく懐かしいです。
貴重な写真をありがとうございます。
投稿: からんだ | 2020年10月19日 (月) 10時57分